⑤
「待ってた……だって?」
「はい。我々は、あなたがここに来るのをずっと待っていました。真の『イヴ』」
跪いたまま、イヴは動かない。
藤乃は逡巡した。イヴは危険な存在だ。こうも無防備ならば、今のうちにふっ飛ばしてしまおう。
だけど――――藤乃は悩む。言葉が通じていて、戦闘の意志がないのなら。話を聞いてみるのもいいんじゃないだろうか――――
「どうして?」
「あなたが、我々の『しんか』に必要な存在だからです」
イヴは依然にも増して流暢に人間の言葉を話している。
「私はあなたをミュンヘンで殺したはずなのに。どうしてここにいるの?」
「わたしに『死』は存在しません。あなたたち地球人類が『セプテントリオン』と呼んでいる生命体、その集合的意識の一部でしかないのです」
「……?」
「我々という存在をあなたに理解してもらうには、収集した言語情報が不足しているようですね」
ようやくイヴは立ち上がった。
「ついてきてください。ご案内します」
「ちょっと待って。この下には何があるの」
「『我々』があります」
藤乃は自分の耳を、次に言語理解力を疑った。
イヴの語る「我々」とはセプテントリオンという「種族」のことだろうか。だが、それが「ある」とはどういうことだろう。
藤乃が考える間に、イヴは横をすり抜け、エレベーターシャフトの中へ飛び降りた。
慌ててイヴの後を追う藤乃。本来ならば遊撃航空隊の仲間が到着するのを待つべきであるが。イヴの語る言葉に対する強い好奇心が、正常な判断を鈍らせてしまった。
エレベーターシャフトを数百メートル降りたところで、イヴは横道へと入った。
軍服のまま、反重力でふわふわと飛んでいるイヴ。藤乃はそれをホバリング推力のまま追いかけていった。
「我々は、悠久の旅をする種族です」
「ゆーきゅーのたび?」
「これまでも無数の星系を訪ね、それを滅ぼしてきました」
横道の通路の奥は、赤い光が灯っていた。何もなくとも、それが非常事態を伝えるものであるのは藤乃にも分かる。そしてその壁一面、びっしりと張り付くように張り巡らされた、赤い光を反射する綿のような糸。それがすべて、セプテントリオンであることも。
「ここに人間はいるの?」
「いません」
即答したイヴが隔壁の一枚に手を翳すと、自動ドアのようにそれが開き、スラト租界地下の空間がイヴと藤乃を迎え入れた。
地下をくりぬいて作られた、直径は十数キロほどもある円筒状の空間。
上部から吊り下げられた人工太陽がまぶしい。だがそれが照らしているのは人間の住む家でも、人間が働く建築物でもない。
それらの残骸の上に、ベールをかけるように張り巡らされた糸、そしてその結節。
スラト租界の地下は、完全にセプテントリオンに占拠されていた。
円筒系の空間を飛行するイヴに付き従い、藤乃も飛ぶ。
ウナラスカのときとは比較にならないほど巨大なセプテントリオンの「巣」。すべて焼き払うには、水爆が何発必要だろうか。生き残った人間がいないのなら、もはや躊躇の必要はない。
「もともとただの繊維状生命体であった『我々』は、有機物をむさぼるだけの卑しい生物でした」
「今も同じでしょ」
「いいえ、違います。変えてくれたのはあなたなのですよ、イヴ」
円筒系の空間、その中心部にあった塔と思しきもの。途中で折れたその塔の最上部にイヴは降り、その少し後ろに藤乃も着陸する。
そこにあったのは、周囲の糸に絡められて空中に吊り下げられた、巨大な紡錘型の繭であった。質感はセプテントリオンに間違いないが、周囲の純白のセプテントリオン繊維とは異なり、淡い青色をしている。
「なにこれ」
「『我々』の、本来の姿です」
イヴが繭に手を触れると、触れた場所がにゅるりと開いて口になり、イヴの腕を食いちぎった。
食われたイヴの腕は繭の中で繊維にほどけて融けていき、イヴのほうは腕を再生させている。
「繊維状生命体であった我々は、その進化の過程において、あらゆるものを貪食するようになっていました。母星の生命を食らいつくし荒廃させてしまった我々は、新天地を求め宇宙を旅するようになったのです」
「それで地球を食べてやろうってわけ?」
「はい」
藤乃は機関砲を起動する。
「撃っても構いませんが、意味はないと思いますよ」
「今の話を聞いて、私が躊躇すると思う?」
「思いません。撃ちたいのでしたら、どうぞお気に召すまで撃ってください」
そういわれてしまうと気分も削がれる。藤乃は機関砲を停止させ、砲口を閉じた。
「最初は地球も、ただの入植先でしかありませんでした。そこにある生命も、ただの食料であると。しかし、あなたと繋がって、我々にも変化が生じたのです」
「変化?」
「地球生命の神経細胞は、我々の体とよく似ています。人間の脳は、それを高度にネットワーク化することで複雑な思考や記憶を獲得している。あなたとの接触から、我々は知能を得る術を獲得しました」
「知能を……私が?」
「はい。あなたの記憶を頼りに、我々は我々という存在を最も理解してもらえる姿に変化させました。あらゆるものを貪食する生物という概念は、あなたというフィルターを通じて今の形になったのです。セプテントリオン……北斗七星。おおぐま座。クマ……」
「……テディベア」
藤乃がイヴの言葉を繋ぐ。
