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スラト租界に近づいた藤乃たちだったが、不思議と全くセプテントリオンとは接敵しなかった。
斥候型数十体程度の小さい群れと接近することはあったものの、セプテントリオンたちは揚陸艇に気づく様子はなく、藤乃やペトラも何度か飛んだが、戦闘と呼べるようなものは一度もなかった。
スパルヴィエロを発って三日。あまりの「何も無さ」に警戒心を強めた藤乃は、単身スラト租界への偵察作戦を実施する。
「小隊長、ホントに一人で大丈夫なんですか」
「うん。むしろ、みんなが来たら邪魔になるかも」
これは嫌味ではない。
すばるが残した仕様書を読み解いたスパルヴィエロの整備チームは、心神改の未実装機能を発見した。狭域電磁波撹乱装置――――セプテントリオンが生物を感知するのに用いている赤外線を打ち消し、ほぼ完全なステルス能力を得ることができる機能である。これを使えば、セプテントリオンの目と鼻の先を飛行していても気づかれないというわけだ。
だが、この機能は他のシェルヴールには転用実装できなかった。そのため、偵察に行くのならば藤乃が単身で行くしかない。
「通信もしばらくできなくなります。その間の直掩は任せますよ、シェミィさん」
「は、はいっ、頑張りますっ!」
「小隊長、スラト租界で合流しましょう。ご武運を」
「ありがとうございます。碓氷藤乃、ATD-X22『心神改』。エンゲージ!」
揚陸艇のサイドハッチから飛び出した藤乃は、大きくエンジンを噴かして高度を上げていった。
揚陸艇では5時間の距離でも、シェルヴールならば十数分で飛行できる。藤乃はスラト租界に到着し、ドームの側に降り立った。
半壊状態となったドームの表面は錆びついていて、あまり人がいるようには見えない。周囲の静けさも合わさると、まるで廃墟のようである。
いつでも機関砲を放てるようにシェルヴールの変形を維持したまま、藤乃は歩いてドームの周りを回る。ほどなくして、外部との連絡通路を発見し、藤乃は中へと突入した。
通路の中には照明がない。藤乃がシェルヴールのサーチライトで照らしてみると、照明がないのではなく、電気が届いていないのだと気が付いた。
「もしもーし」
細い通路の壁に、藤乃の声だけが反響する。
遠く、サーチライトの照らす距離の、さらに向こうまで藤乃の声がキンキン響いたが、答えるものはやはり無かった。
非常灯すらも消えている通路を進み、藤乃は行き止まりで立ち止まる。
目の前には大きな鉄扉。シェルヴールの筋力アシスト機能を活用して扉をこじ開けてみると、そこにはエレベーターシャフトがあった。
だが、そこに籠はない。天井から垂れているはずのケーブルはなく、代わりに外の光が差し込んで垂れ流されている。
「空まで……開いてる?」
エレベーターシャフトの天井が抜けているのだ。どうして?
その疑問の答えは、すぐに明らかとなる。気配を感じて顔を引っ込めた藤乃の鼻先を、斥候型セプテントリオンの小さな群れが、空に向かって飛び去ったのだ。
空に向かって。下から上へ。
下にあるはずの居住区から、セプテントリオンは飛び出して来たのだ。おそらく、このシャフトの下にある居住区は、セプテントリオンの巣になっている――――
藤乃は振り向いた。早く戻ってみんなと合流しよう。サーチライトを点灯した藤乃だったが――――
「わッ」
光が照らし出したのは通路ではなかった。
人影、それも軍服を着た白髪の少女。イヴ・レプラカーンである。
藤乃が倒したはずのイヴが、そこにいた。
機関銃を起動し、砲口を向ける藤乃。だがイヴはそれを見ても全く動じず、それどころか突然藤乃の前で跪いてみせたのだ。
「……お待ちしておりました」
イヴの口から出た言葉に、藤乃はトリガーを引けなくなった。
驚くべきことに、イヴは突然日本語を喋ったのだ。
発砲の合図を待つ航空機関砲の、微かなカラカラ音だけが暗闇の通路に反響する。




