第15話 彼女だけは味方でいてくれるだろうと思ってた
<Episode 8>
夏休みが明けた。
ぼくとあっくんは1ヶ月以上も顔を合せなかった。それは、彼女のとの関係がいよいよ終わったことを示しているように思えた。学校という共通の空間が無ければもうぼくたちは顔を合わすことが無いんだと。
でもそれでいいと思った。
いや、それが必然だろうと思ったのかもしれない。
休み明けの教室は盛り上がっていた。金髪になっている女子がいたり、思いきり髪を刈り上げている男子がいたりして、各々新しくなった自分で声を張っている。多分だけど今日に合わせて見た目を変えてきたんだろう。
話している内容なんてどうでも良くて、夏休み中の出来事なんてどうでも良くて、ただ変わった自分を見てもらいたい。そんな風に見える。
ぼくなんかが理解するのは無理だろう。他者ありきの感情に縋るなんて、分かるわけがない。そうやってクラスメイトの変化を片付けていた。
しかし……。
それは、あっくんも例外じゃなかった。
昼休みに教室にやってきた彼女は、この夏で最も変化した存在だった。眉には人工的なラインが引かれ、頬は火照ったように桃色へ染まっている。髪の毛もうっすら茶色に染まっていて、スカートは一段と短くなった。
彼女は黒髪だったはずだし、スカートの丈は健全だったはず。そのほかにも素人には分からない微々たる変化が、たくさんその顔には施されているように感じた。
誰? って思った、正直。
そして彼女もまた、その変わりぶりを指摘されて体を弾ませていた。視界の端っこで忙しく動くシルエットを見たくないから、ぼくは机に突っ伏した。だが暗闇に顔を埋めると今度は上ずった声がより強調されて耳に入ってきた。
彼女の自由だ。
彼女の好き勝手だ。
お洒落がしたい年ごろなんだ。
ぼくは執拗に自分へ言って聞かせる。
だが何故だろう。彼女の劇的な変化は、絶妙にものすごくぼくを落ち込ませた。だから自分への処方薬のつもりで色々と言い聞かせているのだが、自分を慰めようとすればするほど、どんどん自分がみじめになった。
友達Aは聞いた。
「先輩とはどっか行ったの?」
その問いに、彼女は高らかに笑って返した。
「あははは、うん」
友達Bは呆れたように突っ込んだ。
「なにその笑いー」
ぼくは耐え切れなくなって教室から出た。
あてもなく校舎を彷徨い、気が付けば渡り廊下を通り抜けていた。そのままぼくは、かつてふたりで過ごしていた教室前のくぼみまで行って、そこで腰を下ろした。ここまでくれば当然、彼女の声は届くことがない。
冷たくて静かな場所だった。粉々になった音の切れはしが僅かに聞こえるぐらいで、実体をもった音は存在しない。多分冷静に思考をしていたらこの場所は選ばなかったが、案外いまのぼくにとってはちょうど良い空間だったかもしれない。
離れてみて分かったけど、彼女は甲高い笑い声とよく作られた綺麗な笑顔を持っていた。心の距離も物理的にも遠くなった今、それは壁に貼られた絵を見るかのようにありありと分かった。ぼくがのろのろとしている間に景色はどんどん変わっている。
かつてそこに居た“あっくん”はもう居ない。同じ中学校にたまたま通っている“片原あゆみ”が居る。きっとみんな片原あゆみの存在を認識している。彼女自身だってそうだ。気が付いていなかったのはぼくだけだったんだろう。本当、救えない。
夏休みが終わり新学期が始まると、すぐに文化祭の企画が始まった。
ぼくのクラスは演劇をやることになった。他のクラスはコーラスをやったりアートをつくったりするらしい。9月の半ば頃から、週に1度午後の1時間を使って文化祭の準備をすることになった。
そしてこの“文化祭の準備”が最悪だった。
演劇をやるクラスは小道具を作り、コーラスのクラスは練習に励んだりポスターを作ったりしていた。どこのクラスが何を催すのかは知らなかったけど、忙しそうに生徒たちは廊下を行き来していた。廊下に出ることが目的なんじゃないかって思うぐらい賑わっていたし、はしゃぎ声が飛び交っていた。
途中からは教師も、イキイキとした生徒たちの姿を見てなのか姿を消すようになり、本格的な無法地帯が始まった。
そうとなれば監視の目を外れた不良たちは黙ってない。
ぼくは掃除の時間と同様、イジメに遭った。
不良はどこからかマイクを持ってきた。それをぼくに手渡してきてぼくひとりだけの歌ウマ選手権が始まった。(あとから知ったことだが、歌ウマ選手権を出し物として開催するクラスがあった)
流行りのラブソングを歌わされた。大きな声で、堂々と。でもやっぱり段々と恥ずかしくなって、自分でも声が小さくなっていくのが分かった。まだ自分に羞恥心があるということに他人事のように感動した。
「おら、声落ちてんぞ」
なかなか強めの張り手をほほに食らう。
ぼくは胸いっぱいに空気を吸って、さっきよりもずっと大きな声で歌いなおす。そうすると廊下に無様な歌声が響き渡り、彼らは手を叩いて笑った。楽しんでもらえたのならいいか――そんなことを本気で思っている自分が可笑しかった。
「はーい20点」
坊主頭がぼくに足をかけ、投げ飛ばした。体はまるで人形のように宙を舞い、タイルに叩きつけられた。
頭を打って星が飛ぶ。視界がギラギラと煌めているなか、お腹に誰かかが乗る。胃が圧迫されて逆流した。あと少しで口から吐瀉するところだった。やがて霧が晴れるようにして、茶髪の男が目の前に現れた。腹の上に跨っていたそいつは、名前も知らない誰かだった。
「俺にもやらせろよ」
軽いリンチが始まる。蹴られたり殴られたり、髪を引っ張られたり首を絞められたり、その間ぼくに意識という感覚はなく、ただただ止まない衝撃のなか時が過ぎることだけを待っていた。
なんでぼくなんだろう。むしろぼくなんかでいいんだろうか。ぼくがもう少しまともならばもっと楽しいいじめになるはずだろうに。もう慣れたはずの暴力なのに、痛くて苦しくて、逃げ出したくて堪らなかった。
ややあって暴力は止んだ。
ぼくはうつ伏せになっていた。
ところどころが悲鳴を上げている体をゆっくりと起こしてみる。
まだ廊下はたくさんの生徒が行き交っていて、チャイムが鳴ったから終わったというわけでは無さそうだった。単純に彼らが暴力に飽きただけなんだろう。
ぼくから数歩先、ほとんど目の前という位置に彼女が居た。
一瞬だけ“ヤバイ”と思ったけど、彼女は友達との談笑に夢中でこっちには目もくれない。
今ここに移動してきたというよりかは多分ずっとそこに居たんだと思う。ぼくが歌っているときも、殴られているときも。まるで何もなかったみたいに廊下を行き来する人たちと同じで、彼女も笑顔で目の前の人と話していた。
ごく自然で平和的な笑顔だな、と思う。至近距離で暴力が繰り広げられていたことなんか全く感じさせない。
ぼくは学校を初めて早退した。
家に帰ってから、柄にもなく泣いた。
我ながら本当に滑稽だけれど、まだ心のどこかでは彼女に対して期待をしていたんだと思う。たとえ彼氏ができても見た目が変わっても、この学校社会に染まってしまっていたとしても、それでも彼女だけはぼくの味方でいてくれるだろうって……心のどこかではそうやって決めつけていたんだろう。
本格的な終わりが訪れたぼくは、それから不登校になった。
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