②
ロケットの内部は、巨大な管であった。円推の中は中空で、まっすぐ真下の暗闇の底まで穴は続いている。
壁面には蜘蛛が巣を張るかのように糸が張り巡らされているが、イヴはおろか斥候型の姿すらない。ハッチを破ったシェイミーとペトラは、シェルヴールのライトで進行方向を照らしながら、ロケットの内部を降下していった。
ペトラの網膜には、セイバーモードが何秒維持できるかを表示するメーターが投影されている。アンカレッジでの改修時に追加された機能は、藤乃に有機繊維を打ち込まれた後でも問題なく機能している。ただし、表示されている時間は、以前の三分の一以下であった。
藤乃がやってみせた「こんなこと」――――藤色の光を放つ有機繊維を取り込んだことによって、セイバーモードが感情を食らうデメリットは解消され、ペトラやスサンナ、それにイングリットも、感情が回復しつつある。
しかし、問題を一つ解決すれば、もう一つが湧き上がってくるのが世の常である。セイバーモードは以前より大量のエネルギーを消費するようになり、稼働時間が大幅に減少してしまったのだ。
スサンナの判断は正しい。イヴの包囲網を突破するためにペトラがセイバーモードを使っていたら、今頃まだロケットの外で小競り合いをしていただろう。おそらくこの管は敵の「本体」に通じている――――この暗闇の底まで、セイバーモードという切り札なしで挑むのは蛮勇が過ぎる。
「……進化って、なんなんでしょう」
暗闇を降下する間、シェイミーはペトラに問いかけた。
「セプテントリオンは、小隊長を取り込んで『進化』したがってるって……。なんなんでしょう、セプテントリオンの言う『進化』って」
「知能がどうとか言ってたね」
人語を話すイヴの存在が、その「知能」を獲得した成果物であるとするならば。その完成をもって、セプテントリオンの目的は果たされたはずだ。今更藤乃を、イヴの存在を求める理由が分からない。
セプテントリオンがさらなる進化のために、藤乃との再接触を求めているのならば。この宇宙ロケットは何なのだろうか。藤乃の夢を叶えてくれると思わせるためのものなのだろうか。
きっと、騙されているんだ。ペトラは沸いてくる問いにそう答えを出した。セプテントリオンに交渉の余地などない。藤乃を捕まえて、食らうつもりに決まっている。そんなことさせない――――ペトラはぎゅっと、拳を握る。
暗闇の奥底に広がっていたのは、広大な空間であった。
おそらく地下なのだろう、真っ暗でシェルヴールの投光ライトでも天井まで届かず、星がないために、そこにあるのが夜空ではないと分かる程度である。
一方で、空間の底に何があるのかはライトで照らしてすぐに分かった。
街である。
スラト租界、その地下空間に建設された都市。金属ではない、コンクリートに近い物質で作られた家々と、その先にあるビル群。ところどころ、セプテントリオンの本体である有機繊維が絡みついているのは、ここがセプテントリオンに占拠されていることの証だ。
「なんでしょう、あれ」
シェイミーの指さす先、途中で折れた塔のような構造物から、淡い紫色の光が漏れていた。
藤乃ちゃんはあそこだ。ペトラは理由もなく確信し、光に誘われるようにして空間をさらに降下していった。
碓氷藤乃はそこにいた。
ただし、淡く紫色をした繭の中に。繭の外殻は透明で強固な樹脂状の物質で作られていて、ペトラが叩いてもびくともしない。そんな卵のような繭の中で、藤乃はうずくまって眠っていた。
「藤乃ちゃん! 藤乃ちゃん!」
ペトラは呼びかけながら外殻を叩くが、まるで響いている気がしない。
いっそ機関砲で……いや、もし藤乃ちゃんに当たったりしたら。ペトラとシェイミーはどうすればいいか逡巡する。
「無駄ですよ」
攻めあぐねていたペトラとシェイミーに、呼びかける声。繭の陰からイヴが現れた。
機関砲とリボルヴァーカノンの銃口をそれぞれ向けるペトラとシェイミーだが、イヴは二人の視線を無視し、手で優しく繭をなでる。
「この甲殻は高純度の有機繊維で構成されています。機関砲程度の傷も、すぐに修復されます」
「藤乃ちゃんを返して」
「彼女が自らここにいることを望んでいても、ですか」
