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第18話 最善の選択 ①

 揚陸艇のキャビンが騒がしくなったので、ペトラは睡眠を続けることが難しくなった。

 仮眠室を出てコックピットを見ると、ヒルダとヴェロニカ、そしてシェイミーの3人が、何か話し合っている。ペトラが起きて近づくとヒルダは「姫さん、おはようございます」と敬礼。ペトラも「おはようございます」と敬礼を返す。


「どうしたの」

「隊長が戻ってこないんです。偵察に出てからもう三時間になるのに」


 シェイミーが不安そうに答える。


「偵察に?」

「はい。『先行してスラト租界の様子を窺ってくる』って」


 コックピットに身を乗り出したペトラはパッシブレーダーをチェックした。だが、そこにシェルヴールもセプテントリオンも反応はない。付近の空域でも戦闘は行われていないようである。


「私がトーネードで出ます」ヒルダが勇ましく宣言した。「租界で何かあったに違いありません」

「ダメです」ペトラはきっぱりと答えた。「このままヒルダさんは待機してください」

「しかし!」

「ウスイ中尉はわたしたちに何の連絡もなく行方をくらますような人ではありません。おそらく、租界内でセプテントリオンと交戦している」

「なら早く助けに行かないと!」とシェイミー。

「ダメです」とペトラ。「一人ずつ行けば被害が増えるだけです。ここは揚陸艇で租界に乗り込み、全員で中尉を救出するべきです」


 シェイミーは反論しようとしたが、ヒルダが肩に手を置いてそれを制止した。


「……姫さん、大人になりましたね」とヒルダ。「昔の貴女なら、我先にと飛び出していたでしょうに」

「そうかもしれませんね」


 遊撃航空隊小隊長、碓氷藤乃の不在。かつてのペトラならばきっと、もっと取り乱して後先考えずに揚陸艇を飛び出していたであろう。

 だが今のペトラは藤乃に次ぐ作戦指揮官であり、租界の長距離偵察任務を成功させなければならない立場である。ヒルダはそれを「大人」といったが、おそらくそうではない。

 感情が希薄な今のペトラは、その対極にあるべき論理性が強まっているのだ。


「スラト租界まであとどのくらいですか」

「あと二時間もすれば見えてくるかと」ヴェロニカが答える。

「ヴェロニカさん、ヒルダさんと操縦を代わって休憩してください。シェイミーさんも。あんまり睡眠時間は取れませんが、租界に着いたら出撃です」

「了解」


 ヴェロニカは操縦席をヒルダに明け渡し、シェイミーと一緒に仮眠室に入っていった。

 ペトラはその間もレーダーを見ながら考えていた。付近の空域で戦闘がないということは、藤乃は租界内にいるか、あるいは――――。当然考えうる最悪のケースを想像したペトラだったが、恐ろしさはなかった。ペトラの感情は、まだそこまで回復していない。





 スラト租界にたどり着いたペトラたちが見たのは、異様な光景であった。

 ボロボロに崩されたドームから、円筒状の構造物が空に突き刺さるように屹立している。羽虫のようにその周囲を飛び回っているのは、ヘルメットをかぶったテディベア――――つまり、セプテントリオンである。

 セプテントリオンたちはペトラたちに一切関心を向けていない。資材を運ぶ彼らは、揚陸艇を邪魔そうに避けて飛んでいるほどである。


「何なの、これ……?」

「とにかく降りてみましょう」


 ペトラの指示で、ヒルダは揚陸艇を着陸させる。シェルヴールのアーマーモードを起動して揚陸艇を下りたペトラたち4人が周囲を警戒しながら歩いていると、上空から突然にスッと、目の前にイヴ・レプラカーンが着地した。


