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第16話 タイルが冷たい放課後



 昼休みにラインが届いて、今日も僕たちは放課後に会うことになった。自分でも驚くぐらいに、片原あゆみへの拒絶感は少なかった。もしかしたらメモリーズに対する期待が底をついたからなのかもしれない。


 時は放課後になり、僕は最上階へ向かう。今日は僕のほうが早くて、先に階段へ座って彼女の到着を待った。タイルがひんやりと冷たくて体温が奪われていく感覚がする。こんな寒い日にこんな冷蔵庫みたいな場所で馬鹿みたいだと、失笑してしまう。


「うわ、笑ってる」


 片原さんが階段下でひょっこりと笑顔を出していた。


「足音、しないんだな」


 僕は無表情を作った。

 片原さんがこちらに上がってくる姿を見て、先に僕が来ているなんて珍しいなと思った。


「うひゃっ、ひんやりするー」


「そりゃ、直で触れたら」


 スカートが短いから、彼女の太ももはタイルに触れている。

 そもそもこんな日にこんな寒い場所で会ってる事自体が、ちょっと可笑しいんじゃないかと思う。


「たいちゃん」


「なに」


 一瞬、反応したことを後悔した。


「今日は早いね」


「どういう意味?」


「言葉のまんまだよ」


 片原さんが首を傾げている。


「時間の流れが早いのか、ここに集まるのが早いのか、僕が早いのか、どれ?」


「わー日本語ってすごい」


「だな」


「じゃあ全部」


「じゃあってなんだ」


「それでは全部」


「なんだ、それ」


 彼女は笑っていた。屈託のない、いつもと変わらない笑顔だった。しかし会話というものは双方がその気にならないと継続しない。


 僕が黙りこんだ今、階段には静寂が舞い戻った。

 ため息を吐いて天を仰ぐ。褪せた天井は、いつもと同じように一切人間の痕跡を感じさせない。


「……なんでだろう」


「ん?」片原さんの顔がこちらに向く。


「メモリーズって良い思い出を売ってるんじゃないのか?」


 僕が疑問を呟くと、彼女は「あ」と短い声を漏らした。『言っちゃった』とでも言いたくなったんだろう。僕たちにはきっと、メモリーズの内容については互いに触れないようにするという暗黙の掟があった。


「まあ、私もそう思っていた側だけど」


「なんであんな思い出売ってるんだ」


「そんなの、私に聞かないでよ」


 まるで私だって辛いんだよ、と言っているような口ぶりに思えた。まあそんなわけは、きっと絶対、地球がひっくり返ってもないんだけど。


「いま思えばあれ、安かった」


「え、うん私も思った。他の思い出はめっちゃ高かったのに」


「あれだけ、安かったのはなんでなんだ」


「知らないよ。でも、なんか嫌な感じだね」


「なにが?」


「思い出に高いも安いもないのにね」


 正論のように見えて正論じゃないと思った。

 僕は念のため聞いた。


「……いくらだったんだ」


「なんかイヤらしいから言わない」


「なんだよそれ」


 彼女は笑った。相変わらず人を虜にするくしゃくしゃな笑顔が見ていられなくて、僕は階段を見下ろした。こんな薄暗い階段、少なくとも片原さんが居るところじゃないだろう。晴れやかな笑顔と結びつかない光景が、なんだか気持ち悪かった。


「……でも良かったかも」


「え?」


 片原さんが膝を抱えながら言った。


「たとえ良い思い出じゃなくても、今こうやってたいちゃんと話せてるんだからさ」


「なにをいってる」


「言葉のまんまだよ。だって私たちってそうじゃなければ――」


 僕は慌てて立ち上がった。


「帰る」


「え、待って」


「いや帰る」


 僕は階段を駆け下りた。しかし――。


「ちょっ、何だよっ……」


 右手首は片原さんに掴まれてしまっていた。

 冷たい人肌の感触がみるみるうちに温かくなっていく。


「は、離してくれ」


「やだ」


「頼むから」


「頼まれてもヤダ」


 顔を見ると、全然ふざけてなんかいなくて僕を睨みつけていた。だから、余計に嫌だ。なんならふざけておいてくれって思う。なんなんだよ、どういうつもりなんだよ。


「じゃあ条件聞いてくれたら離すよ」


「条件?」


 うんっ、と片原さん。目つきに現れていた緊張が僅かに解ける。


「なんだよ、条件って」


「聞くか聞かないかが先だよ」


「そんなのズルいじゃないか」


「聞くの? 聞かないの?」


 一瞬で色々なことを考えた。僕が条件を聞くと言ったら? 彼女は約束どおり手首を離してくれるだろう。そこは嘘じゃないと思う。しかし条件を聞かなければいけなくなる。明かされない条件を飲むことがどれだけ危険なことか。


 だが仮に僕が聞かないことを選択するとどうだろう。片原さんは永遠に手を離さないつもりだ。この、温かいを通り越して熱くなっているこの手を。


 やめてくれって。もうこれ以上僕の平穏をかき乱さないでくれ。


「……聞くよ」


「ほんと? 約束だからね。破ったらキスするから」


 だからやめろって。


「分かった。分かったから」


 手首から、彼女の手が外された。まるでそこだけ血液をくりぬいたかのように、一気にひんやりと冷たくなった。

 ひとつ上の段にいる片原さんは、背丈が僕と同じくらいになっていた。


「それでは、たいちゃんが逃げられない条件を発表します」


「うん」


 心臓が音を立てる。

 彼女は息をわざとらしく吸って、間をおいて、ひと思いに言った。


「……ごはん行こ?」


「え?」


「だから、ごはん」


「条件って……それ?」


 片原さんは「ほら行くよ」と言って階段を下って、僕はただただそんな彼女に付いていった。なんだか訳が分からなかったけど、学校を出て寒空の下を歩いているうちにあったかいスープが飲みたくなってきた。





