◆3 公爵家当主への第一歩
異世界には、日本と違ったものがいくつもある。乗り物もその一つだ。
玄関前に用意されていたのは、真っ黒な馬車。馬車の先頭にいる馬も黒い毛並みだ。
俺の知っている馬車といったら茶色や白の馬車だが、黒い馬車ときた。金色の装飾がされていて、真ん中にはブルフォード公爵家のカッコいい家門が描かれている。だいぶ高級感があるな。さすが公爵位を持つお貴族様の馬車だ。
「どうぞ」
「あぁ」
中は思ったより広く乗りやすい。そして極めつけはこの椅子だ。このふわふわ感はたまらない。長時間座っていてもお尻が痛くならなそうだ。最高級寝具といい、やっぱり金持ちはいいな。
初めての馬車にドキドキしつつ、背もたれに背をぴったりとくっつけて動き出すタイミングを待っていた。すると合図があり、静かに動き出す。馬が引くのだから動き出す時は大きく揺れるんじゃないかと思っていたのに、案外ゆっくりと動き出した。これなら快適だな。
馬車に揺られつつ俺が向かう先。それは……
「困ります、ブルフォード公爵様」
「どうせ中にいるんだろ、ルアニスト侯爵は。なら通せ」
「ですが……」
元婚約者の家であるルアニスト侯爵邸だ。だが、門前払いされそうになってしまっている。俺が馬車から出てきても門番は門を開ける事を渋っているんだが、これでは用事が済ませられない。さて、どうしたものか。
そう思っていた時だった。
「何よ、ダンテ」
騒ぎを聞きつけたのか、庭から出てきたダンテの元婚約者が見えた。
新しい婚約者のいる皇城にでも行ってるのだと思っていたから会わないだろうと予測していたが……まさかそちらから来るとはな。数日前に婚約破棄をした間柄だから顔を合わせるのは避けるのが普通だろ。
「今更謝りに来たところで、婚約なんて戻さないんだから」
「ルアニスト侯爵はいらっしゃいますか?」
「……は? お父様?」
俺は元婚約者に用事なんて微塵もない。とんでもない事をしやがったこいつとは顔も会わせたくないくらいだ。だが、丁重に接するのは大人のマナーだ。そこは不器用なダンテと違ってちゃんと心得ている。
「えぇ、ご用件がありましてね。急を要していますので訪問のご連絡が出来ず申し訳ない。出来れば、入れてもらえると嬉しいのですが」
「……」
いきなり俺が態度を変えて敬語を使ってきたからか、疑っている……というよりかは珍しがっている、と言ったところか。でも、何やら嬉しそうにも見えるな。
一体どんな心境なのかは分からないが、これはいけるのでは? と思ったらビンゴ。早く門を開けなさい、と門番に指示をしていた。意外とすんなりいったな。
「別にアンタのためにやったんじゃないんだから。お父様のためにやったんだから」
これは、よくあるツンデレ系女子というものなんだろうが、俺には全く関係ないな。さらっと流そう。
幼少時代の記憶の中には、このルアニスト侯爵邸がいくつかあった。生前の両親に連れられて来たのだ。
その記憶は俺が今見ている風景と同じ。とても華やかで、進むにつれて広々とした庭園や、噴水に石像と視界に入ってくる。
ダンテと彼女が婚約したのは、9年前。その後両親が帰らぬ人となり、その後ルアニスト侯爵夫人は病に伏しこの世を去った。だからこの屋敷にはルアニスト侯爵と彼女しか住んでいないと聞いている。
彼女は俺を屋敷内に入れ、客間に案内した。周りの使用人達は、俺が来たことにだいぶ驚愕しているようだ。まぁ、どうせ婚約破棄の噂を聞いていることだろうし、その反応が正解だな。
「で? 何か言いたいことがあるようだけど、言ってみなさいよ」
俺が座るソファーの、ローテーブルを挟んだ向こう側のソファーに座った元婚約者。怒っている体を見せたいのか腕組みをしてこちらをジト目で見てくる。とはいえ、俺はこの元婚約者には全く用がない。