「お待ちしておりました」


 以前に出現したときとは変わって、純白のパーティドレスを纏ったイヴはスカートを摘まみ上げてペトラに挨拶した。

 宿敵の異様な姿に面食らったヒルダたちだが、ペトラの判断は早かった。左腕のリボルヴァーカノンを発砲し、無抵抗のイヴを木っ端みじんに吹き飛ばす。


「――――感情がないというのは、本当のようですね」


 すっ、と今度は背後の揚陸艇のルーフにイヴが降り立つ。同じく純白のドレス姿だが、ペトラが射殺した個体とは別個体である。

 ペトラが振り向いてまたもリボルヴァーカノンを向けるが、ヒルダがペトラの左腕を掴んで制止した。


「姫さん、艇に当たります。それより、向こうに戦闘の意思がないのなら、話をしてみるのも良いかと」

「そうですか」


 ペトラはヒルダに従い、あっさりと腕を下ろす。


「その通りです。我々に戦闘の意思はありません」

「あなたたちの言葉なんか、信用すると思いますか? バケモノのくせに」

「……では、同じ人間の言葉なら、聞いていただけますか」


 すぅ、とイヴの後ろに白い人影が降り立つ。イヴが横に退いて跪くと、その後ろから藤乃が一歩、前へ進み出た。


「ウスイ中尉!」


 そこに立っていたのは、碓氷藤乃であった。

 白いシェルヴール、心神改に身を包み、見下ろすように視線を広げた藤乃は、穏やかに告げる。


「ペトラさん、それにみなさんも。戦闘は止めてください」

「どういうことです、小隊長」

「私は、セプテントリオンと和解しました」

「……和解?」

「はい。私は『真のイヴ』としてセプテントリオンと繋がり、現在地球上で活動しているセプテントリオンのうち、97%を支配下に置いています。彼らにはもう、これ以上地球を貪食しないように命じました」

「そんなこと、可能なの?」

「はい。ウソだと思うならスパルヴィエロに戻って調べてみてください。全世界で、セプテントリオンの侵攻は停止し、彼らは同士討ちを始めているはずです。現在支配下に置かれていない残り3%の個体を捕縛、再吸収するために」


 ペトラは藤乃の姿を見上げて、眉をひそめた。

 これがあの、碓氷藤乃なのだろうか。ペトラは自分に問いかける。顔つきも着ているシェルヴールも、間違いなく藤乃のそれであるが。いつものおどおどした小動物のような雰囲気はなく、そこにはまるで機械のように冷徹に、言葉を投げ捨てる飛行士がいるだけである。纏っている雰囲気は藤乃のそれといよりも、イヴのそれに近い。


「あなたは本当にウスイ中尉ですか?」

「何を言ってるんです?」

「……セプテントリオンは、ヒト型の個体も確認されている」


 困惑しているシェイミーとヴェロニカとは対照的に、ヒルダは落ち着いている。


「小隊長をコピーしたセプテントリオンがいても不思議じゃない」

「ヒルダさん、まさか私がニセモノだとでも?」

「ホンモノである証拠がなければ、その可能性もあるでしょう」


 睨みあいはしばらく続いた。

 目の前に立っている碓氷藤乃はホンモノなのかどうか。仮にホンモノだったとしたら、藤乃はセプテントリオンの側――――つまり、人類の敵となったことになる。

 そんなのイヤだ。ペトラは藤乃と敵対することを不愉快に感じる程度には感情が回復していた。なぜ不愉快なのか、理由は分かっていないが。


「……みなさんはスパルヴィエロに帰ってください」

「しょ、小隊長は……」シェイミーが腰の引けた声で藤乃に問いかける。「小隊長は、どうするんです……?」

「私はここに残ります」藤乃はくるりと小隊の面々に背を向けた。「セプテントリオンは『進化』を求めています。私はそれを彼らに与える鍵なんです」


 揚陸艇の屋根を蹴り、ふわりと宙へ浮かぶ藤乃。エンジン出力を上げて飛び去ろうとしたところで、ペトラも動いた。

 地面を蹴り、エンジン出力を上げて飛び上がる。背を向けた藤乃に、ペトラはすぐに追いついた。

 リボルヴァーカノンの長い砲身を振り上げ、藤乃の脳天めがけて振り下ろす。ペトラの接近に気が付いた藤乃は、振り向いてペトラの一撃を両手で受け止めた。


「返せっ!」


 砲身が震えている。それはペトラの腕、ペトラの心の震えに他ならなかった。


「返せって、何をですか」

「ウスイ中尉を……わたしたちの小隊長を、返せっ!」


 ペトラは藤乃の腹めがけて、密着距離から対空ミサイルを放った。

 この距離でミサイルが命中していれば、爆風でペトラ自身も無事では済まない。だが藤乃はミサイルを寸でのところでのけぞり回避し、心神改のエンジンを噴かしながら、ペトラから大きく距離を取った。