本拠地まで乗り込まれているというのに、イヴは極めて冷静にペトラに答えた。
感情がないのではない――――余裕なのだ。ペトラとシェイミーの現行装備では、繭を破って藤乃を奪還することなど不可能であることを、イヴは知っている。
「真のイヴは、新たなるアリオトの一部となりました」
「一部?」
「我々は進化により中枢神経による制御システムを獲得しました。ここにあるこの器官は『頭脳』に該当し、真のイヴはその記憶と思考を司るのです」
「わけ分かんないこと言わないで。藤乃ちゃんを部品みたいに!」
「人類を一つの生命体と考えれば、人間の一個体は細胞一つに該当します。あるものは筋肉に、あるものは内臓に、あるものは神経に。それぞれの役割を果たして生存している。我々も同じです。真のイヴは、我々に進化の切欠を与えてくれる『頭脳』となった」
「さっきから進化、進化って。そんなに進化したいなら、藤乃ちゃん抜きでやりなよ」
「今の我々の中枢神経系は未成熟です。真のイヴの導きが無ければ、進化の歩みは遅れてしまう。我々には彼女が必要なのです」
「それをいうなら、わたしだって」
ペトラもまた、藤乃に向けて繭に手を伸ばした。
「藤乃ちゃん、約束したじゃんか。わたしの手を離さないでって。わたしがわたしでいられるようにって。一緒に、夢を叶えるんだって!」
繭の中で、藤乃の体がピクリと痙攣した。
届くはずのない声。透明な分厚い外殻に覆われたアリオトの中枢制御システムの中にいる藤乃には、外の声など聞こえるはずがない。それでも、藤乃は反応した。
「夢、ですか」イヴはまだまだ余裕を崩さない。「真のイヴにも夢があります。宇宙へ行くこと――――空の果て、そのさらに向こうへ挑むこと。我々は、イヴの夢を叶えてあげることができます」
床が蠢く。バランスを崩してペトラとシェイミーが尻もちをつくと、二人が立っていた辺りの地面が割れ、中から無数の有機繊維の触手が飛び出してきた。
藤乃の入った繭の下へ入り、それを掲げるように持ち上げていく触手の群れ。ペトラにも行先は何となく分かる。あの、宇宙ロケットの先端部だ。
「待て! 藤乃ちゃんを、返せ!」
飛び上がり、繭を追うペトラとシェイミー。その進路に、イヴが立ちふさがる。
「これ以上、アリオトに動揺を与えないでください」
「そこをどいて!」
「どうしても引かないのなら」
イヴの両腕や体に虚空から現れた糸が巻き付き、装備が出現する。
コルセットに騎槍。初めて確認されたときと同じ姿である。
対するペトラも覚悟を決めた。
「セイバー、モードっ!」
ペトラの体を有機繊維が包む。
ここまで来るまでの飛行時間で体力も消耗している。セイバーモードの稼働時間は、一分にも満たない。それでも――――
纏う竜巻を払い、ペトラのタイフーンはセイバーモードへと変形した。
「動きが速いならっ!」
ペトラは操る糸を周囲に張り巡らせた。
イヴ・レプラカーンは有機繊維に触れるとその制御を奪ってしまう。糸と風を操る能力で戦うペトラにとって、最も相性の悪い相手だ。
だが、それが分かっていれば対策のしようもある。糸の密度は低く、そして強く引いた不可視の細い糸。その中を無理やり飛ぼうとするなら。
「……っ」
ぴぃん、と糸が弾かれて、イヴの右腕に糸がめり込んだ。
いくら反重力で飛ぼうが、そこに体があるのなら切断は可能だ。ピンと張られた極細のワイヤーのようなペトラの糸は、イヴの右腕を易々と切り落とした。
驚いてバランスを崩したイヴが、次のワイヤーに引っかかる。体重に任せてワイヤーを通過したイヴは、胴体が真っ二つに両断されてしまった。
イヴを倒し、藤乃を見るペトラ。これで邪魔者はいなくなった――――かに思われた、その瞬間であった。
ばすっ。
ペトラが振り向くと、少し低い高度から援護していたシェイミーの背中から腹へ、イヴの騎槍が貫通していた。
「シェミィさん!」
ペトラが叫ぶと同時に、セイバーモードも切れてしまう。アームドモードのタイフーンで近づき、ペトラは脱力したシェイミーを抱きかかえた。
「ごぼっ」
「うぅ、セイバーモードが使えたら……!」
セイバーモードがあれば、傷の縫合などお手の物であったはずだ。槍を抜いたら傷口からの出血でシェイミーは失血性ショックを起こすかもしれない。ペトラは槍が刺さったままのシェイミーを、床まで運んで寝かせるしか何もできなかった。