偉そうな態度にカチンとくるが、俺はお前のように幼稚ではないからな。さらっと流そう。
それにしても、この客間の壁掛けの絵は凄いな。どこの風景なのか知らないが、この額縁は金色だ。まさか全部純金……なわけないか? いや、あり得そうではあるな。
「ちょっと!」
口を閉じ一向に話し出さない俺にしびれを切らしたのか、元婚約者が何かを言おうとしていたが……ノックがされた。ルアニスト侯爵がようやく来た。
客間に入りすぐに俺に向けた表情で、俺を不審がっていることが窺える。まぁ、そうだろうな。何も言わずにいきなり訪問してきたんだから。
とりあえず……強気でいこう。弱気でいったら足元をすくわれる。俺の斜め後ろにカーチェスがいてくれてるから心強いしな。
ルアニスト侯爵は、娘である元婚約者の隣に腰を下ろした。
「連絡もせずに押しかけてしまって申し訳ありません」
俺のこの一言に親子揃って驚愕しているようだ。まさか謝ってくるとは、とでも思っているんだろ。ダンテは、自分から他人に謝ったことなどないからな。
「今日は、侯爵に預かっていただいていたものを返していただきたいと思い来た次第です」
「……」
「預けたもの……?」
侯爵が眉を動かした。預けたもの、の予想が付いたようだ。
「ブルフォード公爵領の帳簿と、シグネットリング、他ブルフォード公爵家に関するもの全てを返していただきたい」
「っ!?」
「えっ……?」
俺のその言葉に、侯爵は顔を強張らせた。それもそうだ、ダンテは今までそういったものには全く興味を示さなかったのだから。どうせ婚約破棄しても取りに来ないだろうと高を括っていたのだろうが、残念だったな。
ブルフォード公爵家は、ダンテの両親が亡くなった後、婚約者の父であるルアニスト侯爵に実権を握られてしまっていた。
『君はまだ未成年だ。なら、私がブルフォード家の代理人になってあげようか』
『……ほしいならどうぞ』
……いや、そこはどうぞじゃない。いや、その当時のダンテの心境では放り出したい気持ちは分かる。分かるが……そこはどうぞじゃない。
代理人になる。それは当主ではない人物に実権を握らせるという事になる。それは家族でなくても可能だ。だが、それはあってはならない事。なんせブルフォード家は最高位である公爵家。その中でも皇族の血が流れているから他の公爵家よりも格上の家だ。
ダンテの父親が亡くなったとあれば、未成年であっても嫡男のダンテが当主となり受け継ぐべきところだ。それなのにあっさりとルアニスト侯爵にぽいっと譲ってしまった。
それがあったから、今日は返してもらいに来たというわけだ。ダンテの記憶上、ルアニスト侯爵が簡単に「はいどうぞ」と返してくれる事は期待しないがな。
「今朝、婚約破棄に関する書類を皇帝陛下に提出しましたから、もう侯爵とは何の関係もありません。ですから、返してもらうのは当然の事でしょう?」
「君は25とまだまだ若い。経験もないのだから私が代わりにしてやった方が領民達も幸せだろう」
「侯爵はお忘れですか。帝国憲法を」
「……」
帝国憲法の中にある、領地管理に関する法律だ。もちろん、その内容も脳内の本棚にちゃんと収納されている。
「領地管理を当主ではなく代理人に任せる事は可能です。その代理人は、本人の家族、または将来家族になると約束された者。そして、本人が相手を選んで頼んだ者が選択肢に入る。ですが、私はそれを望んでいません。これがどういう意味を持つのか、分かりますね」
これは、返さなければ法律違反として国に訴えるという脅しだ。さっさと返せ、と言っているようなものだな。
「……お前の両親が亡くなってからずっと、長い間私が代理人として勤めてきた。その恩を忘れたとは言わせないぞ」
「恩? どういう意味です?」