 僕たちは地元にあるチェーンのファミレスに行った。なんだか地元で片原さんと行動していることが、不自然な気がしてこそばゆかった。


 若いウェイトレスは窓際の席に案内した。僕たちの関係性なんかに1ミリの興味もないロボットのような接客は、心境にマッチしていて心地悪くない。片原さんは席に着くや否やメニューで顔を隠す。しばらくして「ミートソース」という単調な声だけがメニューの向こうから聞こえた。


「僕はコーンスープ」


「……それだけ?」


「それだけ」


「なんだか私が食いしん坊みたいじゃん」


 彼女は自虐的に笑ったのだが、こういう自分自身を卑下するような冗談は苦手だった。扱いが人によって違うから難しい。同意も否定もいい塩梅が必要な高等コミュニケーションテクニックだと思う。


 だから僕は無視をした。都合よくそこにあった呼び出しボタンを押して従業員を呼び、やって来たさっきの若いウェイトレスにふたり分の注文をした。


 平日の夕方前だというのに、ファミレスは賑わいを見せていた。人々の話し声は雑音と化して、大きなガラスに囲まれた空間を支配していた。きっと皆、本当は食事なんてどうでも良いんだろう。

 彼女のほうを見ると視線が合う。


「なあに?」


 笑いの混じった声。僕はそのとき既にもう俯いてしまっているから、表情は分からない。窓の外に逃げてみるとマフラーに顔を埋めた女性が歩いていた。あまりにも寒そうでその背景にある街が灰色に見える。


「はあ」不意にため息がこぼれる。


「ちょっとさあ、無視した挙句ため息なんかつかないでよ」


「いや、寒そうだなって」


「嘘つき」


 なんとなく、居心地の悪さを認識した。

 目の前に大きな魔王がいるような、そんな感じ。

 少しでもそっちを見たら殺られるような気配がした。

 なんで僕たちはこんなところにふたりして居るんだ。


「ねえねえ」


「……」


「これこないだ友達から聞いたんだけどさ、ちょっと見てよ」


 スマホが向けられる。僕はそれを視界にすら入れないように俯き、彼女に言った。


「何がしたいんだ?」


「え?」


「毎回毎回僕のことを呼び出して、なんの目的があるんだ」


「目的って、そんな言い方」


 力ない声とともに、視界の端ではスマホが引っ込んでいく。


「だってそうじゃないか」


「何が言いたいの?」


「ぼくがメモリーズを見たあとは大体こうやって会ってくるじゃないか」


「それは私もメモリーズを見たあとだからだよ」


 彼女の語気もだんだん強くなっていく。

 ようやく顔を上げて正面を見ると、綺麗なはずの片原さんの容姿がほんの少しだけど歪んでいた。


「君がメモリーズを見たからってなんで僕と会う必要がある」


「なんで必要が必要なの?」


「どういうことだよ」


「意味がないと会っちゃいけないの?」


「別に、いけないなんて言ってない」


「じゃあなんで? なんで目的とか気にするの」


 僕は少しばかりの間を置いてから言った。言ったというよりかは、口が誰かに操られてるかのようだった。


「僕は君に会いたくない」


「え」


 片原さんの瞳に影が差した。


「会いたくないんだよ」


 それから先、彼女がどんな顔をしていたかは分からない。僕はもう正面のほうを見れなかったから。

 沈黙が訪れた。数秒か十数秒か数十秒か、計れない長い沈黙だった。

 打ち破ったのは彼女のやけに小さくなった声だった。


「会いたくないから……会うためには理由が必要ってこと?」


「多分、分かんないけどそんな感じだ」


「……意外だね」


 どこかで大きな笑い声がする。弾んだ女の声が聞こえる。皿を乱雑に重ねる音が聞こえる。ハンバーグらしい良い匂いが、誰かの若干きつめの香水の香りが、順番に鼻を抜けていく。多分ファミレスって、本来楽しかったり嬉しかったり、そんな気持ちで来る場所なんだろうと思う。ファミレスに来たことがない僕には分からないけど。


「今日さ」


 片原さんの声は糸のように細かった。


「いつもより喋ってくれてたし、先に階段のところに座ってた」


「それがどうした」


「だから、会いたくないなんて思われてるとか、全然思わなかった」


「……多分、だからだ」


「だから?」


 ふと思う。やっぱり、分からない。なんで片原さんからこんなふうに言われているのかが。


「もう何も期待したくない。何もかもが嫌なんだ。全部を諦めてるんだ。周りは気持ち悪いって思うかもしれないけどそれが僕なんだ。その気持ちがあるうちは冷静でいられる。だから……今日も最初は君に普通に接することができていた」


 ああ、何を言ってるんだろうか。

 こんなこと言っても何にもならないのに。


「それなのに、君が何かを企むから」


「私が何を企んだの?」


「……」


「分からないよ。意味が分からないよ」


「……」


 僕が無視を続けていたところ、片原さんは無言で席を立って店を出ていった。

 ため息を吐いて顔を上げると、先ほどの機械的なウェイトレスが若干気まずそうな顔をして、こちらを見下ろしていた。


「お待たせしました」


 僕が会釈をすると、彼女は淡々と商品名を言いながら机に料理たちを置いていった。

 人生で初めてのファミレスで食べる料理は、びっくりするぐらいに味がしなかった。





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