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第1話 誰かが捨てた思い出を買ってみた




 僕には“思い出”というものがない。頭のなかに存在する記憶は、ただの出来事の積み重ねだけで、思い出という概念は当てはまらない。なんて寂しい人生なんだと、他の誰かは言うだろう。僕だってそう思う。


 “普通”16歳の高校生といえば、大好きな彼女が居たり苦楽を共にする仲間がいたりするものだ。学校にバイト、放課後に休日、あらゆる場面に宝石のような輝きがちりばめられていて、時間が川に流されるかのようにあっという間に流れていく。そして数年後とかに『ああ、あれはいい時間だったんだな』って思い出すんだ。


 僕はきっと、どこかで“普通”のレールを外れてしまった。

 たくさん怒られて、たくさん殴られて、たくさんイジメられて、たくさん嫌われてきた。その理由も分からないからどうすることもできず、僕はレールを外れたままとうとう高校生まで人生のコマを進めてしまったのだ。


 少しばかり脱線してしまったが、そういうわけで僕のなかに思い出なんて幸福なものは存在していない。だから、青春とか友情とか甘酸っぱい恋だとか、それらは別の世界にだけ存在する夢のようなカテゴリで、忌々しくもあり、同時に強烈な憧れでもあった。


 だから“メモリーズ”を買った。他人の思い出を買ったのだ。


 メモリーズはコミックの表紙のようにサムネイルが並んでいて、僕は画面のスクロールに夢中になった。

 これまで生きてきて、最も購買欲が掻きたてられていた。悔しいけれど、それほど()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、無の人間からしてみたらかなり魅力的だったのだ。


 軒並み4桁を超える高い値段が付けられているなか、唯一手の届く値段だった『幼馴染との恋』を注文。興奮冷めやらぬまま、数日後にそれは届いた。

 恥ずかしい話、幼馴染との恋とか本当に本当に憧れていたんだ。





 茶褐色の紙袋は文庫本2冊程度の厚みがあり、それでいて何も入ってないんじゃないかと思うぐらいに軽かった。僕は部屋に戻って早速、中身を取り出してみる。軽いわけで薬局で貰うような錠剤の入った包装シートが2枚と、説明書が1枚入っただけだった。


 説明書にざっと目を通してみる。書かれている内容に、特別変わったところはなく、1日に1錠だけ使用してくださいとか、15歳以上になってから使用してくださいとか、それこそ本当に薬局でもらう薬と同じようなことが書いてあるだけだった。


『メモリーズによって得た思い出の期限は第1錠目の使用から2か月です。それ以降、思い出は消失しますのでご注意ください』


 唯一、最後の行に記されたこの注意書きだけが、僕に「思い出を買ったんだ」という実感を与えてくれた。僕はようやく訪れた不規則な鼓動に安心感を覚えつつ、錠剤をひとつ包装シートから抜き出して、ひと思いに口に入れた。


 窓の外は晴れ渡っているものの、冬空はどこか成熟した色味をしていた。もう夕暮れは近いんだろう。ベッドで横向きになりながらそうやってぼんやりしていると、僕はいつの間にか微睡んでいって、すると現実の代わりに淡いタッチの映像が脳内に流れ出した。




<Episode 1>


 小高い丘の上にある家。大きな窓からは、夕焼けの光が真っすぐに降り注いでいた。ぼくの真正面に座っている彼女の顔には、絵で描いたように綺麗な影ができていた。


「なに?」


 ぼくは慌てて目を逸らす。


「なんで目逸らすの?」


「別に、いいだろ」


 悪態をつきながら再び“あっくん”の顔を見ると、落とされた影とは対照的に、無邪気で子供らしい笑顔を見せていた。だから見ていられないんだっていうのに。


 視線が迷子になっていたところ、電子レンジがチンと鳴った。あっくんは待ってましたと言わんばかりに椅子から飛んでいって、レンジからふたつのマグカップを取りだし、リビングのテーブルに運んできた。


「かんぱい」


 こつん、とぼくたち慎重にマグカップをぶつける。音のない空間で、陶器が触れ合った音が小さく響いた。

 おそるおそるカップに入ったホットミルクを口にした。思っていたよりも熱くって、ぼくは慌てて口を離してあっくんを見る。すると彼女もぼくのほうを見ていて、ふたりしてくすりと、小さく笑い合った。


「あっついよ、これ」


「ね。ふーふーしないとだね」


 そしてぼくたちは一緒になってホットミルクに息を吹きかける。ミルクの表面は息がかかるたび、何度も小さく波が立って消えてを繰り返した。「そろそろいいんじゃない?」彼女がそういって、カップに口をつけた。


「うん……もう大丈夫」


「ほんとか」


 ぼくもカップに口をつけ恐る恐る液体に触れる。


「……うん、ちょっと熱いけど」


「ふーふーって偉大だね」


 果たして息を吹きかけたおかげなのか、時間が経ったからなのかは分からない。でも、温くなったホットミルクは隠れていたミルクが顔を出して、ほんのりと甘い味が口のなかに広がっていった。