「姫さん、援護します!」


 ペトラの横から、トーネードを起動したヒルダとヴェロニカが、藤乃の後を追っていった。さらにその後ろから、シェイミーも機関砲を向けながら藤乃に向かっていく。


「小隊長、ワケを話してください!」

「ワケなら話したじゃないですか。私はセプテントリオンと和解したんですよ。だから彼らはもう、味方なんです」


 トーネード三機編隊による機関砲弾幕は分厚い。だが藤乃と心神改はその隙間を巧みにすり抜けて飛行している。もともと小柄で細い体と、スパルヴィエロ航空隊で一、二を争う操縦技術、そしてその技術に追従できるだけのシェルヴールの機体性能。すべてが噛み合ってそこにある藤乃の姿は、まるで天使――――人類がどれだけ手を伸ばしても届かない、指の隙間を遊ぶようにすり抜けてしまう天上の存在。

 ペトラも藤乃を追ってその弾幕の隙間を飛んだ。ヒルダたちはペトラに当たらないように注意を払っていたが、それでもペトラは主翼や各部装甲版に軽微な被弾を受ける。


「正体を現せ、バケモノめ!」


 銃口を向けたペトラに、藤乃の表情はくるくる変わった。驚き。怒り。そして悲しみ。

 自分の言葉を信じてくれないペトラのことを、藤乃は悲しんでいるようであった。


「……戦争が終わるんですよ、ペトラさん。私たちはもう、命がけの戦場を飛ばなくてよくなるんです」

「ウソだ!」

「ウソじゃありません。地球全域のセプテントリオンを支配下に置けば、もう人類はセプテントリオンに悩まされなくて済む。あんなドームや地下に、怯えながら暮らす必要もなくなる。これが一番、みんなが幸せになれる方法なんです」

「ウソだ!」


 ヒルダたちは発砲をやめていた。ペトラが砲身を振り下ろし、藤乃がそれを弾く。冷たく、硬く、そして悲しい打撃音が、周囲の空気を震わせる。


「ウソじゃありません」

「ウソだ! まやかすな、ニセモノめ!」

「分からない人ですね……!」


 藤乃はペトラから距離を取り、エンジン出力を上げて高度を上げていき、雲に向かった。

 ペトラもそれを追う。ヒルダたちも追ったが、量産機のトーネードでは推力が足りず、心神改の上昇性能になんとか食らいつけたのはペトラのタイフーンだけであった。

 しかし追いついているのは機体性能だけである。かかるGは地上の数倍、ブラックアウトまでギリギリの加速。ペトラは視界の端からぼんやりしてくるのを感じたが、構わず藤乃の追撃を続けた。


「ニセモノの言葉なんて信じません! ホンモノのウスイ中尉を返して!」

「私がホンモノだって、どうしたら信じてもらえるんでしょうね」


 雲海の上で、藤乃はペトラを待ち構えていた。

 ホバリングしながら、ペトラをじっと見ている。機関砲の砲口はカバーに覆われたままで、攻撃してくる様子はない。

 ペトラもホバリングに移行しながら、藤乃と対峙した。


「これが最善の選択なんですよ、ペトラさん。セプテントリオンと和解し、彼らと人類の共存の道を見出す。地球は滅亡の危機を脱し、セプテントリオンは求める『進化』を達成できる。これ以上の解決がありますか?」

「ウスイ中尉はどうなるんです」

「私?」

「ウスイ中尉がセプテントリオンを進化させてあげる代わりに、人類を攻撃しないようにする。それじゃ、まるで中尉は生贄じゃないですか!」

「生贄……。ええ、確かにそう見える人もいるかもしれません」


 藤乃はぽつりとつぶやく。


「でもこれは、私自ら望んで選んだことなんです。真のイヴとして、奇跡の少女として、人類に生存の希望を与えた私が今、為すべきこと。それはセプテントリオンと人類を繋ぐ架け橋になることなんだって」

