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第2話 ふたりで作った雪だるまのオブジェ




 尻に衝撃が走った。

 何が起きたのか分からないまま、僕はタイルの床に崩れ落ちる。朝の廊下はまだあたたまっておらず、タイルの感触はヒンヤリと冷たかった。


「ほら俺のほうが上手いだろ」「いやいや」


 男子ふたりが転んだ僕を見下ろしながら追い越していく。彼らは顔いっぱいに嘲笑を浮かべていて、僕は蹴飛ばさられたことを理解した。

 これが現実だ。

 棒読みのように頭のなかで呟き、立ち上がる。蹴られた尻をパタパタとはたく。手のひらには灰色の汚れが付いていた。


 何人もの人たちが僕を追い抜いていた。改めて現実世界に生きていることを実感した。僕も彼らのあとを追うように歩く。角を曲がって階段を上がると、頭上で予鈴が鳴り響いた。始業5分前だ。気持ち急ぎ足になる人もいれば、談笑に夢中で予鈴なんて気にも留めない人もいる。何故か人の流れに逆らって昇降口に向かう男子もいれば、踊り場で足を止めて話し込んでいる女子もいる。


 始業前の階段は、通勤ラッシュの駅のようにごった返していた。

 でも、今更だけど、誰ひとりとして僕に話しかける人はいない。目を合わせてくる人もいない。そこに僕が居ることを認識している人はきっとひとりとして存在していないだろう。


「邪魔だよ」


 背中にパンチを食らう。

 男は僕を一瞥して、押し退けながら追い越していった。まったく加減がない。控えめに言ってもかなり痛いじゃないか。


 はは……。

 ところが今日の僕はなんだか可笑しい。この背中に残った鈍い痛みにも、何故かそれほどの嫌悪感を感じない。むしろ唯一感じる他人との繋がりに、ちょっとした安心感すらも覚えているかもしれなかった。

 それも全て“幼馴染との恋”のせいだったのかもしれない。





 授業中、休み時間と、僕はずっと幼馴染の姿――あっくんを頭のなかで追った。

 いま思えば彼女は、まだ小学生ではあるものの、将来美少女になることが約束されているような、そんな可愛らしい顔立ちをしていた。目はくりくりと潤っていて鼻筋はすっきりと通っている。笑うと目じりがまるでパンダみたいに下がって、整っている顔が一気に綻ぶのである。


 おそらく今日は、家に帰ればあの錠剤を開けることができるだろう。再び会えると考えはじめると胸の中は熱くなった。早く会いたかった。微笑んで欲しかった。窓の向こうから元気に手を振ってほしかった。あの陽が傾いたリビングでの時間は、もう僕の胸にべっとりとこびれ付いてしまっていた。


 でもふとした瞬間、冷たい現実に気が付くのだ。

 あっくんが見ているのは僕ではない。あの甘い微笑みの先には違う誰かがいる。彼女との思い出を不必要だと判断した憎たらしい人間がいて、僕はただそいつの捨てた思い出を借りて胸を焦がしているだけなんだ。


 まったくなんて情けないんだろう。これまで生きてきて最も心を揺さぶれた瞬間が、他人が要らないといって捨てた思い出だなんて。

 強烈な薬なんだな。たった1回、服用しただけなのに、僕はすっかりメモリーズの虜となってしまったんだから。


 やや経って放課後が訪れた。

 ホームルームが終わった僕は急ぎ足で教室を出た――ところだったのだが。

 ゴツンーー。


 星が飛び訳も分からないままに僕は尻餅をついた。

 向かい合うように、女子もまた尻餅をついていた。ここで僕はようやく人とぶつかったことを理解した。


「っ……何よ!」


「いや、悪かった」


 同じクラスじゃない、でもどこか見覚えのある女子。

 僕はちょっと混乱した。何かこの女子に違和感を覚えていることは確かだった。


「ちょ、どこ見てんの!」


「え」


 はっとした。

 彼女は慌てて両手でスカートを押さえていた。


「サイテー!」

「ごっ、ごめ」


 咄嗟に立ち、その場から離れようとした僕だった。だが反射的にうしろを振り返ってしまった。

 教室の最後部、いつものように溜まっているクラスの不良たちは、みんなして僕をナイフのような目で睨みつけていた。


 心臓が嫌な脈をうった。


「……とにかく、ごめん」


 なんとなく明日がどんな1日か予想できた僕は、走ってその場を去った。 

 帰ってすぐ、僕はメモリーズを飲んだ。




<Episode 2>


「さすがだな」


 まるいピンポン玉へ器用にペンを乗せているあっくんに、ぼくは素直に感心していた。

『雪だるまつくろうよ』と彼女が言ったのは昨日のことだった。次の日の今日、もう彼女は材料をそろえてきて、放課後の空き教室でぼくたちは雪だるま――雪だるまのオブジェを作ることになった。


「ほいっ、できたっ」


「……上手いな」


「本当に思ってんの?」


「思ってる」


 本心だ。彼女のイラストは本当に上手だと思った。

 小さなピンポン玉に描かれた雪だるまの表情は、ひと言でいえば可愛らしい。まるでアニメのキャラクターに居てもおかしくない出来だった。シンプルなのに雑っぽさは一切なく、むしろ今すぐ表情が動き出してしまいそうに思えた。