「……あのさ」


「ん?」


「電気、付けない?」


 あっくんの顔の大半に影がかかっていた。

 しかし彼女は首を振る。


「いいの暗くて」


 なんとなく彼女の言いたいことが分かって、ぼくは催促をしなかった。


「どう? 酔っぱらってきた?」


「ホットミルクだろ」


「そんなこと分かってる」


 頬を膨らませる彼女。


「……大人もこんなに早くは、酔わないと思うよ」


「ねえ、もっと暗くならないかな」


「そしたら本当に電気付けないと」


 あっくんは夜を楽しもうとしていた。

 日が暮れても家には帰らないで、家族以外の誰かとこうやって過ごしていることが、ぼくたちにとってはちょっとだけカッコよくて、大人への憧れでもあった。そしてこの時間は何度体験しても飽きるものじゃなく、いっつも新鮮で胸をどきどきさせてくれる。


『暗くなる前に帰ってきなさい』


 よく耳にするこの言葉は、ぼくたちにとって他人事だった。

 父親がいないぼくと両親が共働きで忙しい彼女、似たようなふたりがたまたま仲良くなったことが幸いした。ぼくたちはこうしてよく、日没よりさらに先の、本来退屈なはずの夜をともに過ごしているのだ。


「そろそろ帰る」


 やがて窓の向こうは真っ暗になり、家に帰る頃となった。

 途中まで送っていくと言ってついて来ようとする彼女を無理やり振り切って、ぼくは玄関を出る。背中から「ばいばい――」と若干不貞腐れた声が聞こえ、扉は閉まった。


 家のなかの温もりは一瞬で針のような冷たい空気に奪われ、ぼくは思う。寒いんだから家に居ろよって。

 小高い丘を下りはじめ、少ししてうしろを振り返った。


「……はは」


 明かりが点けられたリビングの大きい窓には、手を振るあっくんがいた。

 ぼくは前を向きなおして右手だけを上げた。心臓が忙しく脈を打っていて、ぼくは駆け足で丘を下った。




******



 目が覚めると部屋は真っ暗だった。オレンジ色の常夜灯が辛うじて灯っているだけ。ごろんと猫みたいに転がり窓のほうを向く。カーテンの隙間に見える向こうは真っ黒で、明らかな夜が訪れていた。


 強烈な違和感が頭のなかを襲った。

 まるで魔法から解かれるような、そんな感覚。途端に、七色の景色がばりばりと音を立てて崩れ落ちていった。


 そうだ……僕はメモリーズを飲んだ。

 幼馴染なんて居ない。あれは誰かが売った他人の思い出だったのだ。


 メモリーズの出来は期待以上だった。夢のなかは想像以上の快楽だった。でも、だからこそ、まだ僕はこの冷たい現実を受け付けられない。あまりにも眩しい光を見たときに、目を瞑っても中々その光が消えないみたいに。


 僕はベッドから手を伸ばしてメモリーズの包装ケースを手繰り寄せる。

 せめてもう1度、あと1度だけでも――。


 藁にも縋る思いで錠剤を取り出そうとした。ところが、指先を滑らせて包装ケースが床に落ちる。僕はすぐさま拾い上げ、再び錠剤を取り出そうとした。だが、指先が痺れているのか、思うように包装が剥がせない。押してもびくともしない。それから少しの間僕はただの包装ケースと格闘を繰り返す。だんだんと苛立ちが募って指先からはさらに器用さが失われていく。


 ああ、イライラする。一体どうしたってんだ。

 どうしても錠剤は綺麗に収まったまま、そこから出ようとはしなかった。


 ――1日に1錠だけ使用してください。


 まさか。

 そんな細工が施されているんだろうか。 

 にわかには信じられないが、その細工とやらを証明するかのようにその後も錠剤がケースから出てくれることはなかった。


 僕はメモリーズを床に放り投げ、ベッドで仰向けになる。シーツが汚れないよう、血で滲んだ指先を咥えながら天井を見つめた。頭のなかの焦燥感は未だに消えてくれない。イライラしているままだ。麻薬中毒になる人ってこんな感覚なんだろうか。だとしたら、僕は一切麻薬なんかには手を出さないだろう。こんなものが自力で止められるはずがない。


 しかし……。僕はふと考えていた。

 どんな幸せな人間がこの思い出を売ったんだろうか。


 灰色の人生しか味わってない僕からしてみたら、こんな思い出、あるだけでもう残りの人生なんか無くったっていいぐらいだ。たかだか金なんかの為に売った持ち主の気持ちが理解できない。なんだか……会ったこともないけれど、売主とは価値観が合わないだろうし恐らく僕が嫌いなタイプの人間だろう。


『思い出を売ったら、その出来事はなかったことになる』


 メモリーズについて調べていたときに、そんな記述を見た覚えがある。

 つまり売り主にとって、幼馴染との恋は失っても良い、不必要なものだったということなんだろう。


 しかし誰かが要らないといって捨てたものにこうも感情を奪われてしまうなんて……。なんだか自分がとっても惨めだし情けない。こんな気分になるくらいならメモリーズなんか買わなければよかったんだ。


「はあ」


 大きくため息を吐いた。


 なんだか、やっと現実に戻ってきたような気がした。意を決してベッドから起き上がり、僕は学習机に座って、置いたままのスマホを手に取る。ユーチューブを開いてお気に入りのアニメを検索した。素朴な中学生男子とその周りの女の子たちの、ちょっぴりエロティックなラブコメディ。もう擦り切れるほどに観たそのアニメを第一回目から再生をして、ただぼうっと眺めつづけた。


 僕の唯一と言っていい趣味、その全てがこれだ。

 そうやって考えてみると、一体何が現実なんだろう。現実世界だって僕はこうして虚構に逃げ続けているじゃないか。




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