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 隊長私室。部屋の広さは他の航空隊員の部屋とほぼ同じだが、一人部屋なので少しだけ広く感じる。片側のベッドがない空間には広いデスクと小さなテーブルが置かれ、イングリットは小さなテーブルの前の席に座るよう藤乃に促した。


「す、すみませんイング……隊長。さっきは突然、変なこと言って」

「ん、大丈夫。怒ってるわけじゃないの」


 イングリットも藤乃の向かいに腰を下ろした。


「最初聞いたときは私も驚いた。まさか『イヴ』が日本人だったなんて」

「いつ知ったんです……?」

「貴女を石巻で拾ったとき。貴女の御父上から聞いたの」


 それは、藤乃が初めてスパルヴィエロに乗艦したときである。あの時、藤乃はペトラに連れられて艦内を見回ったが、その裏で藤孝はイングリットと何かを話していた。藤乃がスパルヴィエロに残るに当たって、藤孝は藤乃の正体をすべて話し、イングリットたちに藤乃のことを託していたのだ。


「貴女に人間らしい、普通の女の子としての生活を送ってほしい、というのが御父上の願いだった。だから私と艦長は、貴女の素性はずっと秘密のままにしておこうと思ったの」

「隊長は……いえ、キャサリン大佐はそれを知っていたんでしょうか」


 イングリットの顔が引きつる。キャサリンのことを話されるのは、今のイングリットにとって最も辛いことだろう。だが、藤乃はどうしても聞きたかった。


「キャシーは……ええ、知っていた。私が話したもの。自分が指揮する隊員がどういう子か、知っておくのは隊長としての義務だから」


 おそらく顔を合わせる前から、ずっと。キャサリンは藤乃の素性を知っていたのだ。知っていた上で、キャサリンは藤乃を、あくまで一人の人間として扱っていた。

 きっとあの時も――――藤乃は想起する。カントリー・アイダホのカウンターで、キャサリンの正体を知ったとき。「戦うことが、私たちのすべてじゃない」と語ったとき。藤乃の正体と、それでも戦いに巻き込まれてしまう運命を知り、キャサリンは何を思ったのだろうか。


「だからこそ言っておくわ。私たちは貴女をイヴとして扱うつもりはない。これからもね」

「……と、いいますと?」

「さっき、貴女はイヴの侵食を取り込み返したといったわね。その力、もう二度と使ってはダメよ」

「なぜです」

「過去がどうあれ、今の貴女は『奇跡の少女イヴ』ではなく、碓氷藤乃だからよ。日本生まれで、シェルヴールで飛ぶのが得意な、どこにでもいる女の子。だからそのイヴとしての力を、作戦行動に組み込むことは絶対にありえないわ」

「でも、どうしてもみんなが危ないときは……」

「セイバーモードもそう。あれは積極的に使っていい力じゃない。制限はされていないけれど、だからといって無制限に使っていいものじゃないの。困ったらまず仲間を頼りなさい。そのために私がいるし、航空隊のみんながいるの。忘れないでね、藤乃ちゃん」


 藤乃はイングリットの言葉に、途端にむずがゆくなった。

 キャサリンもイングリットも。藤乃の正体を知りながら、一人の人間として扱ってくれている。そのことがただ、藤乃には嬉しかった。


「話はもう一つ。近いうちに部隊を再編する予定なの」


 イングリットは執務机からタブレット端末を取り出し、藤乃に手渡した。


「特務航空隊を二小隊に分けることになったわ。片方はスサンナの率いる直掩隊。予備航空隊はそっちへ移行よ。そしてもう一つ。スパルヴィエロから離れた目標へ強襲、先制打撃を与える遊撃航空隊。藤乃ちゃんにはそっちの小隊長を務めてもらうわ」

「わ、私に⁉」

「ええ。長距離飛行の経験がある航空隊員は少ないのよ。ペトラちゃんはあんな感じだし……。メンバーは補欠隊員を含めて五名、機材はトーネードを優先的に回すわ。候補を選んだから、そこから藤乃ちゃんが好きにメンバーを選んで頂戴」


 イングリットが渡したタブレットの中身は、航空隊員たちのテスト成績をまとめたものであった。座学、火器管制、基本戦技行動、模擬空中戦。航空隊員全員ではなく、ある程度イングリットが候補を絞り込んだ選抜メンバーのようだ。