「そんなこと……。そんなこと、誰も中尉に望んでなんかいません!」


 ペトラは声の限りに叫んだ。

 叫ぶ声は、空へ溶けていく。藤乃は目の前にいるのに、ペトラはどんなに叫んでも、藤乃に届いているような気がしなかった。


「スパルヴィエロのみんなも、航空隊のみんなも。イングリットさんも、隊長さんだって……! 誰も、中尉に生贄になって欲しいなんて、思ってません!」


 藤乃の表情が怒りのそれに変わる。隊長――――キャサリンのことを言われれば、穏やかではいられない。


「じゃあ、どうしろっていうんですかペトラさん! このままいつまでも、セプテントリオンと戦争を続けますか? 一匹残らず駆逐できたとして、その時までに何人犠牲になるんです? 今なら私一人で済む。これは最も合理的で、最も確実な方法なんですよ!」

「ウソだ! あんたなんか、ウスイ中尉じゃない!」

「これだけ言っても分からないのなら……!」


 藤乃とペトラは同時に動いた。歯を食いしばり、全身に力を込め――――



「「セイバーモードっ!」」



 同時にセイバーモードを起動した。


 装着されていた装甲が剥がれて解け、二人をそれぞれ包む繭へと変化する。渦巻く糸の竜巻を切り裂いてペトラが、そして大きな繭を大太刀で切り裂き、藤乃が変身した姿で飛び出した。

 ペトラが放射状に放った糸束を、藤乃は切り払いながら距離を詰める。

 背中に広げた翼を大きく羽ばたかせ、ペトラはさらに上空へと飛ぶ。追ってくる藤乃に対して、ペトラは上を取った。


「ホンモノの中尉をどうした!」

「私がホンモノですよ、ペトラさん。見えるでしょうこのセイバーモード。セプテントリオンにセイバーモードは使えない」

「そんなの信じられない、信じない!」


 縦横無尽にペトラは糸を張り巡らせた。風に乗ったペトラの糸は、藤乃の上下左右すべてを覆いつくし、逃げ場を失くす。

 糸を刀で切り払おうとする藤乃だが、ペトラの糸展開のほうが速度は上である。切り払った側から増えていく糸に絡めとられて、藤乃はすぐに身動きが取れなくなった。

 もがけばもがくほど、糸はより強く獲物を絡めとる。ペトラの蜘蛛の巣のような糸の特性を知っているのか、藤乃はすぐに抵抗をやめてしまった。


「このまま連れて帰りますからね、中尉」

「ペトラさん。あなたは重大なことをお忘れのようですね。私はイヴ。すべてのシェルヴール、その疑似有機繊維は、私から作られた」

「はい?」

「私が『力』を見せたとき、あなたもあの場にいたはずですよ」


 ペトラは、全身の毛穴をヤスリで擦られるような、ぞわっとした感覚に襲われた。

 藤乃を絡めとる糸が、色を変えている。純白から、淡い紫色へ。有機繊維の制御が、藤乃によってオーバーライドされた証だ。

 焦ったペトラが糸を追加するも、逆効果である。藤乃は自身を縛る糸をすべからく制御下におき、ついには拘束を破って自由になった。

 ぎゅん、と風を切る音を立て、藤乃はペトラに一気に近づく。

 空中を漂っていたペトラの糸の先が、藤乃の頬を切った。そこに描かれる、細く赤い線――――血の色。人間の色。その飛沫が、宙を舞った。

 ペトラは悟った。目の前にいるのは藤乃を模したセプテントリオンなどではない。正真正銘、本物の碓氷藤乃――――「真のイヴ」その人なのだと。


「今の私は、こんなことも出来ちゃいます」


 拳を握る藤乃。その手に藤色の糸が集まり、ガントレットを形成する。

 避けるか、防ぐか。逡巡したペトラの意思決定を待たず、藤乃の拳はペトラの心臓の直上を捉えた。


「ぁがッ」


 藤乃の操る糸が、ペトラの体内に侵入してきた。制御系が書き換えられ、タイフーンのセイバーモードが強制解除される。

 反重力飛行が出来なくなったペトラはそのまま落ちていくしかない。頭がくらくらし、ペトラはゆっくりと目をつむった――――

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