第17話 僕たちは恋人なんかじゃない
会計を終えて店を出ると、外はもう夜だった。
「おい」
歩きはじめてすぐ、誰かに声を掛けられて振り返る。若い男が吸いかけのたばこを手に持ったまま、知り合いに向けるような笑顔をこちらに向けていた。
「やっぱり。お前うちの高校の奴じゃん、見たことあるわ」
「だれですか……?」
「俺ジュンヤ」
誰なんだ。
茶髪で男にしては長い髪、それに高校生のくせにたばこを吸っている時点で、僕が苦手とする類の誰かだろう。
その男はたばこを口に咥えて、それから煙を美味しそうに吐き出した。それがまるで予備動作だったかのように、喋りはじめる。
「いや驚いたよ。まさかハラちゃんにお前みたいな彼氏がいるなんてよ」
「彼氏っ」
僕は大慌てで否定した。
「違う違う、彼氏なんかじゃない」
「はあ? あれは明らかに彼氏だったろ」
「たまたま来ただけで、彼氏じゃない」
「彼氏じゃない男がたまたま女とファミレスにやって来て泣かすのか?」
「えっ?」
泣かす? ということは彼女は泣いていたっていうことだろうか。
まさか。
男は笑みを浮かべていた。といっても嫌味はどこかない、どちらかというとニコニコ寄りの笑顔だった。
「なんか口論してる奴ら居んなーって思ってたらハラちゃんが店出てくじゃん? しかも泣いてんだからびっくりだよ」
「嘘だ」
男はきょとんと目を丸くする。
「彼女が泣くわけない」
「いや、泣いてたぜ?」
「泣く意味がないじゃないか」
「いや、俺知らねーよ。お前らの関係性とか。でも泣いてたのは事実だぜ?」
全然、頭のなかはしっちゃかめっちゃかだった。だって、本当に何度でも言うが、泣く意味なんて彼女には無いんだ。
会話を忘れて考えている僕に男は言った。
「まあいいや。じゃあ俺戻るからよ、またな」
「あ……うん」
「仲直り頑張れよな」
そういって片手を上げながら、男は眩しい光に包まれる店内へと戻っていった。見切れる顔は淀みのない笑顔で、それがなんだかこそばゆくなって僕は意味もなく走った。
しばらくの間走っていると呼吸が浅く、そして忙しくなってくる。それがなんだか、今の僕にとっては心地よかった。なんならずっと死ぬまで走っていたい。そんなことを思うぐらいに。
本当、終わってる。
望んでいたよりもずっとずっと早くに家に着いてしまう。心臓はもう限界ギリギリの速さで脈を打っていて、それでもまだまだ走り足りない気がしていた。
*
僕はこの日、何故かたくさん彼女の姿を見かけていた。
友達と笑ったり、廊下で走りっこしてはしゃいだり、先生と並びながら階段を上がっていたり。そしてどの彼女にも共通していたのが、上手に作られた笑顔を浮かべていたということだった。その笑顔は、輪郭までぴったりと中学時代のあっくんと重なっていた。
学校の景色が変わっていないことに気が付いて、僕はひとり苦笑した。しかも仲違いしているところまで一緒だなんて、胸が痛いけれどどこか清々しい気までした。やっぱりあれは僕の過去だったんだ。
「おう!」
昼休み、階下のトイレに向かう途中で、あのジュンヤに会った。本当に同じ学校だったんだ、と僕はひとり小さく感動した。
「学校で会ったじゃんウケンな」
「あ、うん」
彼はこの前と同じで友達に向けるようなさわやかな笑顔を浮かべていた。
「どうなんだよ」肩を軽く小突かれる。
「いや、別に」片原さんのことを聞かれているんだとすぐに分かった。
「お前な、いいこと教えてやる。マジ、自分に素直になったほうが勝ちな」
「勝ち?」
「仲良くなりたい相手ならな」
「ああ……」
空気が漏れたような声が出る。
僕は仲直りがしたいのか? いいや違う。
このままでいいと思ってる。
メモリーズとともに、既に終わったものは終わったものとして潔く失うのが良いのだ。いや、良いというよりかは、それが必然なんだろうと思う。“仲直り”なんて言葉自体が甚だしい。そもそも仲なんてものは存在しないんだから。
メモリーズをキッカケに止まった歯車が動きはじめる?
そんな馬鹿馬鹿しいことがあるか。人生はつくり話じゃないんだから。
「僕は、今のままでいい」
そう言って、僕はひと思いに階段を下っていく。多分こういう愛想のなさが人から疎まれてきた原因のひとつなんだろう。
駆け降りる途中「またな」と優しい声がうしろからした。振り返るともうそこにジュンヤは居なかった。ちゃんと顔を見てから立ち去ればよかったかもしれないと、そんな柄にもないことを思った。
そのあと休み時間で、沢井と談笑するジュンヤを見た。
やっぱり見た目通りで、彼はそういう系統なんだ。でも思い返すと沢井にいつもイジメられているときに、僕は彼の顔を見たことがない。もしかしたら群れないタイプなのかもしれない彼のことを、僕はほんの僅かだけれどカッコいいと思った。
<Episode 9>
時は9月の下旬へ差しかかっていた。
この頃は茹だるような暑さは消え去り、普通の夏がようやく訪れたようだった。日中はまだ時折30度を超えるが、夜になるとその熱気が蒸発したようにやわらぐ。夜が過ごしやすくなっただけでもう秋が来たと思えるのだから今日の夏はやはり異常なんだろう。
それでも蝉は四季が読めるのか、暑い日中でもその数を限界まで減らしていた。本格的に季節は変わる転換点に、差しかかっているのだろう。
ぼくはひとりきりの夕食を終え、夜の町を歩いていた。コンビニまでアイスでも買いにいこうかと思っただけだ。
がらんとした夜の住宅街には、熱した地面を冷ましたような匂いが漂っている。中々に嫌いじゃない。なんだか胸をちょっとだけ掴まれたようなそんな気分がする。そんな小にも満たない微々たる喜びを見つけて歩いていたのだが、
「たいちゃん?」
「え」
顔を上げると、そこには幼馴染――あっくんがいた。
ラフなTシャツに黒いスウェット、無造作に散らかった茶髪。寝巻ですらお洒落に見せるような着こなしで、如何にも苦手な見てくれだった。
「何してるの?」
そう彼女は笑顔で尋ねてきた。
ぼくは下を向いて、ひと思いに彼女の横を通り抜けようとした。
「待って!」
「……うっ」
左手首をあっくんは掴んでいた。柔らかくて艶やかな、触り慣れていない感触が手首を包み込む。
「離してくれ」
「やだ」
「頼むから」
「逃げないって約束してくれるなら、離すよ」
「……分かった」
手首が外された。
生温かいはずの夜風が、ひんやりと手首を撫でまわす。
ぼくは体を彼女の正面へ向ける。気のせいか、前よりも彼女は背が低くなったような気がした。
「蚊がいるからさ……」
「え?」
彼女はとある方向を指差した。
「移動しようよ」
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