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エピローグ ヘシカ・レポート


 その間、世界はほんの数日平和になった。


 スパルヴィエロ特務航空隊遊撃小隊小隊長、碓氷藤乃中尉の働きにより、人類はセプテントリオンの多数派を占めていた「アリオト派」との和解に至ったのだ。同時に、碓氷中尉がかつてセプテントリオンに捕食されながらも奇跡の生還を果たし、人類にシェルヴールの基礎技術をもたらした少女「イヴ」であったことも全世界に公表され、碓氷中尉は一躍有名人となった。


 だがしかし。

 スパルヴィエロ艦長であり国連軍の「ハイタカ作戦」と銘打たれた一連の反攻作戦、その最高司令官でもあるグロリア・リグーリア中将は、碓氷中尉の行為は重大な軍規違反であるとして彼女を拘束、セプテントリオンから奪還した。

 その作戦過程において、アリオト派の中枢を成していた「繭」と識別された個体は消失し、アリオト派は和解後一週間と経たずに瓦解。制御を失ったアリオト派は従来通りのセプテントリオンに戻り、人類とセプテントリオンとの生存戦争は再開されるに至った。

 アリオト派との停戦と第六次ハイタカ作戦の終了、そしてアリオト派消滅と第七次作戦の開始から一年。ヘシカは今日も戦場を飛んでいる。


「ヘシカ・カミロ・サンチェス。タイフーン、エンゲージ!」

「ラウラ・トラウト。EF-2000、いきます」

「カティア・ジェンティアナ。グリペン、出ます」


 ヘシカたち直掩防空小隊エコー分隊が、スパルヴィエロのカタパルトからスクランブル発進していく。

 相変わらず、斥候型セプテントリオンはファンシーな癖っ毛のテディベアの姿をしている。触れた生物を貪食する性質も変わらず、人類滅亡の危機は過ぎ去ってなどいない。

 とはいえ、変化もある。かつてヘシカたちが使っていた旧式のシェルヴール「プラウラー」は前線を退き、現在ではそのポジションに「タイフーン」の正式量産モデルが収まっている。

 主に偵察と哨戒、そして通信中継任務を想定した設計であったプラウラーでは、斥候型とのドッグファイトも厳しかったが。シェルヴールの性能は向上し、特務航空隊の殉職率もぐんと下がった。


『聞こえますか? 戦術司令のホアンです』


 スパルヴィエロのブリッジからの無線通信指示である。

 人類側の戦力増強に伴い、各地の租界や軍艦では無線封鎖も解除されつつある。これも第六次作戦期からの変化の一つだ。


『既に先行した分隊が斥候型と交戦中です。エコー・チームは左翼のデルタ・チームと交代。ラウラは三〇、カティアが五〇。ヘシカは二〇落として』

「了解です、中尉」

「り、了解、です……」

「りょーか……あれ? ちょっと待ってくださいよ中尉。私だけ撃墜目標少なくないですか?」

『実力を考慮した数字です』

「がーん……。私、もしかしてチームのお荷物……?」

『冗談よ。ヘシカ、あなたの勘は頼りになるから。目標数落としたら、ラウラとカティアの援護をしてほしいの。お願いね』

「合点でぃ! このヘシカちゃんに任せときなって!」

「……え、何語?」

「さ、さぁ……?」

「よーし、今日もばりばり働いて、『バザード』で打ち上げだーっ!」


 ぎゅいんと風を切り、ヘシカが加速する。


「フォーメーション崩しちゃだめだよ、ヘシカ!」

「ぶ、分隊長、わたし、なんだけど……」


 ラウラとカティアもそれに続いてスロットルを上げ、戦場へ急いだ。





「かんぱーいっ」


 スパルヴィエロの商業区画、その一角に『男装喫茶バザード』は存在する。

 かつてこの場所には、特務航空小隊前隊長のキャサリン・ヴィリディスが飲食店を出していた。料理といえばマッシュポテトくらいしかない珍妙な店で、物心つくころからスパルヴィエロに乗っていたヘシカとカティアも、ついぞ訪れることがなかった幻の店だ。

