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第15話 夢に翼を 翼に夢を ①

 藤乃はまたも急速な快復をし、手術後二週間で車椅子から立ち上がった。

 体を支える杖つきの生活ではあるが、病院からも医師の許可の元出歩けるようになっている。藤乃の担当医はその人間離れした回復力について、セプテントリオン化した神経細胞によるものと断定した。


 リハビリを続けて1週間後。藤乃はヨハンに招かれ、『心神改』の初飛行を見学するため地上に出た。観覧席替わりの租界外壁に腰を下ろし、眼下で行われている飛行前の最終チェック作業を見守る。

 新たに『心神改』には「ATD-X22」の形式番号が与えられている。すばるが日本から持ち込んだ原型機ATD-X『心神』に、スパルヴィエロに引き渡す予定で調整していたが使い手を失ったF-22『ラプター』の兵装運用能力とアビオニクス、そしてセイバーモードを移植したキメラ機体である。

 身に着けているのはペトラではなく、レジーナ工廠所属のテストパイロットのようだ。起動された『心神改』のメンテナンスパネルを操作するすばるの後ろ姿に、藤乃は思わず視線を伏せた。


「おい、聞いたかよ」藤乃のすぐ前に腰掛けている、レジーナ工廠の技術者と思しき若い男が隣の同僚と話している。「あのシェルヴールな、相当ヤバイらしいぜ」


「何がだよ」

「なんでも日本からあれを持ち込んだ学生、この二週間で運動性能を『タイフーン』の三倍近くまで上げたらしいんだよ」

「三倍⁉」

「ああ。なんでもエンジンの回転トルクまで制御できるようにしてあるらしいぜ」

「そりゃ、そこまでやれば性能上げるのは可能だろうけどなあ」

「まあな。そんなことやるバカ、ホントにいるなんて思わなかっただろ」


 すばるによる強化改造は、技術者の中では「バカなこと」の域らしい。


「あの『姫さん(Prinzessin)』ですら二分で音を上げるだっていうんだからどうしようもねえよ」

「マジか」

「ミュンヘン防空隊の間じゃ、『じゃじゃ馬』どころじゃねぇ、『暴れ竜』だってウワサだ」

「でもあのテストパイロットの子、この前入った新人だろ。大丈夫なのか」

「ああ。先輩パイロットが誰も使いたがらないからって、自分から志願したんだとよ。まあなんかあれば『姫さん』もついてるし、大丈夫だろ」


 改めて見れば、『心神改』を纏うテストパイロットは短いブロンドヘアの、まだ年端もいかない少女であった。背格好は藤乃に近く、まだ経験が浅いのか表情は硬く、緊張しているようにも見える。

 その背中を、ぽんぽんと叩くペトラ。ペトラに気づき、テストパイロットの少女は頬を赤くした。彼女もまた、ペトラのファンであるらしい。

 最終調整を終えた『心神改』より先に、ペトラは『タイフーン』で空に上がる。それに続いて、緊張した面持ちのままの少女とともに『心神改』もエンジンを始動し、大地を蹴って空へと上がった。

 観覧するレジーナ工廠職員や租界関係者たちが、初飛行を成功させたシェルヴールにわっと歓声を上げる。


「いかがですか、お加減のほうは」


 藤乃の横に、ヨハンが腰を下ろした。秘書らしき女性が「社長」と声をかけてきたが、ヨハンはそれを片手で制止する。


「大分良くなりました。先生もあと三日もすれば杖なしでも歩けるだろうって」


 脊髄からの神経細胞採取。通常なら再生治療を使っても一年は寝たきりになる大手術であったが、藤乃は驚異的な速度で回復している。


「それはなによりです。ところでウスイ少尉、この後はどうされるので?」

「この後?」

「リハビリが終わった後です。スパルヴィエロに戻りますか。それとも、もしウスイ少尉がお望みなら、私の会社にポストをご用意させていただくこともできますよ。そのくらいのことは社長権限でどうにかできますが」

