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第19話 押し寄せる第3の感情



******



 遠くの山々がくっきりと拝める、不純物のない澄んだ朝だった。ため息は白く凍って宙に舞い、間もなく散り散りに消えていく。街はきらきらと凍ったように輝いていて、まるで1日の始まりを祝うかのようだった。


 メモリーズのせいで今が冬だってことを時々忘れそうになる。目が覚めても夢気分な僕をいつも外の冷気が現実に引き戻してくれるのだ。


 太陽が何にも邪魔されずに頭上で光っているが、その熱量はどうやら地上までは届いていない。薄暗い雲が空を覆うならば間違いなく雪が降りだしているであろう、そんな寒さだった。


 歩くたび肌に触れるズボンの冷たさに辟易しながら、駅にたどり着く。アナウンスに急かされるようにホームへ駆け下りると、ちょうど電車が停車していて、僕は息を切らしたまま車内へ乗り込んだ。


 角っこに居場所を見つけてマフラーを外す。電車はゆっくり動き出し、車掌がやる気のない声で行先のアナウンスをする。まばらに人が座っている車内は奇妙なくらいに静まり返っていて、まるで乗客全員がくたびれたオブジェのようだった。アナウンスが止むと、ガタンゴトンと響いている走行音だけがBGMのように場を支配する。


 車窓がチェーンのファミレス店を映し出したとき、僕は既にメモリーズの光景を追っていた。


 あっくんとの関係は、どうやら終わっていなかったようだった。彼女は真向かいに座り、ぼくに対して『直球しか投げられない迷惑な人間』と理解を示してくれた。連絡先まで聞いてきて、それから『今日はありがとう』だなんて……まるで夢みたいだった。


 ……夢、のようなものか。


 胸がいっぱいになっていた。しかし、いっぱいになった分だけ胸は痛みを帯びる。

 どのみちぼくとあっくんには終わりが訪れるんだ。それならば、いっそのこと終わってくれればよかったのに。


 心はそういった具合で乱高下を繰り返していた。快さと痛みの感情が、ふたつ足並みを綺麗にそろえて、僕の胸を()で、そして切りつける。こんな状態で僕が正気を保っていられるわけがなく、学校に着いた頃にはもう心がくたくたに重たくなってしまっていた。


 しかし現実は容赦なく、学校へ距離が近づくにつれて僕に第3の感情が押し寄せてきていた。


 それは片原あゆみの存在だ。

 僕には分からなかった。彼女が何をしたいのか。そして僕自身がどう彼女と接するべきなのか。いつ、どのタイミングで話しかけてくるのか、ラインがとんでくるのか。どんな表情でどんな言葉をどんな抑揚で喋ってくるのか……。


 学校で過ごしている間、僕はいずれ来るであろう彼女のアクションに意識が持っていかれ、恐怖すら覚えていた。ところが、待てど暮らせど片原さんからのアクションは無くて、時折廊下で見切れる彼女のうしろ姿にひとり動揺するだけだった。


 終業のホームルームまで差し掛かり、なんだったらこっちから行ってやろうかと一瞬決意しかけたのだが、タイミングよく沢井たちに連行されてしまった。

 薄暗い倉庫で暴力を受けているとき、僕は心から安堵をした。行かなくて良かった。あと少しで僕は取り返しのつかないことをするところだった。


「おいコイツ笑ってんぞ」


「おい、なんで笑ってんだ」


 敢えて、口角をつり上げて言った。


「うるせえ沢井」


 初めての抵抗だった。

 その瞬間、空気が入れ替わる。

 言うまでもなく暴力は激しくエスカレートした。


 散々殴られたあとで、僕は投げ飛ばされる。床にたたきつけられたあと、休む間もなく強烈なヘッドロックを食らった。息が苦しくて、両足が感情を持ったようにバタついた。もしかしたらこれはほんとに死ぬかもしれない。


 しかし薄れていく意識のなかで、僕は思う。

 これが僕なんだ。

 此処こそが僕の居場所なんだ。

 居心地の良さを覚えている自分が、本当終わってると思った。





 次の日も片原さんからのラインは無かった。当然、話しかけてくることもない。

 それは次の日も、その次の日も、そのまた次の日も続いた。僕は片原さんとひと言も言葉を交わすことなく週末を迎えようとしていた。


 因みに僕はその間、何度か彼女にラインを送りかけていた。それは彼女に会いたいからなんて純朴な理由じゃない。かといって迫りくる恐怖に怯えて自らその渦中に飛び込もうとしたわけでもない。ただただメモリーズのため、己の欲望の為だった。彼女の動向が分からないなかメモリーズの回を進めることが、僕としては不安だった。


「……どうしようか」


 僕はがらんとした薄暗い部屋で、無感情に呟いた。メモリーズの包装ケースと睨めっこしながら。

 冬の日没はあっという間で、部屋はいつの間にか明かりが必要になっていた。おもむろに立って明かりをつける。カーテンの隙間から見ると、さっきまで赤かった空模様は、燃え尽きてしまったように青黒くなっていた。


 ふと、何かに駆り立てられたように包装ケースを破く。慌てているせいか器用に錠剤が取り出せずに、銀紙を執拗に破壊してなんとか取り出した。それからひと思いにそれを口に運んで、思いきり飲み込んだ。


 決心がついた時じゃないと、永遠に飲めない気がしたのだ。

 きっと彼女からのアクションは今後一切来ないだろうから。

 ベッドで横になり、瞼を閉じる。


 薄れゆく意識のなか、季節は冬から秋へ変わっていった。





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