⑤
「……おうっ」
藤乃の行動に驚きの表情を見せたイヴ。だが、その色は瞳からほどなく消失する。
がくり、と首が折れ、イヴの手足から力が抜けた。
倒したのか――――藤乃が大太刀を握る手に込めていた力を緩めた、その時であった。
イヴが自身に絡まっている糸をぐいっと掴む。
ニッと笑った顔で藤乃を見るイヴ。これは罠だ――――藤乃がそう気づいた瞬間には、もう手遅れであった。藤乃が突き刺した大太刀の傷口から、有機繊維の糸が破裂したように噴き出す。
噴き出した糸は一瞬のうちに藤乃を絡めとってしまったのだ。
「くっ……!」
イヴの掴むペトラの糸が、イヴの触れたところからその色を変えていく。純白の、絹のような細い糸は青白い、空に溶けるような水色へと変化している。
根拠はないが、藤乃はイヴが何をしようとしているのかを理解した。イヴは、藤乃とペトラを取り込もうとしている。
「ペトラさん! 糸を切って!」
イヴを拘束していた糸を手放すペトラ。だがそれと同時に糸の牢獄も解けてしまう。
両腕を真後ろへ向けたイヴはペトラにがトンリング砲を浴びせる。ペトラはなんとかガードし致命傷は免れたものの、翼と足に損傷を追って撃墜された。
セイバーモードが切れ、落ちていくペトラ。それを横目に見ながら、藤乃は自身を縛り付けるイヴの有機繊維からの脱出を試みるが、糸は動けば動くほどより複雑に絡まり、藤乃の自由を奪っていった。
「私を……食べるつもりか!」
「おまえも、わたしの糧になる」
「おまえ『も』って……まさか隊長も……!」
「あいつは失敗した。食べようとしたら、自爆された」
だったら、と藤乃も心神改のリミッターを解除しようとしたが、すぐにイヴに阻止されてしまう。システムが完全にオーバーライドされ、心神改のセイバーモードも切れる。
「同じ失敗は、繰り返さない」
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
心神改のアンダースーツを貫き、イヴの糸が藤乃の体に突き刺さった。
「ひっ」
「おまえとわたし、同じ。一つになる」
イヴの有機繊維が、藤乃の神経系を犯している。体の中、頭の中の奥底を、何か得体の知れないものに土足で踏み入られている。藤乃は歯を食いしばった。
「同じじゃない……! お前は、ニセモノだ……イヴの、『私』のッ!」
両腕を縛っていた有機繊維を、藤乃は握りしめた。
イヴ・レプラカーン。人類を救った、奇跡の少女の名を騙るセプテントリオン。だが彼女がニセモノであることは、藤乃自身が一番良く知っている。藤乃が、本当のイヴその人
だからだ。
ニセモノのイヴは、シェルヴールの糸を侵食して自分のものにしていた。だったら、オリジナルのイヴである藤乃にも、同じことが出来るかもしれない。それは藤乃にとって、賭けてみる価値のある可能性であった。
「お前は……私がっ!」
腕に力を込める。
藤乃の神経線維はセプテントリオンと同等の力を持っている。シェルヴールをも侵食しようとするその神経線維だが、藤乃はその力をコントロールする術を知らない。一体どうすれば――――。だが、藤乃に迷っている時間はなかった。
今ここで、藤乃がその力が使えなければ、藤乃はイヴに吸収されてしまう。
「おまえ、わたし、しんか。おまえ、わたし、しんか。おまえ、わたし――――」
うわごとのように呟くイヴ。藤乃は顔を近づけてくるイヴに嚙みついてやろうと口を開いたが、当然届かない。
しんか? イヴは何を言っている?
――――藤乃!
声が聞こえる。
それは、心神改を通じて聞こえた、すばるの通信だった。
『藤乃! 今から心神改のプロテクトをマニュアルに切り替えるから!』
「へ?」
『セプテントリオンの侵食はこっちで防ぐ! 藤乃は思いっきり戦って!』
「すばる……」
『藤乃が空を守るなら、藤乃を守るのは私の仕事! これが私の、答えだから!』
心神改が、アームドモードのままシステムダウンする。イヴの繊維がぐいと深く侵食してきたが、藤乃は歯を食いしばり、冷や汗を流しながらも耐えた。
「そうだ……私を飛ばせてくれるのは、私だけの力じゃない……!」
うわごとを呟いていたイヴの口が、言葉を発しようと開いたまま硬直する。
異変に気付いたときにはもう遅い。イヴが突き刺した有機繊維は、藤乃の側からだんだんと淡い紫――――「藤」の色に変化し始めていた。
「私の力は、私だけのものじゃない!」
イヴが糸を切り離す。藤乃はそれを根本まで侵食し、自分のものにした。
「セイバー、モード!」
心神改は繭を介さずに変形し、藤乃の姿をセイバーモードのそれへと変貌させる。奪ったイヴの糸は、両手に握った二振りの太刀になった。
藤乃に慄いたイヴが距離をとるが、藤乃は一気に距離を詰め、イヴが自分をかばった左腕を切り飛ばした。糸にほぐれたイヴの腕は、藤乃の太刀に吸い込まれて消える。
「……怖いの、私が」
イヴは完全に戦意を失っていた。
目は見開かれ、口は開いたまま。腕を再生しながらよろよろと後ずさり、藤乃から逃げようとしている。
「その恐怖は、お前が私たちに与えたものだよ」
右腕をガトリング砲に変形させるイヴ。だが、その銃口を向けるより早く、藤乃は動いた。
イヴの目が、藤乃を追い切れずに上下左右に震える。次の瞬間には藤乃はイヴの背後にいて、イヴの右腕は肩から先が切り刻まれて消失していた。
「よかったね。『怖い』って感じられて」
イヴは、藤乃にはない「恐怖」の感情を持っている。藤乃にはそれが、すさまじく恨めしくもあり、羨ましくもある。
後ろ向きのまま、藤乃は逆手に持ちかえた太刀二本をイヴの背中に突き刺す。
藤乃の太刀は、イヴの胸を刺し貫いた。
「……言ったでしょ。とびっきりの悪夢、見せてあげるって」
イヴが体をひねろうとするより早く、藤乃は太刀を握って力任せに振り回した。
藤乃に細切れにされたイヴが、綿になって飛び散る。
イヴ・レプラカーン。奇跡の少女の名を関したセプテントリオンは敗れ、その称号は元の持ち主へと返還された。




