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 ペトラはスパルヴィエロの医務室で目を覚ました。


 物々しい機械に覆われた医療用病床ユニットではなく、左右に点滴用の器材とバイタルモニターが設置されているだけの、簡素なベッドである。ペトラのこめかみに張り付けられた脳波活動計がアラートを発すると、奥のオフィスからミリアムがすっ飛んできた。


「目が覚めたかい、『白雪姫』様?」

「あれー?」


 ぼんやりする頭で、ペトラは必死に思い出そうとした。自分は何故、医務室にいるのだろうか?


「確かわたし、藤乃ちゃんと……」


 藤乃ちゃん。自分が発した言葉に、ペトラは新しいような、懐かしいような。不思議な感覚を覚えた。


「うぅ……思い出せません。それに頭が痛い、です」

「仕方ないよ。無くなってた感情を一晩で再生させたんだから。寝ている間に大脳が三年分活動したよ」

「さ、三年分……⁉」

「ああ、でも心配しなくていい。脳への物理的ダメージはないし、それどころか前より活動が活発になってる。どんな影響があるのかはこれからってところだけど」

「それより、あの」


 ベッドの傍らに立ってモニターをチェックするミリアム。ペトラはすかさず彼女の白衣の袖を掴んだ。


「感情が再生してるって話かい? それなら――――」

「いえ、藤乃ちゃんのことです」

「……あぁ、あの子か」


 モニターのチェックを終えたミリアムは、その電源を落としてしまった。もう入院の必要はない。ペトラは健康体である。

 点滴の針を抜く間、ミリアムが何も言わないのでペトラも黙って待つしかない。


「あの子はね、まだ戻ってきていないそうだよ」

「そうですか……」

「まったく。どこほっつき歩いてるんだか……。セイバーモード使ったんだろ、体にどんな異変が出ているやら」


 悪態をつくミリアムだが、ペトラには何となく、それは藤乃の安否を心配しているミリアムの優しさの裏返しなのだろうとわかった。

 そして、それが分かった自分に驚いた。ペトラは、失われていたはずの感情が回復しているのである。


「何があったかはイングリットに聞きな。いまごろてんやわんやだろうけどね」


 ベッドから起き上がったペトラに、ミリアムは「眩暈がするようならまたおいで」と背中を叩く。

 ミリアムは怪力である。ペトラは背中をドンと叩かれた痛みに顔をしかめたが、その痛みさえも心地よく感じた。

 感情が戻っている。それだけで、何もかもが輝いて見えるのだ。




 イングリットは作戦ルームにいた。艦長とリンファ、そしてイングリットで話し合っているところにペトラが近づくと、イングリットのほうから近づいてきた。


「ペトラちゃん、もう大丈夫なの?」

「はい。少しまだ、ふらふらしますけど」

「療養の時間ならたっぷりとれるぞ、少尉」艦長のグロリアがペトラに振り向き言った。「セプテントリオンの活動が収まりつつある」

「えっ」


 作戦ルームのテーブル、その上の空間に投影された立体映像の地球をペトラは見た。全世界に建設された租界と、展開中の国連軍艦隊の動きがほぼリアルタイムに表示されているそれには、セプテントリオンの活動の様子も表示されている。

 ペトラは似たようなものをEUのコロニーにいたころに見たことがある。青い地球、紫色に表示された租界位置。そして、ほぼ全球を覆うようにマッピングされた、赤い光――――セプテントリオンの群れである。

 だが、今ペトラの目の前にあるのは、赤い光は極めて少なく、代わりに緑色の光が地球を覆っている。


「何ですか、この緑のは」


 答えを聞くまでもなかったが、一応ペトラは聞いた。


「『アリオト派』、そう国連軍では呼ぶことになっている。人類と親和的なセプテントリオン。少尉、キミのシェルヴールに打ち込まれた有機繊維、それと同じ識別信号を発するセプテントリオンたちだ」