 当時に負けず劣らず、閑古鳥の鳴き声が聞こえる店内。5人掛け丸テーブルを占拠したエコー分隊は、小料理とビール風清涼飲料を並べて、祝勝会を始めていた。


「お、おいしい、ですっ」頬を膨らませるカティア。

「ホントだ。このザワークラウト、いつものよりおいしいですね」とラウラ。

「ああ。レシピを変えてみたんだ」


 髪を短くそろえ、タキシードに白手袋を着用したヒルダが盆に乗せた料理をテーブルに移した。「男装喫茶」の名に恥じず、ヒルダは背も高く、美少年と見紛うほど筋の通った顔は爽やかだ。


「ふ、ふっ、ふーっ! あ、あのッ! しゃ、写真、いいですかっ⁉」


 鼻息を荒くしたヘシカは、ヒルダにツーショット写真を求めた。


「いいよ」立ち上がったヘシカの肩を抱き、ヒルダは端末に笑顔を向ける。「もっと寄りなよ、子ネコちゃん」

「こ、ここここ、子ネコちゃんんんんッ」


 ヘシカは超音波洗浄機もかくや、というほどぶるぶる微振動していた。


「ヘシカ。よだれ、出てる……ほかにも、いろいろ」

「あぁ……今日も生きててよかった……! 私の人生は、今日という日のためにあったんだ……っ!」

「大げさだな。でも明日も来てよ。ね。サービスするからさ」


 耳元でヒルダに囁かれて、ヘシカはふにゃふにゃ、でろでろになった。


「は、はひぃ……毎日通いまひゅぅ……」

「毎日通ったら、ヘシカなんか溶けてバターになっちゃいますよ」

「それは困るな。貴重な常連さんなんだから」


 オーバーヒートして気絶したヘシカを、カティアは店の端まで引っ張って行ってソファに寝かせた。一歳差で共にスパルヴィエロで育った二人である。ヘシカの扱いも慣れたものだ。


「だーいじょーぶでーすかぁー?」


 タキシード姿の遊撃小隊の新顔が、ヘシカの弛緩しきった顔を覗き込む。

 男装をさせれば航空小隊ナンバーワンとも噂されるヒルダをもってしても、この店に巣食った閑古鳥を追い払うことは難しい。そもそも「バザード」に閑古鳥が住み着くことになった原因の一端は、この新顔、ルルー・グッドフェローである。

 旧スラト租界突入戦の最中、ペトラとシェイミーの前に突然現れた「ルルー」を名乗った少女。彼女はアリオトの「繭」に取り込まれた藤乃が「心神改」のセイバーモードで無意識下に生み出した、ヒト型セプテントリオンの一体である。

 その場で最も有効な武器を生み出す――――アリオトに取り込まれた藤乃が、仲間の危機に対して導いた最適解は、人類の味方をしてくれるセプテントリオンであった。


「ルルー! ルルー! ちょっと来てーっ!」

「はいはーい」


 バザードの厨房担当、シェイミーに呼ばれてキッチンへ戻っていくルルー。

 スパルヴィエロの中でも、ルルーの処遇については喧々諤々の協議が行われた。

 これまでずっと、セプテントリオンと戦争をしてきたのだ。家族や仲間をセプテントリオンに殺されたクルーも少なくない。艦長の許可を得て自由行動が許されているルルーだが、やはり彼女に対する不信感は根強い。

 とはいえ、ヘシカたち航空隊員にとっては、ルルーはもはや共に戦場を飛ぶ仲間の一人である。バザードに通う物好きな客は、ほとんどが特務航空隊員だ。


「ちょっと水耕栽培室行って、ジャガイモ貰ってきてくれる?」

「……水耕栽培室っ!」


 その単語を聞くなり、ヘシカはがばっと起き上がった。


「あ、生き返った」

「ルルー、私もついていっていいかな⁉」

「ん、いいよー」

「ついでに交代の時間ですよって知らせてきてよ」ヒルダがルルーに言伝を頼む。

「合点承知の助!」力こぶを作り「任せろ」とでも言いたげなルルー。


 それを見て、カティアとラウラは、ヘシカの最近のヘンな言葉遣いがルルーの影響だと合点がいった。




 水耕栽培室では様々な作物が育てられている。水や栄養塩類濃度、そして日照や気温に至るまで制御されているこの部屋の中では、人類からほとんど失われてしまった「農業」がひそかに維持されているのだ。