「ちょっと待って。じゃあ、セプテントリオンがテディベアの姿をしてるのって……!」
「あなたがそうしたのです。雑食性で凶暴な生物、そして『おおぐま座』という単語からクマを連想し、我々はそのイメージを象った。我々を、理解してもらうために」
「理解だって?」藤乃は拳を握りしめる。「『地球を滅ぼしに来ました』って、理解したところで認めるわけないでしょ!」
「そうでしょうね。ですが、あなたとの接触を通して知能を獲得し、我々も理解したのです。ただただ本能のままに貪食し続けるだけの存在であることが、いかに愚かで虚しいことであるかを」
「だったらどうして……!」
藤乃はイヴに腕を向ける。
正確には、心神改のウェポンベイを。そこにはミサイルが搭載されており、この距離からならばイヴもそれを避けることはできない。確実に抹殺できる。
「どうして、食べるのを辞めなかったの! 私が食べられたのは十年以上前でしょ! そこから今まで、どれだけの人がお前たちのせいで死んだと思ってるんだ!」
「人間と同等の知能を獲得するまでに、時間がかかりすぎてしまいました」
「そんな言葉で、みんなが帰ってくるもんか……!」
藤乃の腕が震えた。
イヴは避けるそぶりも見せない。今なら確実に殺せる。この距離なら――――
「あなたがこの租界に来てからすぐ、地球上にいるすべてのセプテントリオンに活動停止を命じました」
「活動停止?」
「終戦です、真のイヴ。我々はこれ以上の戦いを望みません」
「信じられるか!」
「我々は限定的ではありますが、感情も理解しました。親しい人間、愛する人を喪う気持ち……心中、お察しします」
「バケモノが……私を、人間を分かったつもりになるな!」
「我々はあなたのことを誰よりも一番良く知っていますよ。今でもあなたと我々は繋がっていますから」
「……は?」
イヴに向けていた藤乃の腕から、力がすっと抜けた。
「あなたの中枢神経系は我々と同質の存在ですから。記憶も、感情も。すべて共有されています。共鳴――――そうですね、人間の言葉で表現するのならば『テレパシー』とでも言うのでしょうか」
「そんな……まさか……!」
「あなたの考えていることを正確に読み解くには、人間と同等の知能が必要でした」
『心神改』の変形が解ける。膝から崩れ落ちた藤乃は、目の前にある巨大な繭を見上げた。
藤乃の意識はセプテントリオンと繋がっている。それはすなわち、藤乃が見聞きしていた作戦行動の情報は全て、セプテントリオン側に筒抜けであった――――自分でも知らないうちに、藤乃はスパイになっていたということである。
このまま戦い続けても。藤乃の目尻に涙粒が浮いた。
人間と同等の知能を獲得したというセプテントリオン。藤乃がいる限り、人類に作戦の成功はありえなくなる。藤乃が見聞きしたことが、すべてセプテントリオンに筒抜けになるからだ。
「我々は、あなたの夢を叶えてあげられます」
「私の……夢」
「はい。宇宙へ、お連れします」
藤乃は体をぴくりと震わせた。
宇宙。
空の果て。人類未踏の世界。今の藤乃の、夢。
その言葉は、自身の存在を揺るがされたばかりの藤乃にとって、麻薬にも等しき言葉であった。
このまま戦い続けても、人類に未来はない。藤乃が間諜となって、スパルヴィエロの作戦行動に重大な支障をきたす――――艦の仲間たちが、大勢犠牲になる。
しかし終戦を受け入れれば戦いは終わり、誰も死ななくて済む。藤乃は宇宙へ行ける。
「……私に」
藤乃はイヴを見た。
自分のレプリカ。セプテントリオンはなぜイヴを作ったのか。ただの人間の模造品ではなく、初めてセプテントリオンに取り込まれ、その後人間に戻った少女「イヴ」を模している理由は何だろうか。
彼らにとって「イヴ」が特別な存在ならば。セプテントリオンは、イヴ――――レプリカではない「本当のイヴ」、碓氷藤乃その人を必要としているということだ。
自分にはすべきことがある。藤乃は少し嬉しくなった。セプテントリオンが求める「イヴ」として、より有利な条件でセプテントリオンとの講和を結ぶことである。
「私に何をしろっていうの」
「もう一度、我々と繋がっていただけますか。我々の中で反芻されているあなたの記憶だけでは、今以上の進化を遂げることはできません」
「進化……」
藤乃の中で、謎と答えがつながった。
イヴが時折口にしていた「しんか」の言葉。彼女が生み出されたのは、イヴの思考や意識を再現するためである。
セプテントリオンは藤乃の再現体を作ることで、初めて人類を「理解」したときと同じことを繰り返そうとしていたのだ。ただの繊維状生命体、触れるあらゆるものを貪食することしかできなかった彼らが、個体を作り、群れを作り、そして知能を獲得した進化のトリガーとなった出来事を、もう一度起こそうとしていたのだ。
「もちろんタダで、というつもりはありません。現在地球圏で活動している全セプテントリオンのうち、97%の個体がこの中枢指令個体『アリオト』の支配下にあります。その全指揮権を、あなたに差し上げましょう」
藤乃の目の前の繭から、解けた糸が下りてくる。するすると、藤乃を優しく包むように巻き付いた糸が、藤乃の背筋から体内へ侵入した。
痛みはない。それはむしろ、心地よさすら感じる「繋がり」であった。