そう言いつつ、口の端を釣り上げて足を組んだ。俺のこんな態度が気に入らなかったのか、侯爵は声を荒げた。
「この若造がっ!! 何もせずただ呆けていたくせに今さら何を言い出すかと思えばっ!! お前のような奴が領地管理を始めたところで失敗するのが目に見えているだろう!!」
「やってみなければ分からないでしょう。それとも、何か後ろめたいことでもあるのですか?」
「そんなものっあるわけがないだろうっ!!」
いや、俺は知ってるんだが。貴方のお隣に座ってらっしゃる元婚約者のおかげだが。
「侯爵、貴方は今紡績業に力を入れているようですね。今では国内で有名となるほどの名声を持ち、貴族の中で名を知らぬ者はほぼいない」
「それは今関係ないだろう」
「侯爵領の管理の他に、広大なブルフォード公爵領の管理まで担い多忙の事だというのに、ここまで急激に成果を出し今では業界を牛耳るほどの人気を誇っているのだから、秘訣でも教えてもらいたいくらいだ」
「っ……」
俺は知っている。有り余るブルフォード公爵家の財産を横領し、それを資金としてどんどんつぎ込んだ事を。
この異世界では、お金さえあれば大体は何でも出来てしまう。大金をつぎ込めばそれくらい簡単に出来るという事だ。まぁ使い方によるがな。
ダンテが横領の件を知っていたのは、お前の娘がペラペラしすぎたせいだ。その情報を計算すれば、賢いダンテなら横領している事が簡単に分かってしまう。
まっ、ダンテ本人は分かっていても興味がないからと右から左に流していたがな。だが、俺は黙ってないぞ。
数年前に侯爵が代理人となる際、契約書を国に提出している。その中には、公爵家の財産他諸々には私用で手を出さないという約束事があった。それをあっさりと侯爵は破ったのだから自業自得だ。
「さ、どうします?」
「っ……」
「それとも、私はこのまま皇城に向かった方がいいのかな?」
「……~~~~~っ!!」
そして、血管が切れるのではないかと心配してしまうぐらいの興奮気味でこちらを睨みつけ、使用人達に持ってくるよう指示を出していた。さ、いっちょ上がりだ。
「帳簿が一冊足りませんよ」
「……持ってきなさい」
「は、はいっ」
バレないとでも思ったか。アホだな。
侯爵の隣に座っていた元婚約者は理解出来ず困惑しているような様子だった。俺としては彼女に用はないので黙っていてくれると助かる。
「これで全部ですね。では、私はこれで失礼します」
さ、必要なものは手に入れたのだから、もうここに用はない。さっさと帰ろう。ブルフォード公爵家の財産を横領した大金には、これ以上は目をつぶってやる。お金などは湧き水のように湧いてくるのだから俺には関係ない。数年間代理人として管理してくれたお礼とでもしておくか。
ソファーから腰を上げ客間のドアに向かった。侯爵が俺の名前を呼んだが、俺にとってはもう用がない。だから無視をした。
この部屋のドアをカーチェスが開き俺は部屋を後にした。普通ならこの屋敷の使用人がドアを開けるはずだが、誰も開けななかったから仕方なくカーチェスが代わりに開けたのだ。
ここの使用人達は職務怠慢だな? カーチェスを見習え。例え驚いていてもちゃんと仕事をするぞ。
「さっさと帰ろう」
「かしこまりました」
「待ってっ!! ダンテっ!!」
俺の名を呼びつつ後ろから追ってきたのは俺の元婚約者だ。今度は何だ。もう疲れたから早く帰りたいんだが。
「どういう事よ、さっきのは!」
「婚約破棄したのだからもうあなた方とは関係ないでしょう。ただそれだけの事です」
「っ……そう、だけど……」
彼女を残してその場を去った。ダンテの怖い睨み方を真似したから、萎縮している事だろう。
それに、俺はそんなのに構っていられるほど暇じゃない。勘弁してくれ。
とりあえず、ミッションはクリア。俺が乗ってきた馬車にさっさと乗り込んだ。