◆24 懐かれた
懐かれた。
その一言に尽きる。
「……次、いつ会えるのだ」
「そうですね……口実でも作りましょうか」
殿下は寂しがり屋なのか、いつも首に手を回して抱きしめてくるのだ。これがわんこと言わず何と言うのだ。今まで警戒して睨みつけてきたというのに、この手のひら返しはなんだ。……俺が言うのもなんだが。
世間からすれば、俺達が一緒にいるところを見られると面倒な事になりかねない。だから、極力見られないように気を付ける必要がある。だが、何故か皇子は皇城の一室の鍵を手に入れ俺を引き入れる。もちろん内鍵をかけて。
「殿下、そろそろ戻ったほうがいいのでは?」
「殿下はやめろ」
「……はぁ、シリル様」
「様もいらない。先ほどもそう言っただろう」
「はいはい」
「……皇族以外にそんな態度を取ってくるのはお前が初めてだ」
でしょうね。と、内心呆れつつも口づけをしてきた殿下に応えた。
ソファーに押し倒された俺の目の前には、覆いかぶさる殿下の姿。はたから見たら俺の方が年上の為タチだと思われるだろうが、実はネコだなんて……誰も思わないだろうなぁ、はは。
「もう一回」
「どうぞ。と言いたいところですが……また今度です」
「……時間はまだある」
「ダメです。俺が帰れなくなりますよ」
ふくれっ面でずいっと顔を近づけてくる殿下を可愛く思ってしまう。本当に可愛いのだから仕方ないだろう。許してしまいそうになるが、これでは腰が限界を超えて、皇城の門前で俺を待っている馬車まで辿り着けない。
そして、俺に痕を付けたがるところも阻止しないといけない。流石にそれをメイド達に見られたら、泣き出して収拾がつかなくなる。
「はぁ……仕方ないな」
「ありがとうございます」
あれから、装飾品製造事業も、紡績事業も良い結果を出し続けている。そのためルアニスト侯爵家は大打撃を受けている最中だ。その状況を見た、侯爵家と事業提携していた革製品卸売業を事業としている侯爵がルアニスト侯爵との契約を打ち切り俺に声をかけてきた。
もちろん、俺は紡績事業と事業提携の契約を結んだ。そのおかげで俺の事業に拍車がかかり良い方向に向かって進んでいる。ここまで上手く事が進んでしまい逆に怖いくらいだ。
だが、婚約者の家がこんな事になっているにもかかわらず、殿下はこの様子。完全に切ったという事か。きっと、殿下の所有している鉱山の件は婚約者を通してルアニスト侯爵から話があっただろうが、この様子だときっと断ったのだろう。残念だったな。ざまぁみろ。
「……殿下、お願いがあるのですが、よろしいですか」
脱ぎ捨てていたものを拾い上げ、紳士服のスラックスを履く。部屋のソファーに座り、シャツを着ながらそう声をかけた。
「お前からお願いとは、珍しいな」
「そうですか?」
今までお願いはいくつかしたと思うが。痕をつけるな、とか。そんなに珍しいことだろうか。
「殿下の婚約者が可哀そうですからね。優しく接してあげてください」
「……」
思った通り、先ほどよりも不機嫌なふくれっ面で俺に目で訴えてくる。着替えている最中にも関わらずに横から抱きしめてくるが、これでは着替えられない。そこまでしてやりたくないのか。
「……会ってはくれるのだろう?」
「もちろんですよ。今まで通り」
「……分かった」
だいぶ、今までよりも扱いやすくなったな。俺が何を考えているのか大体の予想は出来ているだろうに、それを分かっていての了承。もう自分の立場などは気にしていないのだろう。まぁ、俺としても殿下を失脚までさせる気はないがな。
……と、思っていたのに。ボタンを閉める俺の手を掴まれ、逆側に押し倒された。そして、覆いかぶさるように殿下が組み敷いてくる。
「お願いを聞いてやる代償だ」
「……今度って言ったでしょ」
「なら聞いてやらん」
……たったの6歳差だと思ったんだが、この違いは何だ。元気すぎるのも困りものだな。しかも、我儘ときた。駄々っ子とは殿下の事を言うのか。
仕方ないな、計画の為だ。そう自分で割り切り、殿下に口づけをした。殿下もお気に召したのか表情を柔らかくして俺に応えた。
今まで殿下は、皇子たる姿で表に出ていたが、婚約破棄後は俺と遭遇するたびに警戒したような顔を見せてきた。
そして、今。ふくれっ面や不機嫌そうな顔をするものの、俺よりも柔らかい表情を見せてくる。それはもう、好みな顔でそれをやられたら何でも許してしまいそうになる。……ダメなものはダメだが。
「ちょっ、まっ、殿下……!」
「虫刺されだ」
やられた。右側の鎖骨辺りにチクリと痛みが一瞬走ったかと思ったら、まさかの痕をつけられたか。ダメだと何度も言ったのに。虫刺されでメイド達が騙されてくれるか分からないが、覚悟は決めておこう。薄く付けたから安心しろと言ってくるがアウトだろ、これ。
文句を言うつもりだったのに、もうすでに余裕なんてものはなくなってしまっていた。俺のお願い事がそんなに嫌か。殿下と婚約者との仲がそんなに悪くなっていたとは知らなかった。
「……やってくれましたね」
「お前の願い事だからな、ちゃんと叶えてやる」
「……はぁ、頼みましたよ」
「あぁ」
なら、きっちりとお願いを聞いてくれなければ割に合わない。任せましたよ。
最後の一回で腰は少々痛いが、歩けないほどではない。馬車まで辿り着ければあとは心配いらない……が、馬車に辿り着くまでの難関がいくつもあるんだよな。ご令嬢達に捕まれば立ちっぱなしとなってしまう。それはキツいな。
まぁ、このまま上手くいけばいいか。と思いつつも腰を抑えつつソファーの背もたれに手を置き上半身を起こした。俺が腰をさすっているところを見て何を思ったのか、殿下が俺の身支度を整え始めた。もうすでに殿下は終わっていたようだ。
「次は」
「……手紙を送ります」
「分かった」
首に回したネクタイを結び、最後の上着残しで着替えが終わる。ネクタイが案外綺麗に結ばれていて驚いたな。普通、殿下の着替えは使用人が手伝うのだからネクタイを結うのも使用人の仕事のはずだ。だいぶ手慣れているな。
殿下は手加減をしてくれたようだが、少し休んでから出る事にしよう。きっとご令嬢達に捕まる事だろうから。
殿下にはお願いしたが……さて、俺の元婚約者はどう動いてくれるだろうか。ルアニスト侯爵の顔も見ものだな。
「悪い顔をしているな。次に何を企んでいるんだ?」
「聞きたいですか?」
「……いや、いい」
と、否定し口づけてきた。まぁ、殿下の婚約者の家を潰す計画を聞きたいかどうかって質問だよな、今のは。聞きたくないか。
「お前が何か行動を起こせば、どうせまた社交界で噂になる。それまで待っているとしよう」
「……」
……いいのか、これ。自分の婚約者の事だというのに、楽しんでいるように見えるのは俺だけか。まぁ、協力してもらっている身としては何も言わないが。
そして数分後、口づけを交わしてから俺が先に退出し、数分後に殿下が退出したのだ。
「あら、首都にお戻りになっていらっしゃったのですね、ブルフォード公爵様」
「えぇ、先日戻りました」
……早く屋敷に帰らせてくれ。腰が限界を超える前に。
それに、これから鎖骨についた虫刺されの件を何とか収拾しないといけないんだ。勘弁してくれ。