 スクロールした藤乃は、リンファの名前がないことに気がついた。


「あの」

「何かしら」

「リンファはいないんですか?」

「リンファ……ああ、ホアン曹長ね。あの子なら航空隊を辞めたのよ」

「えっ」


 藤乃は驚きのあまりタブレットを落としかけた。落下する前に慌てて掴む。


「私としては是非残って欲しかったのだけれど。操縦の腕も良かったし、リーダーの素質もある。私やスサンナに何かあったら、航空隊を任せてもいいと思っていたくらい」

「リンファは今どこに?」

「ブリッジクルーになったわ。作戦遂行支援官。オペレーターも兼任よ。階級は少尉」

「あの、イング……いえ、隊長」

「無理に隊長って呼ばなくてもいいわよ」

「リンファを説得してみてもいいですか。遊撃隊に入ってもらえるように」

「構わないわ。航空隊としても腕のいいパイロットは一人でも多く欲しいしね。でも、一番大事なのは本人の意思よ。それだけは忘れないで」


 部隊再編の話は士官隊員以外には内密に、と言い含めたイングリットと別れ、藤乃は自分の部屋に戻る。



 藤乃のベッドの向かい側、リンファのベッドはすっかり片付いていた。置き忘れられた荷物の一つも残っていない、まっさらな状態に戻された私用スペースに、藤乃は寂しさを覚える。

 藤乃が寝転がると、ベッドはぼふんと返事をした。

 アタシも新しいシェルヴール欲しいなー。そんなリンファの声が聞こえた気がして、藤乃は上体を起こした。当然、そこにリンファの姿はない。


「ウスイ少尉」部屋の入口から聞こえてきた声に、藤乃は振り向く。ペトラだった。「お話、いいですか」

「はい、いいですよ」


 部屋に入ったペトラが後ろ手に扉を閉め、向かいの空きベッドに腰を下ろす。


「二つありまして。一つはこの部屋、空いているそうなので。私が入ろうかと思ってるんです」


 ペトラの同室はイングリットである。彼女が隊長私室に移ったということは、ペトラもまたルームメイトを失った状態である。


「ええ、構いませんが……でも、リンファが戻ってくるかもしれません」

「そのときはあきらめます。それともう一つ、隊長から聞きました。遊撃航空隊のこと」

「もうですか。話が早いですね」

「わたしを遊撃隊に入れてもらえませんか、ウスイ少尉」


 藤乃にとっては願ってもない申し出である。シェルヴールでの飛行経験豊富で実戦経験もあり、また長距離飛行の実績もある。ペトラが部隊に加わってくれれば、藤乃にとっては心強いが。


「お気持ちはありがたいのですが。ペトラさんは、直掩隊のほうがいいと思いますよ」


 母艦を離れての長距離飛行と強襲攻撃。制空権をセプテントリオンに奪われた現代において、飛ぶことはすなわち死の危険と隣り合わせということである。直掩隊ならば撃墜されても救助の目もあるが、スパルヴィエロから離れればそれも望めなくなる。藤乃の任される小隊は、決死隊に近いものだ。


「ペトラさん、戦地に希望を届けられる人になりたいって言ってたじゃないですか。だったら、遊撃隊なんかよりも、船を守る任務のほうがそれに近いんじゃないかって思いますけど」

「そうでしょうか」

「そう思いますよ」


 藤乃は自分の小隊にペトラを入れるのを渋った。決して、彼女のことを嫌っていたわけではない。むしろ、ペトラをこれ以上危険な目に遭わせたくないと思ったのだ。

 しかし、そんな藤乃の想いを、ペトラが汲み取ることはなかった。立ち上がったペトラは一歩、藤乃に近づいてぐいと迫る。


「でも、立候補するのは自由ですよね?」

「それは、まあ……」

「じゃあ立候補します。わたしが部隊メンバーとして不適格だというのなら、模擬戦でもなんでもやってください。必ず勝って、遊撃部隊に入ります」

「ど、どうしてそこまで……」

「分かりません、自分でも。でも、昔のわたしならそうしたと思うんです。だから、そうします」


 今のペトラには感情がない。医療主任のミリアムがいうところの「機械に限りなく近い存在」になっている。

 そのペトラが、なぜこうも藤乃の部隊にこだわるのだろうか。もしかして――――藤乃は安易にすがってはいけないと思いつつも、か細い希望の光から、目を反らすことはできなかった。


 もしかすると、ペトラは感情が蘇りつつあるのではないか。


「じゃあわたしはこれで失礼します。リンファさん、説得できるといいですね」

「はい、ありがとうございます」


 ペトラが部屋を出ていく。その背を見送りながら、藤乃は思った。

 あれこれ悩むのは後にしよう。まずはリンファの説得、そして遊撃小隊のメンバーを選ぶのが、藤乃に任せられた仕事なのだ。

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