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 リンファのつけた作戦名は「オペレーション・マイグレート」であった。英語で「渡り」を意味するその単語には「戻ってくる」という祈りも含まれている。


 揚陸艇の操縦はヒルダとヴェロニカが交代で、接敵した場合の斥候にはペトラと藤乃が交代で出ることになっている。シェイミーは補欠要員であるが、自ら主計係を志願し、燃料や水、食料の管理をしていた。


「小隊長って、副業に興味ありません?」


 携帯食料を齧りながら、揚陸艇の操縦桿を握るヴェロニカが突然藤乃に問う。

 揚陸艇の操縦、といってもほとんどはセットしたコース通りにオートパイロットで飛行できるので、周囲の状況を見ながら適宜コース修正したり、緊急時にマニュアル操作に切り替えたりするだけである。前さえ見ていれば、食事や雑談の暇もある。


「なんですか、急に」

「この前ちょっといいビジネスを思いついたんです。小隊長、昔男装されてたとか聞いたんですけど」

「え、小隊長ってそんな趣味が……?」背後から会話に加わるシェイミー。

「ないですよ!」藤乃は慌てて否定する。「あの時はペトラさんに頼まれてやっただけです!」

「でも、絶対似合うと思うんですよね、男装。需要ありますって」

「何の需要なんですか……。前にもイングリットさ……隊長に『男装の麗人飛行士をやらないか』とか言われましたけど」

「流石総隊長。ウスイ小隊長という人材の活用方法を、よく分かってらっしゃいますね」

「どこがどう分かってるんですかね⁉」


 うんうん、と頷くヴェロニカ。シェイミーも同じ反応をしている。


「それでなんですけど。ヘシカ分かります? あの子、シェルヴールのカメラで撮った航空隊員の写真を売ってお小遣いにしてて」

「え、何ですその話。初耳なんですけど」


 シェルヴールマニアの限界オタク、ヘシカのことは藤乃も知っている。以前リンファの分隊下にいて、藤乃も握手を求められたことがあるからだ。

 それでも、航空隊員を盗撮して写真を売っていることまでは知らない。


「小隊長の写真も、いい値段で売れるらしいんですよ。しかも姫さんの写真を買う人は男女問わずなんですけど、小隊長のは女性ばっかりだそうで」

「あー、分かる。小隊長って男にはモテなさそうだもんね。平坦娘(ぺったんこ)だし」

「ん? なんか私バカにされてる?」

「でも女子人気は高そう。小っちゃくてかわいいから」

「やっぱりバカにされてる気がしてきた」

「そこで、ですよ。名付けて『男装喫茶バザード』」

「だんそうきっさ……?」

「はい。遊撃航空隊のメンバーが、男装で給仕する喫茶店です」


 軍服の胸ポケットから、ヴェロニカが個人用の端末を取り出す。数回タップして操作した後で、藤乃にそれを差し出した。

 画面に表示されているのは、かなり綿密に制作された事業計画書であった。藤乃もそれをスクロールしてチェックしていたが、一文に思わず目を留めてしまう。

 店の立地。そこに書かれた場所はかつて『カントリー・アイダホ』――――キャサリンの店があった場所である。


「前隊長のやってたお店、今空き店舗になってるらしいんですよ。折角だし航空隊が引き続き使おうかなって思いましてね」


 その場所が藤乃にとって特別な場所であったことを、ヴェロニカは知っているのだろうか。

 キャサリンの死、ペトラの脱走、ファントムの喪失と心神改との再会、遊撃航空小隊の発足。いろいろありすぎて、藤乃はスパルヴィエロに戻って以来、アイダホの跡地を訪ねていなかった。この任務が終わったら久しぶりに覗いてみようかな、と藤乃は一人心の中で呟く。


「すごい気合の入った計画書……ヴェロニカ、なんでこんなものを?」

「夢を買うにはお金が必要だからね」

「夢?」

「はい。私、租界を買おうと思ってるんですよ」

「租界を⁉」


 藤乃とシェイミーがあまりに大きな声を出したので、仮眠中のヒルダが飛び起きてしまった。周囲を見回し、何事もないと理解したヒルダが再度仮眠に戻る。


「……租界を買うって。そもそも買えるものなんですか、租界って」

「買えますよ。あんまり大きいのは無理ですけど。人口数百人くらいの建設初期のコロニーなら、出資者募集も結構ありますしね」

「買ってどうするの、租界なんて」

「そりゃ、住んでる人から税金を取るに決まってるじゃない」

「集めた税金はどうするんです?」

「それはこれから考えます。お金なんていくらあってもいいですからね」


 ヴェロニカはかなり商魂逞しい女のようである。


「シェミィにはないの、買いたい『夢』」

「夢、夢かぁ。うーん。でも、私の夢はちょっと、売ってないかなぁ」

「どんな夢なんですか?」

「えへへ……世界が平和になればいいなぁって」

「……」

「…………」

「……え、なんで黙ってるんです? 私なんか変なこと言いました?」

「……普通すぎる」

「普通すぎ、とは?」

「そんな、すぐに叶いそうなものは夢とは言わないよシェミィ。なかなか叶わないからこそ願う意味があるんだから」

「まあ、それはみんな思ってることですもんね。平和になればいいなんて」

「えー。じゃあそういう小隊長はどうなんですか。夢、あるんですか」


 かつて藤乃はそれに悩んでいた。シェルヴールを纏って戦うこと、セプテントリオンから制空権を取り戻すこと。それは確かに藤乃の夢ではあるが、その先――――航空隊員としての任を解かれた後のことを、藤乃は最近ようやく考え始めていた。


「……宇宙、行きたいなって」

「宇宙?」

「はい。空の果て、もっと向こうには宇宙があるんです。無限に見える空にも限界があって、その果てにある場所。それが『宇宙』です」


 無限に深い空の果て、その「底」を突き抜けた場所にあるのは、宇宙である。

 セプテントリオンが地球を襲う前は、人類も少しずつ、宇宙へ進出し始めていた。今の藤乃の夢は宇宙――――人類が後退させられたフロンティアへ、再度挑む先鋒となることである。


「いいですね、宇宙。ビジネスの匂いがします」

「ヴェロニカ、そればっかり」

「いいじゃない。新聞の見出しはこんなのどうですか。『奇跡の少女、宇宙船の事故から奇跡の生還!』とか」

「事故る前提⁉」


 シェイミーもヴェロニカも笑った。藤乃も笑った。

 口には出せなかったが、藤乃が今一番叶えたいものは部隊の皆の、この笑顔を守ることである。

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