「ペトラさん……行ってください。小隊長が、宇宙に行っちゃう前に」
「喋っちゃダメ。きっと、助けがくるから」
ペトラはシェイミーの手を握った。もはや、気休めを言うこと以外に出来ることは何もない。
このままではシェイミーは死んでしまう。だがセイバーモードが時間切れとなった今のペトラに傷を癒す力はなく、また負傷した今のシェイミーを連れてスラト租界を脱出したところで、スパルヴィエロに戻るまで命が繋ぎ止められている保証はない。もはや何もできない――――絶望したペトラに追い打ちがかかる。七体のイヴが、二人の周りを取り囲むように降り立ったのだ。
イヴは全員騎槍を装備した姿であるが、そのうち一人だけ、槍を持っていないものがいる。シェイミーに槍を投げたイヴである。
「来るな!」
立ち上がるペトラ。セイバーモードはなくても、まだリボルヴァーカノンには残弾がある。せめて最後まで、抵抗しなければ――――銃口を向けたペトラの目の前で、不思議なことが起きた。
イヴの背後にどすんと着地したもう一人の、装備の異なるイヴ。抜いた刀で、突然イヴの背中を切り裂いたのだ。
イヴ同士が同士討ちを始めている。ペトラたちを取り囲むイヴたちもお互いに攻撃し始めた。スラト租界の地下はイヴ同士の斬っては再生、再生しては斬りを繰り返す混沌の坩堝と化す。
「なに、これ……?」
「大丈夫ですか」
最初にイヴを攻撃した装備違いのイヴが、ペトラに駆け寄る。
反射的にリボルヴァーカノンを撃ったペトラだが、向かってくるイヴはそれをするりと避けてしまった。
近づいたイヴは、ペトラを無視してシェイミーの前に跪く。槍を無理やりに引き抜き手を傷口に押し当てると、イヴの手から生えた糸がシェイミーの体へ刺さり、内部へ入り込んでいく。
「シェミィさんから離れて!」
ペトラはリボルヴァーカノンの銃口をイヴに向けるが、イヴは全く動じなかった。
「今離れたら死んじゃいますよ、この人」
ペトラは機関砲口を向けたまま、イヴを観察した。
視線一つペトラに向けないイヴ、その装備はライトグレーとオレンジの差し色で塗装された甲冑のようで、シェルヴールのアームドモードに酷似している。だが、白い髪に整った顔は、髪型こそショートボブで違うもののイヴそのものであり、行使する超常の力――――有機繊維で傷を癒す力は、やはり人間のものではない。
「あなた誰?」
「……ルルー。そう名乗っておきましょう」
ルルーがシェイミーを救おうとしているのは、ペトラにもすぐに分かった。自在に操れる有機繊維で傷口を縫合する施術は、ペトラがセイバーモードで散々使ってきたものだからだ。
「アリオトは混乱しています。イヴ――――みなさんの言うところの、『偽物のイヴ』によって、人間が傷つけられたからです。『真のイヴ』はそれを望みません」
「じゃあこれは、藤乃ちゃんが?」
藤乃はアリオトの頭脳の一部にされている。その藤乃の目の前で、かつての仲間が傷つけられたのだ。ペトラは確信した。藤乃は完全にセプテントリオンに取り込まれたわけではない。仲間を傷つけたセプテントリオンに、必死に抵抗している。
「交渉は決裂しました。その結果、アリオト派は三つに分裂してしまったのです。人類と敵対するもの、『真のイヴ』を再度取り込もうとするもの、そして私」
「藤乃ちゃんはどうなるの」
「彼らは『真のイヴ』の望みを無理やりにでも叶えるために、宇宙へ飛ぼうとするでしょう。でも、彼女はもうそれを望んではいません」
「じゃあ早く藤乃ちゃんを助けなきゃ!」
「あなたが行ってください、ペトラ・ニヴァル・レジーナ。『真のイヴ』をセプテントリオンから切り離せるのは、あなたしかいません」
ルルーがペトラのタイフーンに手を翳す。伸びた糸が取り込まれ、タイフーンのエネルギーが急速に最大まで回復した。
「待ってて藤乃ちゃん。今、行くからっ!」
ペトラはセイバーモードを起動し、地面を蹴って飛び上がった。
繭を掲げる触手の束は、その動きを早めている。あの繭がロケットに装填されてしまったら――――。ペトラは突風を起こして一気に繭に近づく。