「簡単なモールス信号だけど、通信波にも応答してくるの。『アリオトの星の元に』、そう返してくるそうよ」


 緑の光は、地球を覆っている割合にして9割以上。ペトラは藤乃の言っていた言葉を思い出した。地球上にいるセプテントリオンの97%を支配下に置いた、彼らは生物を襲わないように指示されている――――藤乃の話と、アリオト派の行動は一致している。

 空中投影ディスプレイに斥候型が映される。見分ける手段とばかりに、アリオト派はすべからく口にサーモンらしき魚を咥えていた。


「……藤乃ちゃんが、やったんですね」

「そうだ。碓氷中尉がセプテントリオンとの講和を実現した」


 戦争は終わった。待ち望んだ人類の完全なる勝利ではないものの、セプテントリオンに脅かされない世界を取り戻したと考えれば、十分なハッピーエンドである。

 だが、それを語ったグロリアもイングリットも、横で投影装置を操作するリンファも。みな目つきは鋭く、うつむいたままである。


 みな、考えていることはペトラと同じようだ。


「だがその代償として、我々は大切な友人を失ってしまった」

「藤乃ちゃん……」

「国連軍は碓氷中尉に特進を与えるつもりらしい。奇跡の少女が、またも人類に希望をもたらした。彼女こそ真の英雄であると」

「……藤乃ちゃんは、英雄なんかじゃない」


 ペトラの奥歯が、ギリギリ唸った。


 藤乃は英雄になりたかったわけではない。誰かがそれを命じたわけでも、望んだわけでもない。ただ、藤乃は自分に出来ることをやっただけだ。

 藤乃がもたらした平和を笑顔で受け入れているのは、スパルヴィエロの外にいる人間たちだけであろう。クルー、少なくともこの場にいる彼女の親しい友人たちはみな、藤乃の自分勝手な選択に対して怒りを覚えている。


 特にペトラは(はらわた)が煮えくり返る思いである。

 ワガママを聞いてくれるって言ったのに。一緒に夢を叶えてくれるって言ったのに。

 戦場に仲間を置き去りにしたくない、なんて言っていた藤乃が、自分から戦地に一人残っている。その選択をしたことを、藤乃は一切の相談もなく決めてしまった。ペトラの中では、戻ったばかりの悲しみと怒りの感情がゴウゴウと燃え盛る炎のように蠢いていた。


「あの、艦長」ペトラは手を挙げて発言の許可を求めた。

「なんだね、少尉」

「碓氷中尉は遊撃航空隊小隊長という立場でありながら、勝手な判断と独断行動で部隊を危険にさらし、さらに隊員ともセイバーモードを使用した戦闘を行いました。隊の規律に照らし合わせれば、懲罰を与えることが相応だと考えますが、いかがでしょうか」


 ペトラを見たグロリアの表情が変わった。

 にやりと、悪だくみをするような顔。同じ顔を、きっとペトラもしているのに違いなかった。


「いい指摘だな、私も同じ意見だ。では特務航空隊遊撃小隊に、小隊長碓氷藤乃中尉の捜索と拘束を命じる。いいな、隊長?」

「はい」イングリットは無表情のまま答える。

「拝命しました」ペトラは満面の笑みで敬礼した。

「ホアン少尉。作戦の立案を」

「お任せください!」グロリアの指示にリンファも心なしか嬉しそうである。


 たった一人、イングリットだけがうつむいている。一緒にブリッジを出るときも、廊下を歩くときも。呆然として「ええ」としか生返事を返さないイングリットに、ペトラは不安を覚えた。

 イングリットとは元よりEUコロニーのスクール時代から先輩後輩の関係で、付き合いはキャサリンより長いペトラである。イングリットが何かに悩み、その解決法を見つけられず沈んでいることは、ペトラには言葉にせずともすぐに分かった。


 おそらく、藤乃のことだ。部下を失った、隊長としての重責だけとは思われない。一体何があったのか――――ペトラは想像するしかないが、どうにかして彼女の力になりたいと願った。

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