 ルルーとヘシカがジャガイモの栽培室に入ると、管理パネルの影からひょっこりと顔を出すものがいた。ルルーはそれを見て明るく話しかける。


「ママぁ!」

「ママじゃないって言ってるでしょ」

「じゃあパパ?」

「パパでもない!」


 時の人、碓氷藤乃中尉である。


 水耕栽培室のジャガイモの苗は、そのほとんどが前隊長キャサリンから受け継いだものだ。彼女が生きていたときと同じく、彼女のジャガイモは一部が保存用に、一部が食用に供されて、「バザード」を訪れる航空隊員たちを喜ばせている。


「ペトラぁー! そろそろ交代だってさぁー!」

「はーい」


 水耕栽培室の奥から、ペトラが顔を出した。

 アリオトの「繭」と対峙した後、空中でシェルヴールが完全に機能停止し気を失った二人は、ルルーに救助されてここにいる。


「あの、碓氷中尉。写真、いいですか。ジャガイモと一緒に」

「ジャガイモと? いいけど」


 シェルヴールで編隊飛行する航空隊の姿は言わずもがな、隊員たちのオフショットもヘシカの重要な収入源であった。「バザード」に通っているのも、半分は趣味で半分は写真撮影の依頼をこなすためである。

 ヘシカは今まさに収穫したばかりのジャガイモを検品する藤乃の横顔を、手持ちの端末で撮影した。温和な笑顔――――戦場で見せる、遊撃航空隊小隊長としての藤乃とは違う「素」の笑顔。


「よし、じゃあ行こっか」

「うん。じゃあルルー、わたしたちの代わりに栽培室見といてもらえる?」

「わかった」


 ルルーをその場に残し、藤乃とペトラはジャガイモを収穫した籠を台車に乗せて、水耕栽培室を出た。ヘシカも、その横をとことこ付いていく。

 道すがら、並んで歩くヘシカに藤乃は優しく声をかけた。


「タイフーンはもう慣れた?」

「はい、まあ……。プラウラーに比べると、ちょっと大味だよねってカティアは言ってましたけど。どういう意味かはさっぱり」


 ははは、とペトラが笑った。


「それちょっと分かるかも。プラウラーに比べるとぎゅいん、ずがーんって感じだし」

「余計分かんないよ……」


 ジェスチャーを交えて藤乃にタイフーンを操縦する感覚について説明しようとするペトラ。それを頭を抱えながら聞く藤乃。ヘシカは二人のやりとりする様を、端末で写真に撮った。


「ヘシカ。そんな写真、ホントに売れるの?」

「はい。ペトラさんはもちろん、中尉も大人気ですよ。特に女性クルーには」

「そうだヘシカ。藤乃ちゃんの寝顔写真、いる?」

「いります。というか買います」

「買うの⁉ ていうか、そんなのいつの間に撮ったのペトラ⁉」

「ふっふっふー。同室の特権ってやつよ」


 藤乃に見えないように、ペトラとヘシカは個人端末を見せ合いながら画像データを交換し始めた。藤乃の寝顔写真は、ヘシカの手持ちのお金ではその価値に全く足りず、他のヘシカの手持ち写真で差額を埋めることにした。

 そうこうしていると、通路の向かいからカティアとラウラがとことこ走って現れた。


「ヘシカ! スクランブルだって!」

「えー、またー?」


 失礼します、と敬礼したヘシカに、藤乃とペトラも敬礼を返す。


「それでは中尉、行ってまいります!」

「うん、いってらっしゃい……あ、そうだヘシカ」


 カティアとラウラに続いて廊下を走り出したヘシカは、藤乃に呼び止められた。


「戻ったらバザードに来てよ。いつものマッシュポテト、作っとくからさ」

「はいっ、必ず! 楽しみにしておきます!」


 藤乃に見送られ、ヘシカは甲板に向かって走り出した。



 空戦少女たちは今日も戦場を飛ぶ。

 人類を、仲間を、大切な人を守るために。だが、彼女たちの人生のすべてが空にあるわけではない。


 戦うだけが、戦場を舞う鋼鉄の天使だけが、空戦少女たちの姿ではない――――彼女たちにも、守り、そして守られるべき「日常」は、必ずそこにあるのだ。

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