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第16話 アタシの戦場 ①

 ミュンヘン上空でのセプテントリオンとの戦闘は、ミュンヘン租界の地上部へ少々の被害を出したものの、人類側の被害は重軽傷者十数名ほど、ほぼ完全な人類の勝利で終わった。

 ペトラの父でレジーナ工廠現社長、ヨハンは租界を発ちスパルヴィエロとのランデブーに向かう小型揚陸艇の前で、娘と別れの挨拶をしている。


「ペトラ。元気でやるんだよ」

「はい、お父さん」


 ヨハンは両手を広げてペトラにハグを求めたが、ペトラはそれに応じることなくその脇をすり抜けていってしまった。相手を失った両手は空中に固定されたまま、ヨハンの困ったような視線だけが作業中の藤乃に向けられる。

 ペトラの代わりにハグに応じろ、ということらしい。


「……ウスイ少尉、いかがです? いずれ貴女もうちの人間になるわけですし」

「それ、どういう意味ですか……」


 藤乃はヨハンを無視して作業に戻った。神経は完全に回復し、杖も不要になっている。

 揚陸艇には藤乃とペトラ以外にも、スパルヴィエロに贈られる少々の物資と三人の航空隊員が同乗している。

 彼女らはミュンヘン防空隊の航空隊員だったが、スパルヴィエロへの転属を希望したメンバーだ。その中にはあの、心神改のテストパイロットをしていた最年少の隊員も含まれていた。


「あの、ウスイ少尉」

「はい」

「ラウラ・トラウトといいます。あの、先日の戦闘で」

「ああ、この子のテストしてくれてた隊員さんですね。ありがとうございます」


 藤乃が頭を下げると、ラウラもあわてて頭を下げた。


「あ、あの。見ててくださったんですね。わたしのこと」

「大変だったでしょう、『心神改』を飛ばすの。うちのエンジニア、ちょっと加減を知らないから」

「ええ、まあ……ひっ」

「……悪かったね、加減がわからない人で」


 すばるが藤乃の背後に立っていた。


「わっ、すばる!」

「人を怪物みたいに言わないでくれる? はいこれ、心神改の仕様書」


 すばるは藤乃の軍服の胸ポケットに、無理やりメモリーカードを差し込んだ。


「スパルヴィエロのスタッフに見せてあげて。心神改の整備についてと、セイバーモードのバックドアについて書いてある」

「それならすばるもスパルヴィエロに来て、自分で説明すればいいのに」

「そうしたいのは山々なんだけどね。まだこっちで研究したいことも残ってるし、きっと私の戦場は、藤乃とは別のところにあるから。一緒には行けないよ」


 こうもはっきり言われると、藤乃も少し寂しくなる。


「……それでも、きっと空はどこかでつながってる。そうだよね、藤乃」

「うん。お互い頑張ろうね、すばる」


 藤乃はすばると抱擁を交わす。

 それを間近で見ているラウラは、耳まで真っ赤に染まっていた。


「納入品にはトーネードIDS三機分。これはセイバーモード非搭載型で、プラウラーの上位機種になる」


 ハグを終えた藤乃を案内しながら、すばるは積み込みの物資のリストを突き合わせる。


「頼もしいね」

「それからグリペン……こっちはアガヴェル大尉にって。最終調整待ち」

「……イングリットさんか」


 藤乃がスパルヴィエロから出発したとき、イングリットはまだ私室にこもったままで姿を見せなかった。

 戻ったらメンタルも回復しているといいのだが。それは希望的観測に過ぎないなと藤乃は憶測を頭から追い出す。


「イングリットさん、大丈夫かな」

「どんな人なの?」

「隊長……ヴィリディス大佐と結婚したんだ。大佐が死ぬちょっと前に」

「そう、なんだ……」

「隊長がMIAになって、それっきりふさぎ込んじゃって。でも私も、イングリットさんにどんな言葉をかけてあげたらいいのか、わかんないんだ」

「そっか……」

「イングリットさんの分も、私頑張るよ。隊長が命を懸けて守ろうとした空、私も守ってみせる」

「今度もまた、さよならは言わないよ藤乃。いってらっしゃい」

「うん。行ってくるね」


 積み込みを終えた揚陸艇が地面を離れる。

 藤乃はその窓から、小さくなっていくすばるやヨハン、そしてミュンヘン租界をしばらく見ていた。



  ☆  ★  ☆  ★  ☆



 スパルヴィエロとの合流ポイントとして指定されたカイロ租界まで、行程はおおよそ三日。途中何度か藤乃も出撃してセプテントリオンの群れを迎撃することになったが、大した被害もなく、藤乃たちはスパルヴィエロと合流した。

