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 繭の上昇は、ペトラとシェイミーが最初に入った円錐部分の空間で止まった。

 ロケットならば、そこは人が乗る操縦席だろうか。それまでうねうね動いていた触手たちが動きを止め、ほのかに光を放つ繭が、虹彩を絞るように出現した床の中央に、静かに鎮座している。

 ペトラはゆっくりと繭に近づき、透明な甲殻ごしに藤乃に触れた。


「藤乃ちゃん」


 当然のように、藤乃は答えない。それでも、ペトラには語り掛ける以外の方法はなかった。


「いつか、言ってくれたよね。わたしがレジーナ工廠の娘だからって関係ない、わたしはわたし、大切な仲間なんだって。

 わたしも同じだよ、藤乃ちゃん。藤乃ちゃんがイヴだって何だって関係ない。藤乃ちゃんは藤乃ちゃんで、わたしの大切な人」


 ペトラは生まれてからずっと、特別な存在であった。レジーナ工廠の社長令嬢で、シェルヴールに対して高い適正を持って生まれたパイロット。高等教育も受けられたし、テストパイロットとして地位も名声もある。望めば大体のことは手に入ったペトラが最も求めていたのは、自分が自分のまま、ありのままでいられる場所と、そのように接してくれる友人たち。一度は自分の「やるべきこと」のために捨てかけたその望みを、取り戻させてくれたのは藤乃であった。


「藤乃ちゃん。なんで藤乃ちゃんがそんなのの中に入ってるのか、なんとなく分かる気がするんだ。ラヤーンさんが怪我して、隊長さんがいなくなって。イングリットさんが塞ぎ込んじゃって、それからわたしも……。藤乃ちゃんはそれを、どうにかしてくれようとしたんだよね」


 藤乃とペトラが戦ったときの、藤乃の表情の変化。

 仲間に銃を向けられる驚き。自分を信用してくれない仲間への怒り。そして、自分を分かってくれない仲間への悲しみ。それでもなお、藤乃は『真のイヴ』としてセプテントリオンに与することを選んだ。

 セプテントリオンに「進化」を与えることと引き換えに、人類との戦争をやめさせるために。


「わたしたちが命を懸けなくていい世界、平和な世界を作るために、藤乃ちゃんは真のイヴとして、自分の『やるべきこと』をやったんだ。でもね藤乃ちゃん……そんなの、間違ってるよ」


 ペトラの立つ床が、重い振動を始めた。

 ロケットが飛び立とうとしている。時間に猶予はほとんどない。宇宙へ出る前に、ペトラは藤乃を連れて脱出しなければならない。


「藤乃ちゃん。いつも言ってた隊長さんの言葉、忘れたわけじゃないよね。『戦うだけが私たちのすべてじゃない』――――わたしたち航空隊員の仕事は空を守って戦うことだけどさ。じゃあ、戦わなくてよくなったら平和なのかな。わたしたちは幸せなのかな?」


 そうじゃない。ペトラは確信している。


「違うよ藤乃ちゃん。空で戦うことだけがわたしたちのすべてであってはいけない――――一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったり。そういう日常があってこその、わたしたちなんだ。わたしたちには、藤乃ちゃんと過ごすそういう毎日が必要なんだよ」


 甲殻の中、丸まって眠る藤乃がぴくり、と痙攣する。

 そこに意味はあるのか。ペトラの言葉を聞いて藤乃が反応しているのか、それともただの偶然か。ペトラは前者であって欲しいと願っている。


「藤乃ちゃん。わたし、ワガママを言うね。藤乃ちゃん、宇宙に行きたいんだってね。それが、世界が平和になったら果たしたい夢なんだって聞いたよ。

 やだ! 藤乃ちゃんが遠くに行っちゃう夢なんか、叶えないでよ! ずっと、ずっとずっとずっとずぅーっと! わたしは藤乃ちゃんと一緒に飛びたいんだよ!」


 床の振動が強くなり、ペトラはよろけた。再び立ち上がろうとしたが、ダメだった。ペトラは床に膝立ちになる。

 ロケットが離陸したのだ。加速していくロケットの中で、ペトラの体には数倍の重力がかかっているが、ペトラはそのことを知る由もない。拳で透明な甲殻をガンガン叩きながら、中で眠る藤乃に呼びかけるだけだ。


「ねぇ! 藤乃ちゃん! みんな藤乃ちゃんのこと、待ってるんだよ!」


 ペトラが力任せに殴っても、甲殻は凹みもしない。反対に、ペトラの握る拳に血が滲んできた。

 セイバーモードも切れた。ペトラはアームドモードの硬質装甲で殴り続けるが、それも砕けて消えた。タイフーンは構造維持のエネルギーを使い切って機能停止し、いつもの軍服の姿に戻ってしまう。


「起きてよ藤乃ちゃん! 約束したよね! 藤乃ちゃんは、わたしの王子様をやってくれるんでしょ! 寝てる王子様をお姫さまが起こしに来るなんて、これじゃおとぎ話と反対じゃん!」


 繭の中の藤乃が、動いた。

 目を細く開き、ペトラのほうにゆっくりと首を向けている。だが、まだ意識までは完全に戻ってはいないようだ。


「わたし……わたしは、藤乃ちゃんのいない毎日なんて、絶対イヤだから! 藤乃ちゃんと一緒じゃなきゃ、わたしスパルヴィエロに帰らないからね! これからもずっと、藤乃ちゃんと一緒じゃなきゃやだ! 藤乃ちゃんが笑っててくれないと、わたしも笑えないんだよ! 藤乃ちゃんのためなら、わたしは……!」


