第13話 エスカレートしていく暴力
<Episode 6>
あっくんとは会わなくなった。
彼女は部活に本入部をして、ぼくは当然入部しなかった。一緒に帰る時間が無くなり、それから自然と昼休みの密会とやらも無くなっていった。とうとうぼくはこの世界において本格的にひとりぼっちになったわけだ。
ちょうど良いことに――何がちょうど良いのかは分からないが――ぼくに対するイジメはこの頃一層ひどくなってきた。彼女から離れるタイミングは色々な観点からみてベストなタイミングだっただったのかもしれない。
今日も掃除の時間がやってきた。
ぼくの大嫌いな時間だ。
学年じゅうが廊下に入り乱れ、各々自由に掃除をする。いや、真面目に掃除をしているのなんてほんの一部で、ほとんどの生徒が教員の見張りが緩いこの十数分を満喫していた。追いかけっこ、ほうきチャンバラ、スカートめくり、キャッチボール、それからイジメ。
ぼくは命令に従って廊下の端から雑巾がけをスタート。
雑巾がけってなんてみっともない体勢なんだろうと他人事のように思った。
「おらっ!」
ほうきで背中をしばかれる。肩甲骨に命中して思わず顔が歪む。だが倒れる訳にはいかないのだ。これはそういうゲームだから。
小動物のように小さくなって進む。そんなぼくを奴らは攻撃をする。いかにぼくが倒れないで廊下を完走するかというふざけたルールなのである。
「とぅらっ!」
「えいやっ」
「ぶははは、こいつ今日はつえーぞ!」
競走馬になった気分だ。
多分今後一切競馬なんて見ない。今日決めた。
あとすこし……。霞んだ視界の先に廊下の突き当りにある男子トイレと女子トイレが見えた。
足腰は悲鳴を上げ、心拍もうんと上がっていた。首も肩も疲労でじんじんとして、背中は攻撃を受けたせいで至るところがズキズキしていた。しかしあと少しというところで、強制的にゲームが終了させられた。
わき腹を思い切り蹴飛ばされたぼくはタイルの上で見事に転がってしまったのだ。
そう、これはそういうゲームなのだ。
限界まで頑張らせておいて、直前まで来たところで希望を絶つ。
これが不思議なもので、何度裏切られてもぼくは諦めずに完走を目指すのだ。
でもそれはひょっとしたら、諦めてるからこそ出来たことなのかもしれない。
殴る、蹴る、ほうきで叩く、雑巾で顔を拭かれる、そうやってひと通りの暴力を浴びていると、チャイムが頭上で鳴りはじめた。まるでチャイムが魔法かのように暴力は止み、奴らは散り散りになっていった。
無感情に体を起こすと、歪んだ表情のあっくんが居た。
一瞬だけ、本当に死にたくなった。
必死に何かを喋ろうとしている彼女の横を、ぼくはひと思いに通り抜ける。それから教室には戻らないで、僕は昇降口を抜け、初めて学校を中抜けした。同じ空間に居られない。もしも声をかけられたらと思うと恐ろしくて堪らない。
いつの間にか彼女は、世界で1番会いたくない人になってしまっていた。
******
放課後、片原さんに呼び出されて最上階に行った。
緊張しながら赴いたというのに、やっぱり彼女のほうに用らしい用はないようだった。
僕は肩を並べて階段に座る。片原さんは膝の上にノートを置いて絵を描いていた。ひとつずつパーツが加えられていって、やがて国民的アニメの猫型ロボットが見えてくる。シンプルなのにやたらと上手。普通の人が描く絵と、どこがどう違うのか分からないのに、明らかに彼女の描く絵は上手かった。
「はい完成っ」
「うまいじゃん」
「いや感情」
「うまーい」
もっと無感情になった。
だからか彼女も無視をして、再びノートに鉛筆を走らせる。
膝の上で窮屈に絵を描く姿を見て、ここに机があればいいのに、と思った。
「絵、続けてるのか」
「……私?」片原さんは絵を描きながら返した。
「そう、わたし」
「実は最近まで全然描いてなかったの」
「ふーん、そうなんだ」
なんで? と聞こうとしたけど寸前で止めた。危ない。
最近まで絵を描いていなかった。たったこれだけの情報なのにあれこれ勝手に考えを巡らせてしまう自分が嫌になる。
うしろに両手をついて天井を見上げる。誰にも触れられることのない天井は色褪せているものの綺麗で、なんだか僕の目を引いた。そのまま仰向けに寝転がりたくなったけどやめておく。ひとりだったら間違いなく体を倒していただろう。
そういえば少し前、廃墟を探訪するユーチューバーの動画を観た。蔓に覆われた廃墟駅に侵入して、駅のホームや待合室を映像に収めていた。ガラスは飛散、壁はボロボロに塗装が剥がれ落ち、足元には瓦礫や落下したであろう看板、また蓄積されていったごみの数々でいっぱいであった。まるで戦地にあるアジトのような異様な光景に、コメント欄は盛り上がりを見せていた。
なんであの動画を思い出しているんだろう。僕はあそこにでも行きたいんだろうか。人が去っていった虚構のような世界に。
でも行くとしたらやっぱり一緒がいい。
ぼくたちは夜が好きなんだ。あの薄気味悪い空間もきっとぼくたちなりの感性で楽しめるに違いない。
怖いもの見たさなんかじゃない。そこにいた生の痕跡なんかを突っぱねることなく受け入れるんだろう。
……といった具合で妄想が進行していたところ、スマホが鳴った。
当然僕のではない。
片原さんは鉛筆を止め、スマホと睨めっこをした。
盗み見るつもりは無かったけど、そこに≪沢井≫という文字が見えて、胸がちくりとする。
「もしもーし……えー今ってこと? うんうん……、うんうん……」
そうだ。彼女は片原あゆみ。たまたま同じ高校に通う同級生。それ以上でもそれ以下でもない。何度確認すれば気が済むんだ。
そもそも彼女はあの不良たちの友達だ。僕に対する土下座いじめの最初のターゲットだった。たまたま色々な偶然が重なって今は会っているだけで、住んでいる世界が違う人。
「今すぐは無理だから、とりあえずかけなおすね……はーい」
片原さんは電話を切った。
僕は間髪いれずに言った。
「行ってくれば」
嫉妬しているなんて思われたくないから、柔らかい言い方を心がけた。
「え?」
「遊びの誘いでしょ。行ってきていいよ」
彼女は硬めの笑顔を浮かべて返した。
「行ってきたほうが、いいかな?」
「うん」
「わかった」
抑揚もなくそう答えた彼女は、そそくさと荷物をまとめて立ち上がる。最後にノートを1枚破って「ほいっ」と僕によこした。無感情にそれを受け取ってみると、何やらさっきまで膝の上で描いていた絵らしかった。
男の子、というよりかは青少年。さっきの猫型ロボットと比べて、だいぶ大人風のタッチだ。もうすこし手を加えれば漫画のキャラクターにだってなり得るだろう。
「それ、たいちゃん」
「それはないだろ」
僕がこんなにかっこいいわけない。彼女はじゃあね、と手を振って階段を駆け下りていった。
……と思ったら。
「あ」
見切れる直前で、片原さんは足を止めた。それから、僕のほうを振り返った。
「ねえ、今日は見るの?」
「……たぶん」
「じゃあ、私も」
笑顔を残して今度こそ彼女は階段を下りていった。
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