◆31 やられた……
第一皇女殿下が俺に忠告した事を思い出しつつ、離れていた会場に戻った。いやな予感もするし、すぐにご令嬢達に見つかるだろうから、早くレスリス公爵の元に戻ろう。そう思いつつ、会場内を見渡した。
だが、ふと、視界に入った。
目が合った。
とある人物と。
「……殿下」
シリル殿下だ。このパーティーに来ていたのかと思っていたら、隣にいる人物とも目が合った。
あぁ、こういう事か。と、悟った。確かに、公爵は悪ふざけが過ぎるな。だが、これはやりすぎではないのか?
アイツは、ダンテの素顔を知ってる。俺が憑依する前までは長髪であまり顔が見えなかったため、短くした後は周りには自己紹介をしないと認識してもらえなかった。だが、長年の付き合いだったアイツは一度見れば認識出来ただろう。
俺を見たあの顔。こんな距離にいても、俺の事が分かったみたいで相当驚いているようだ。
「……ご機嫌麗しゅう、第二皇子殿下。ルアニスト嬢」
「……ブルフォード卿も来ていたのか」
「はい」
俺の事をブルフォード卿と呼ぶ殿下の言葉に、隣の元婚約者は驚愕している様子だ。分かっていても、信じられないと思っていた事だろう。
「ダ、ダンテ……! このパーティーに参加していたなんて知らなかったわ、今日会え……」
「そういえば、そろそろ成人の儀ですね、殿下」
「あぁ、そうだな」
元婚約者の言葉を遮り、隣のシリル殿下と談話を始めた。その態度に痺れを切らしたのか手を掴もうとしていたが、俺はその手を視線を向けずに払った。
まさか、隣に自分の婚約者がいるにもかかわらず、元婚約者、そして未婚の男性の手を掴もうとするとは。公衆の面前だというのに、分かっていてやっているのだろうか。
「ダンテ!」
「――ルアニスト嬢」
よもや未婚の男を呼び捨てするとは。阿呆なのか、と呆れていた時、この場の空気が凍り付くような感覚を覚えた。
目の前に立つシリル殿下の、元婚約者に向ける視線が……まるで鋭くとがらせた氷柱のように感じたからだ。
「っ……」
そのせいで、周りの視線が俺達に集中する。そして、会場内に静寂が訪れた。それもそうだ、俺達3人の関係をよく知っているのだから。俺の元婚約者と、俺から元婚約者を奪った現婚約者。何とも恐ろしい地獄絵図である。
では失礼します、と早々にその場を離れた。
「……レスリス公爵」
「何かな?」
ようやく見つけたレスリス公爵は、にこやかな視線を向けてくる。俺が言いたい事を悟っているようだ。
「悪ふざけが過ぎるのでは?」
「おや、何の事だろうか?」
勘弁してほしいんだが。やってくれたな、この狸爺め。その顔を見るに、今の状況を面白がっていることだろう。見世物ではないんだが。
しかも、周りの参加者も困惑している。なんてことをしているのか自覚して実行する辺りだいぶお人が悪いな。
もうここに用はない。ではこれで失礼します、と一言残し会場を後にした。
それにしても、シリル殿下のあの眼光には恐ろしさを感じたな。背筋がぞっとした。あんな一面は初めて見たな。そう思いつつも馬車に乗り込み、邸宅に戻ることが出来た。
「ふぅ……」
戻った私室で上着を脱ぎネクタイを緩め第一ボタンを外しつつ、息を吐いた。
元婚約者と一緒にいるシリル殿下とは出くわしたくなかった。周りが面倒になるからな。今回は、シリル殿下のあの眼光に助けられたが。
だが、今日の元婚約者のあの様子。恐らく、また接触してくるだろう。だが対策は明日にしよう。それで間に合う。
指示した湯浴みの準備が終わるのを待っていると、カーチェスが私室に入ってきた。だが、何やら焦っているように見える。
「その、お客様が……」
「客?」
「別邸にお通ししましょうか」
別邸、という事は……先ほどパーティーでお会いしたシリル殿下か。
時間を見るに、俺が帰った後早々にパーティーから帰ったようだが……まさかこちらに来るとはな。
「分かった。すぐ行く」
パーティーでのあの眼光を思い出し、身なりを戻して別邸に急いだ。
このタイミングで来るという事は、俺が帰った後の会場で元婚約者が何かやらかしてくれたのか。またやってくれたなと心中であの小娘を罵倒しつつ、別邸のいつも殿下をお招きする部屋に。
ドアを開けると……瞬く間に視界を遮られた。力強く、抱きしめられる。この匂いは、シリル殿下だ。
シリル殿下、そう言うつもりだったが、遮られた。殿下の唇で。深い、深い口づけが何度も繰り返される。いつものような、ソファーの上で、ベッドの上で交わす口づけよりも、荒く、貪り尽くすような口づけを。
殿下の首に腕を回し、引き寄せた。そのまま、シリル殿下は俺を持ち上げる。そして向かう先は、この部屋に設置されているキングサイズベッド。
ゆっくりと、降ろされ殿下が覆い被さる。だが、茫然とするような顔を浮かべている。それは一体、誰に対してだろうか。
パーティーでの、殿下のあの様子が脳裏に浮かぶが、目の前にいる殿下とは別人のようにまで感じる。
「……私以外に、お前のこの姿を見たものはいるか」
この姿、とは……こういう事を誰かとしたことがあるか、という事か。
前世では彼氏がいたからしたことがある。だが、この姿と言うのだからダンテになってから、というのが正解か。
微笑み、殿下の頬に手を添えた。
「シリルだけですよ」
「……まさか、この俺が嫉妬するとはな」
「へぇ、嫉妬してくれたのですか」
「……俺はとんでもなく独占欲のある男らしい。自分の婚約者がお前の事をダンテと呼ぶだけで、嫉妬してしまった。あの会場内で、お前に口づけをしたいと思ってしまった」
元婚約者は、変貌した俺の姿を一度も見ていない。今日、あの場で初めて目撃し驚いたことだろう。つい、口から出てしまった。それなのに、そこまで嫉妬してしまったという事か。
「自身の立場も忘れ、婚約者も置き去りにしてこんな所に来るなど……この国の皇族が聞いて呆れるな」
立場も、か。危ういところに立っていても、その原因である俺の元に来ては何も言わず組み敷き、俺の願いを迷うことなく実行する。ここまでくるとは思っていなかったな。
でも、それは俺が望んだ事だ。
もっと溺れろ。その意味を込めて、殿下に口づけた。
だが、忘れてはいけない。殿下だけではない。俺も――