 奇跡を起こすものは、何よりも純粋で、何よりも強く、そして何よりも利他的な願いである。そのすべてが、この瞬間には揃っていた。



 パリン。



 繭が弾ける。

 絶対に壊れるはずのない透明な甲殻は、少女の起こした奇跡の前に砕かれた。

 ペトラのタイフーンが突如再起動し、繭を構成していた繊維を取り込んでセイバーモードへと変形した。シェルヴールの捕食機能が大量の有機繊維を食らい、それを純粋なエネルギーへと変換していく。光輝く毬へとその全体を変えた有機繊維製の円錐型の部屋の中で、ペトラは意識を失ったまま有機繊維の奔流に飲みこまれそうになっている藤乃の腕を掴んだ。


「藤乃ちゃん!」


 手繰り寄せるように、抱き寄せる。藤乃に絡みついていた糸は、奔流に飲まれまいとしばらく抵抗していたが、ほどなく光り輝く糸へ合流した。


「藤乃ちゃん……息、してない」


 誰が見ても、藤乃はもう死んでいると判断しただろう。

 セプテントリオンに取り込まれた藤乃は、肉体的には抜け殻に近かった。有機繊維に体を繋がれ、呼吸も、栄養もセプテントリオンに依存していた藤乃がそれらを奪われれば、その肉体は死を避けられない。

 だがペトラは諦めが悪かった。この瞬間、おそらく地球上で最もワガママな女の子であったペトラは、自らを救った奇跡にもう一つだけ、お願いをすることにした。


「どうか、藤乃ちゃんを連れて行かないで……!」


 今しがた、ペトラは藤乃をセプテントリオンから奪い返したばかりである。死神を追い払うくらい、簡単なことであった。

 息をしていない人間にするべきことは、ペトラも良く知っている。人工呼吸である。

 動かない、今度は逃げることのできない藤乃の唇に、ペトラは優しく、自分の唇を重ねた。



   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇



 風を感じた。

 激しい風だ。びゅうびゅうと顔に押し付けられるような風。

 べとべとした空気が、顔にまとわりついてくる。藤乃は不快感に顔をしかめようとしたが、顔の筋肉は痺れていて、思うように動かなかった。

 瞼が開いたのは、風を感じてから少し経ってからだった。


「いっ、えっ、ええええええぇっ⁉」


 藤乃は空を飛んでいた。

 いや、飛んでいた、というのは厳密には正しくない。正しくは、落下していた。凄まじい高度から、重力に任せて。物体の落下速度の最大は音速である。今の自分がそれにはまだ遠いことに藤乃が気づけたのは、素肌に音速を感じられる超音速巡航の経験があるからだろう。


 何があったんだっけ。確か、セプテントリオンに取り込まれて、それで――――。思い出そうとすると、藤乃は頭が割れるように痛む。

 そんなことより、今はこの状況をどうにかするべきだ。藤乃は自分の体をまさぐり、シェルヴールを着ていることを確認した。徽章をひねってみるが、心神改は何も答えない。


「ど、どどど、どーしよっ」


 どうしようもない。幸い、高度はかなりある。地平線を見れば、ゆるく湾曲しているのが分かるくらいの高度にいる。藤乃は地面に激突して死ぬまでには、まだまだ遺言を考えるくらいの余裕がありそうだと見積もった。


「えっと……お給料の残りはお父さんに、あとそれから……」


 シェルヴールの録音機能が生きていることを願いながら遺言を呟く藤乃。その視界にもう一人、落下している人間を見つけたのは藤乃が意識を取り戻してから一分ほどのことだった。


「ペトラさん⁉」


 近づいてみると、それはペトラであった。

 ペトラのほうも、やはりシェルヴールは起動せず自由落下しているようだった。ペトラのほうも藤乃に気づくと、空中を泳ぎながらお互いに近づき、手を握りあう。


「藤乃ちゃんっ! 生き返った! よかったぁー!」

「私、死んでたんですね⁉」


 このままならもうすぐ、もう一回死にますけどねと藤乃は呟いたが、激しい気流が藤乃の言葉をかき消す。


「わたし、藤乃ちゃんと一緒なら、いいよ!」

「バカなこと言わないでください! ペトラさんだけでも生き残ってもらわないと!」


 藤乃は自分のシェルヴールの残りのエネルギーで、タイフーンを再起動できないか考えてみたが、そもそもエネルギーを融通する機能すらも完全に停止していた。

 もはや万策尽きている。藤乃とペトラは諦めの境地になって、空中で仰向けに大の字になった。

 風に乗っている。そんな感じがして、藤乃はなんだか楽しくなった。



 見上げれば、空はどこまでも澄んでいる。青というよりもっと深い青色の空。

果てしない空はまるで底なし沼である。一度そこへ足を踏み入れたら、抜け出すことは難しい。藤乃がかつて、空を飛ぶことに魅せられたように。空はどこまでも遠くて、藤乃を手招いている。

 しかし藤乃は落下していた。地球に引っ張られている。「おいでおいで」していた空から、突然「あっちいけ」を突き付けられている。それがどうにも寂しい。


「藤乃ちゃん」

「何ですか」

「藤乃ちゃんは生まれ変わったら、何になりたい?」


 普段なら「縁起でもない」と避ける話題だが、藤乃はペトラに応じることにした。


「鳥……鳥がいいです。自由に空を飛べる、鳥」

「わたしも。じゃあ生まれ変わっても、また一緒に飛ぼうね」

「はい。じゃあこの続きはまた、次に」


 藤乃とペトラは目を閉じた。

 落下するにしたがって気圧が上がっていく。急激な外圧の変化に体が追い付かず、眠るようにして二人の意識はそこで途切れた――――

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