安定と無秩序の狭間で
「く、クロさんっ! 一体全体、これはどういうことだ!?」
狼狽した加藤の声。
「まだです」
それを制すると、部屋の奥を指差す。
そこからドアを突き破るように開け、出てきたのは先程の変質した調整者と同じように変貌を遂げた姿の、元人間だった。
首を刈られた調整者より変質が進んでいるようで、半ば人としての原型が、無くなっている。もう、肉塊と呼ぶ方が近い。
「やはり、あちらもダメそうですね」
クロがオボロを見ると、オボロは嫌そうに顔を歪めている。確かにあれを切ると刀が酷く汚れてしまいそうではあった。
「ぐぉあぁぁぉー」
その、変質した姿の者が雄叫びをあげる。声帯も変なのか、くぐもった声だ。
そして、そのままこちらへと駆けてくる。
その肉塊の向かった先は、加藤だった。
「うぉっ!?」
思わずといった様子で、七武器の一たる短槍を突きだす加藤。
槍が突き刺さった瞬間。一瞬、静寂が訪れる。
すると、不思議なことが起こった。
短槍の穂先から七色の光がもれたかと思うと、槍の突き刺さった肉塊がほんの僅かの間だけ、人の姿になったかのように見えたのだ。
しかし、それは本当に一瞬のことだった。次の瞬間には、変質した肉塊が、ボタボタと崩れ、加藤の足元に倒れこんでくる。
「うわ、うわっ!」
崩れ落ちた肉塊から何かの液が床を広がり、加藤の靴にかかりそうになる。
慌てて飛び退く加藤。
その手に持った短槍にも、肉片がベッタリとついていた。
飛び退き、手元の状態を確認して、加藤は絶望の表情で穂先を眺めていた。
「……クロさん、これは一体どういうことか聞いても良いかな?」
室内を見回し、少し罪悪感にかられた表情を浮かべながらも、部屋の窓にかけられていたカーテンで穂先を拭いながら加藤が質問する。
「見ての通りですね。ダンジョンはすべてを変質させます。魔素の充満したダンジョンでは、その魔素の影響により様々な不可思議な事象が観測されるのは当然ご存じでしょう?」
「ああ、ダンジョン学の基礎、だな。ダンジョン内では動くものはすべて変質する可能性があると言われているな」
「そうです。それは無機物でも生じます。特に車輪やプロペラを持つモンスターが、無機物のなかで比較的数が多いと言われているのはそのためです」
どこか自嘲的に告げるクロ。自らの出自の自覚あっての発言だった。
「それはそうだが、しかしな。人が変質した事例はない……いや、え……」
そこで言いよどむ加藤。
脳裏を過るのは、アトミックビーを手に持って冷蔵庫に入っていた時の記憶。
その時の外での出来事は、ちょうど目黒から後日聞いていたのだ。
「そうですね。ユウト様は今まさに非常に危険な道を歩かれていると言えます。ただそれでも、今はまだ──。皆様、良き隣人のお陰でかりそめでも平穏があると言えます」
感謝するように告げるクロ。
それは前のクロからは想像できない発言だった。そしてオボロも、そんなクロの発言に無言で頷いている。
「まあ、ユウト様が変質するとしてもあんな無惨で不細工にはならないでしょう」
「それはわかった。しかし、何でここでなんだ?」
「推測ですが、ここのダンジョンに、何か特別なレアモンスターがポップしていたのでしょう。ダンジョンに心を囚われ、肉体を変質させるような、特別なレアモンスターです。ただ今はもう、それが何かはわかりませんけれど」
「そう、それだ。ここのダンジョンが消えたと言っていたが、目黒詠唱がどう関わるのだ、クロよ」
黙っていたオボロが、そこでようやくクロへの質問に加わってきた。




