◆33 予定なんてものは、はなからない
皇城の、シリル殿下の居宅の手前の廊下。曲がり角で、彼の姿を視界に捉えると、手を握られすぐそばのドアに共に潜りこんだ。
「んっ……」
先ほど視界の端に入った、元婚約者の姿。その後すぐに俺を呼ぶ声が聞こえてくる。この扉の前でヒールの音を鳴らし、その音は俺達の方にまで聞こえてくる。
ダンテ、ダンテ。そう俺を呼ぶ声が聞こえる傍らで、俺達は口づけを交わしていた。すぐそこに、俺の背中につけたドアを隔てたすぐそばに、元婚約者がいる。その事実に、感情が高ぶった。
俺と殿下の高鳴る心臓の音が大きく聞こえてくる。この状況に高揚していき、快感を得ている。
すぐそこにいる元婚約者にこの姿を目撃されたら、俺と殿下の地位は完全に地に落ちるだろう。社交界での俺達の評価は酷いものとなるだろう。
それでも、この口づけをやめられない。離したくない。そう思うと、殿下の首に回した腕に力が入り、殿下に身体を隙間なく密着させた。
こんな姿、まるで変態だな。悪い遊び、とも言うか。
やがて、足音が遠くに消えていった。耳で確認出来たところで、俺達は唇を離した。
「はぁ……よろしいのですか、婚約者様がここにいらっしゃるようですが」
「探しているのは俺ではなくお前だろ。そんな薄情者に割いてやる時間はない」
「自分の婚約者よりも、私に時間を使ってくれるとは。周りが見たら驚くどころではないでしょうね」
「俺の時間はダンテ、お前にしかやらん」
「はは、嬉しい言葉ですね」
「そう思うなら、お前の時間を俺に寄こせ」
「だからこうして会いに来たのではないですか。これではご不満ですか?」
「……」
殿下は、俺の問いに口づけで答えた。
今邸宅には元婚約者が何度も何度も訪れては騒ぎ出すので、なかなか殿下はウチの別邸に行くことが出来ない。だから、俺の方から何度も皇城に赴いている状況だ。
今、ルアニスト家は窮地に立たされている事だろう。殿下がルアニスト侯爵に脅迫じみた言葉を突き刺したのだから。もう後がないのだから、頭を抱えている頃だろう。
油断させておいての、この仕打ち。だいぶ堪えた事だろう。人間は、追いつめられると本性を現す。さて、この後彼らはどんな行動をするのか見ものだな。
だが今、油断出来ないのは娘の方だ。毎回毎回俺の屋敷に来ては騒ぎ立ててくる。困ったものだな。
唯一の救いと言えば……
「……今日のご予定は?」
「ない。言っただろう、俺の時間はダンテのものだ」
俺をソファーに押し倒し、シュルっとネクタイを引っ張り解いてきた。ボタンを少しずつ外し、首筋に口づける。今日の俺の予定は……そもそも口実を作ってここに来たのだからないに等しい。
騒ぎ立てる元婚約者がいるにもかかわらず、外出をする理由は、シリル殿下にお会いする為。どこかの誰かさんのせいでどんどん蓄積されていくストレスを何とかするために、シリル殿下に発散してもらっているとでも言っておこうか。
性欲、というわけではない。ただ会って、口づけをするだけで気が楽になってしまう。悔しいところではあるが、事実なのだから仕方ない。
「痕は付けないでくださいよ。この前大変だったのですから」
「……いつならいいのだ」
「成人の儀が終わってから。それまで我慢です」
「……分かった」
虫刺されと称し鎖骨に付けられた痕は、メイド達は騙されてかわせたのでよかったが、その後また首元に一つの赤い痕が発見された。しかも、俺の見えない、後ろ側に。
襟で隠せるところではあったものの、これを発見したメイドは……泣き叫んだ。それは周りのメイド達に伝染し、中々収拾がつかなかったのだ。また虫刺されで収めたがな。
またその事態を招くのは骨が折れる。今、他の事で頭が痛いというのに、仕事が増えてしまうのはたまったもんじゃない。
成人の儀が終わってから、というのは……首都に留まらなくてはいけない成人の儀が終わったら早々に首都を離れる計画を立てて殿下に提案したからだ。
たまたま俺が別荘に滞在している期間中に、たまたま殿下が視察で俺の別荘近くを通った。理由なんてそれで十分だ。
別荘にはカーチェス他数名しか連れていかない事になっている。別荘もさして大きいわけではないから使用人はそれくらいで十分だ。あとはカーチェスが上手くやってくれるだろう。
「んっ……でん、か……やりすぎは……」
「何のことだ」
……今日の帰りは、遅くなりそうだな。この様子だと、腰が砕ける覚悟を決める必要がある。きっと、休まないと皇城の門前で待機している馬車まで辿り着けない。




