第3話 天使は空へ還る①
<あらすじ>
藤乃とそのサポートクルーたちの採用試験を兼ねた模擬戦は、セプテントリオンの襲来によって中断されてしまった。
戦技教導航空隊の川崎みつばは、藤乃を護衛する間にセプテントリオンに襲われて戦死を遂げる。
だが、これは非日常では決してない。セプテントリオンに制空権を奪われた現代では、これこそが「日常」なのだ。
遺体の入っていない、空の棺を五つ並べたセプテントリオン襲撃被害者の葬儀は租界のドームの内で粛々と進められた。参列した藤乃は並べられた川崎中尉、改め二階級特進した少佐のすでに閉じられた空っぽの棺に花を手向ける。
空の棺を前に涙し、またそれを荼毘に付す形式ばかりの葬式に参列するのは藤乃も初めてではなかったが、幼いころに藤孝が語って聞かせた「人としての尊厳を守るための葬式」という言葉の意味を、藤乃は焼き終えて灰になった棺の残骸を前に嚙みしめていた。
老衰や病気で死んだ人間は死体が、あるいは火葬後には骨や遺灰が残る。だがセプテントリオンに捕食された人間は骨すら残らないのだ。死した者たちを想起する者がいなくなれば、彼ら彼女らが生きた証はこの世から完全に消されてしまう――――藤乃は自分を逃がそうとしてくれたみつばのことを絶対に忘れまいと心に誓った。
避難が迅速に完了したことと、偶然近くを航行していた国連軍の航空母艦スパルヴィエロからの援軍により、石巻租界の人的被害は最小限に食い止められた。しかし短期間での二度の襲撃で受けた地上施設の被害はすさまじく、特に食料コンパウンド・プラントがまたも壊滅したことで、租界行政府は石巻の再建をあきらめ租界放棄と市民の移住を決定した。住民の移送には国連軍も協力することとなり、移送される租界民とともに藤乃は藤孝とともにスパルヴィエロの甲板に降り立つ。
「うわー、おっきい船」
ドームの中には海もない。大きいも小さいも、藤乃は船に乗ったこと自体が初めての経験であった。大地に足をつけていないというのが、ふわふわするようななんとも不思議な体験である。諌める藤孝を尻目に飛行甲板の端から海面を見下ろしていた藤乃の背中を、突然「わっ!」と何者かが叩く。
「う、うわっ!」
「あはは。そんなとこにいたら落ちちゃうよー?」
バランスを崩しかけた藤乃は、背中をがっちりつかまれて引き戻される。
イタズラの犯人はカーキ色の軍服を着た少女であった。格好は異なっていてもあの訛りを藤乃が忘れるはずもない。セプテントリオンの襲撃から救ってくれた、あのペトラという少女であった。
「ようこそ、藤乃ちゃん。スパルヴィエロへ!」
両手を広げ、さあ飛び込んで来いというポーズを取るペトラであったが、藤乃にはその意図が分からなかった。
「へ、私?」
「うんっ!」
「なんでですか?」
「藤乃ちゃんだからっ!」
「理由になってないんですけど……」
「……それは私から説明するわね」
続いて現れたのは、ペトラと同じく軍服を纏った女性であった。
背はペトラより少し高く見える。藍色の髪をゆるく巻いた、キツネ目の女性士官だ。軍服の色は濃い藍色で、胸元の階級章は彼女の階級が大尉であることを示している。
「初めまして。スパルヴィエロ特務航空小隊副隊長のイングリット・アガヴェルです」
イングリットが敬礼をすると、藤孝は反射的に背筋を伸ばして敬礼を返した。退役した今でも、軍隊式の敬礼は体に染み付いてしまっているようだ。
藤乃も見よう見まねで敬礼をしてみるものの、イングリットのする毅然さと優雅さを兼ね備えたそれとは違って、なんとも幼稚で締まらないものになってしまう。
「碓氷藤孝元二尉ですね。スパルヴィエロ特務航空小隊を代表して、あなたに大事な話をする為に参りました。作戦室まで来ていただけますか?」
「私に、でありますか? 構いませんが」
「ありがとうございます。じゃあペトラちゃんは藤孝さんと私たちが話してる間、藤乃ちゃんに艦内を案内してあげて」
「りょーかいですっ」
「あの、大事な話って何ですか」
「行こ、藤乃ちゃん!」
「あ、あの、すみません、大事な話って――――」
疑問をぶつけようとした藤乃の言葉を無視して、ペトラは藤乃の手を掴んで飛行甲板を走り出した。藤乃がその場を離れた後も、藤孝はイングリットと二言三言何かを話していたが、ぴゅうと吹く三陸の風がその声を掻き消してしまった。