「……ペトラさんは、どうされるんでしょうか」

「ペトラですか?」ヨハンは不思議そうな顔をした。「ペトラはスパルヴィエロに戻す予定ですが」

「それなら私もスパルヴィエロに戻ります」


 藤乃は間髪入れずに答えた。


「ついていてあげたいんです、ペトラさんに。これまでは全然、そういうことできなかったから。話を聞いてあげて、困ってること、悩んでること。不安なこと、心配なこと、全部受け止めてあげたい」

「ペトラのことを想ってくださるのは嬉しいですが、少尉がそこまでペトラに尽くしていただかなくてもいいのですよ」

「私は生まれつき恐怖を感じたことがありません。でも、『怖い』っていうのがどういうことなのかはわかります。すばるが、みんなが、私のことを心配してくれて。『大切な人がいなくなる』ってことが、どれだけ怖いことなのかを教えてくれました」


 藤乃は空に向かって手を伸ばした。


 いつか、あの青い空が怖くなる――――藤孝は藤乃にそう言った。

 人口の少なくなった現代地球の空は、どこまでも青く遠く、どこまでも静かで清らかである。

手の届きそうな青空が、すぐそこにある。

 でも、そこは地上を這うことしかできない藤乃には、絶対に手の届かない場所。


「隊長に言われたんです。『戦うだけが私たちの全てじゃない』って。シェルヴールで戦場を飛んで、セプテントリオンと戦って。平和な空を取り戻すための戦い。でも、それだけが人生の全てじゃない」


 藤乃の広げた指の隙間を、二機のシェルヴールが横切った。『タイフーン』と『心神改』である。遊ぶ蝶のように空を舞う二機は、マニューバ試験に移っているらしい。


「私たち航空隊員にも『日常』はあります。美味しいものを食べて、友達と遊んで、将来のことを考えたりして。泣いたり、笑ったり、怒ったり。私は、ペトラさんからそんな『日常』を奪ってしまったんです。だからずっと側にいて、笑ったり、怒ったり、泣いたりしてあげたい。『日常』を取り戻すためのお手伝いがしたいんです」

「……ウスイ少尉」ヨハンは呟く。「では、あなたの『日常』は、誰が守ってくれるんです?」


 藤乃はヨハンに答えようと口を開いたが、言葉は出てこなかった。

 キャサリンの言葉が、耳の奥、記憶を司る脳領域、海馬で反芻される。


 お前の日常は、お前自身が守らなければいけない――――

 キャサリンが藤乃の前で正体を明かした、その日に告げた言葉である。

 藤乃が返答に困っていたその時である。突如けたたましいサイレンが鳴り、観覧席にどよめきが広がる。

 レジーナ工廠の社員と思しき男性が足早に観覧席の前に現れ、叫んだ。


「セプテントリオンの群れが接近中です! 皆さん、速やかに避難を!」


 地下からぞろぞろとミュンヘン防空隊の航空隊員が出て来て、シェルヴールで空へスクランブル発進する。纏うのはほとんどの隊員がトーネード、一部はペトラと同じタイフーンを使用した混合編成である。

 藤乃の麻痺の残る足は、自然と観覧席の最前列へと向いた。秘書らに引っ張られて消えるヨハンと別れ、シェルターへと避難を開始した観覧客の流れから外れた藤乃は、ふらふらと歩いて手すりにつかまり、空へと上がる航空隊員を恨めしく見つめる。

 今ここに、ファントムがあったのなら。藤乃は迷わず空へ上がっていただろう。だが、藤乃はシェルヴールを失い、何でもないただの少女になった。


 かつてイヴと呼ばれた、奇跡の少女。

 人類にシェルヴールを、セプテントリオンに対抗する術をもたらした、希望の少女。

 ペトラの日常を守りたいと啖呵を切った藤乃だったが、ただの少女である今の藤乃には、彼女が死地へ赴くのに、助けにいくことすらできない。

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