 彼女は完成した雪だるまの顔を、ボンドでペットボトルキャップと接着する。

 残す材料は赤い毛糸の束とハサミで半分に切った爪楊枝。恐らくマフラーと両腕だろう。これもボンドでくっつけるのだと思う。


「ちょっと、できたの?」


「いや」


「私はもう終わっちゃうよ」


 ぼくは今一度、目の前のピンポン玉に向き合ってみる。

 酷い顔だ。目玉ひとつ満足に描けなくて、いびつな形で油性のインクが滲んでいた。

 あっくんは仕上げにマフラーを装着しながら、何気ない口調で言った。


「これ、たいちゃんだから」


「……ぼく?」


「だから、そっちが私ね」


 滲んだ顔を見る。

 これはイケナイ。


「だから可愛く描いてよね」


 窓の外をみると、まだまだ白い曇り空だった。

 まだ時間はある。

 ぼくはあっくんが予備で買ってきたピンポン玉に手を伸ばす。

 次こそは可愛く描いてやろう――そう思った。


「……悪かったな」


 しかし1度や2度やり直したくらいで絶望的なセンスが改善されるはずがない。

 小一時間経ったころに完成した雪だるまは、これだったら1回目のほうがマシだったんじゃないかって思うぐらい、不格好どころじゃない有様だった。


 まるで妖怪。

 そんな妖怪を片手に乗せて、彼女はぼくのほうを見る。白い歯を見せて。


「私は好きだよ、この子」


 そう言いながら優しく指先で撫ではじめる彼女を見ていられなくなった。


「なんだかお守りみたいじゃんね」


「お守り?」


「これがある限り私たちは仲良しで居られるの」


「……なるほどね」


 ぼくは自分の手に乗せた、可愛らしいほうの雪だるまを見る。

 やっぱり、ぼくにはもったいないぐらい、こっちの雪だるまは可愛らしかった。

 でも確かに、これを持っていればそれだけで彼女のことは忘れないんだろうなって、そう思う。

 そしてそれは、妖怪を持たされた彼女だって同じなんだろう。


「そろそろ行こっか」


「だな」


 窓の向こうは光の色が変わりはじめる。

 ぼくたちは夜の時間に備えてあっくんの家に帰ることにした。

 家に着いて少ししたら、きっと空に浮かんだ雲はところどころが黄金色に輝くだろう。


 そうしたら、もうすぐに夜だ。待ちに待ったぼくたちの夜。

 薄暗くなったリビングで飲むホットミルクを想像していると、隣りを歩くあっくんから茶々が入った。


「何笑ってんの?」


「いやっ……なんでもない」


「思い出し笑いってスケベなんだよ」


 そう茶化しながら、あっくんは無邪気に笑った。



******



 目が覚める。今回は割とすぐに現実を認識できた。しかし、夢からの目覚めが早いか遅いかの違いであって、相変わらず気分は最悪だった。


 ひんやりと冷たい部屋、すっかり夜になった窓の向こう、それから鉛のように重たい体。心にぽっかりと大きな穴が開いたような、そんな気分。僕はなんとか体を起こして、ベッドの縁に腰を掛ける。暗闇に目が慣れてきて、気が付けばフローリングに散らかったメモリーズを見つめていた。


 後悔がいっぱいなってため息を吐く。

 昨日だってあれほど苦しんだというのに、僕はなんでまた他人の思い出なんかを求めてしまったんだろう。まるで麻薬中毒になった気分だ。夢から目が覚めたばかりなのに僕もう続きが見たくて見たくて仕方がない。薬が取り出せないことが分かっているぶん、昨日よりは冷静だけれど。


 頭がごっちゃごちゃする。

 僕は台所でコップ1杯の水を飲み干した。淀みを流したかった。まあ、流れる訳はないんだけど。2杯、3杯と続けて飲み干した僕はベッドに戻る。仰向けにダイブして影のなかの天井を見つめた。お腹の中の水が揺れていた。


 誰かの思い出が断りもなしに、まるで僕自身の思い出かのように頭のなかに入ってくる。


 ――これがある限り私たちは仲良しで居られるの。


 なんなんだよ。


 ――思い出し笑いってスケベなんだよ。


 なんでこんなに輝いてるんだよ。


 放課後の空き教室は光の色が混じっているのか神々しく、彼女のあたたかい声には聞き心地の良いエコーが掛かっていた。劇薬でも入っているんだろうか? それとも“思い出”とは本来こういうものなんだろうか?


 そんな簡単なことすらも分からなかった。

 幼馴染なんていない、恋すらもしたことがない、青春の感覚すらも分からない僕には、思い出の味わいが一切分からなかった。


 誰だよ“たいちゃん”って。

 ふざけんなよ。

 そうしてひとしきり現実との落差を味わったところで、僕はあることに気が付いた。


「スマホ……どこいった」


 そういえば家に帰ってからスマホを触ってない。というより、学校出てからスマホを触った記憶がない。メモリーズを1秒でも早く飲みたくて必死だったから、多分その存在すら忘れてしまっていた。

 大体見当がついた。学校だ。慌ててたから忘れてきたんだ。


「はあ……」


 時計を見る。外の暗さと寝起きの身体に騙されていたが、時刻はまだ19時を少し回ったところだった。

 僕は朝学校に行くときのように、怠さを振り切り、矢継ぎ早に支度を済ませて家を出た。

 



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