 甲板に降り立った揚陸艇を、スサンナが出迎える。怪我は完全に回復したようだ。


「ジャップ、それに犬っころ。よく戻ったな」

「ありがとうございます、スサンナさん」

「そのシェルヴール、話にあった新型だな?」

「はい。ATD-X22『心神改』。どうですか、副隊長。模擬戦してみます?」

「言うようになったじゃないか。この、ヒヨッコめ」


 スサンナは藤乃の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 口調は相変わらずだが、スサンナの表情は柔らかい。藤乃もなぜか笑ってしまった。


「イングリットさんは大丈夫ですか」

「ん、ああ。一応、部屋からは出られるようになったよ。隊長として、顔役くらいはやってくれているが……」

「レジーナ工廠から、イングリットさんの新しいシェルヴールを預かってきてるんです」

「……無理だろうな。あいつはもう飛べないだろう」


 揚陸艇から物資を下ろすペトラとラウラに、ヘシカとカティアが加わった。ラウラは歳の近いヘシカやカティアとすぐに打ち解けたようだ。ラウラから『心神改』のことを聞き出そうと、シェルヴールマニアのヘシカは鼻息を荒くしている。


「みんながブリーフィングルームで待ってる。挨拶していけ」

「はい」


 スサンナに連れられて、藤乃と元ミュンヘン防空隊の二人が艦内を進む。ブリーフィングルームでは、イングリットと艦長、そして予備航空隊の小隊長クラスの隊員が待ち構えていた。


「よく戻ってくれましたね、碓氷少尉」

「ただいま戻りました。大尉」


 藤乃はイングリットとハグをした。腕の力は弱弱しかったが、優しい匂いは変わっていない。イングリットが少しだけ立ち直れたことを、藤乃は喜んだ。

 壇上から室内を見渡す。藤乃と隊員二人の紹介を兼ねたこの会場は、藤乃がミュンヘン

で戦った『イヴ』についての情報共有も兼ねていた。藤乃はイングリットに問われ、『イヴ』の変化について語る。


「以前遭遇した『イヴ・レプラカーン』を名乗るセプテントリオンは、武器を槍としていました。ですがミュンヘンで遭遇した際には、手に装備した鋭いアイアンネイルを武器にしていました」


 それはキャサリンのセイバーモードを模倣したもの――――ということは、藤乃は伏せておいた。


「おかしなことを言っていました……『しんか』とか」

「進化、ね……イヴは進化している、と?」

「わかりません……でも、イヴは私を食べようとしていました。『しんか』のために」


 ブリーフィングルームがざわつく。そこでようやく、藤乃は違和感に気がついた。

 リンファがいない。

 彼女の実力ならば、小隊長から降格されるようなことがあるはずはない。ヘシカとカティアが甲板作業に出ているのなら、そっちを手伝っているのかな、と藤乃は沸いて出た疑問を飲み込む。


「私はイヴの糸とつながったときに、彼女の思念を少しだけ感じました。イヴは、普通のセプテントリオンとは違う行動原理で動いている、そんな気がします」

「イヴと、つながった……だと?」


 スサンナが驚いた表情をする。


「ジャップ、お前はどうやってセプテントリオンから脱出したんだ」

「それは……」


 言うべきか言わないべきか。もし藤乃と同じことが全員に出来れば、セプテントリオンとの戦闘で勝算はぐっと大きくなるはずだ。だが、そんなことが不可能であることは藤乃もよくわかっている。セプテントリオンを同化し返すことができるのは、藤乃がイヴだったからだ。

藤乃は迷ったが、大きく息を吸って、吐いた。


「……取り込み返しました」

「取り込み返す? まさか、新しいシェルヴールの機能か?」

「いえ、私自身の力――――私が、本物の『イヴ』なんです」


 ブリーフィングルームがさらにざわつく。それに手を挙げて制したのは、イングリットであった。


「静かに。かつてセプテントリオンに取り込まれかけて、奇跡の生還を果たした少女『イヴ』は知っているわね。ここにいる碓氷藤乃少尉は、『イヴ』その人です」


 しん、とブリーフィングルームが鎮まる。みな明かされた事実に驚いているようだ。

 だが、この場で一番驚いているのは藤乃である。イングリットはなぜそのことを知っているのか。


「イヴ・レプラカーンの目的が人間を取り込み進化することであるなら、これからもいっそう戦闘は激しくなるでしょう。これからも気を引き締めてかかるように。解散」


 会を強引に終わらせるイングリット。藤乃に近づいたイングリットは、ただ表情を崩さずに「来て」とだけ言って、藤乃を隊長私室へと引っ張っていった。

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