②
アンカレッジ租界もなかなかの規模であったが、ミュンヘンはそれ以上であった。
地上部分は比較的小さく、施設の大部分は地下にあるのが最大の特徴である。周辺の主要な租界とも地下鉄道で接続されており、すばるに案内される藤乃は、スパルヴィエロとは比較にもならない広さの商業区画には驚くばかりである。
運び込まれてから一週間、藤乃はベッドから起きることができた。しかし運動機能にはまだダメージが残っており、医者はじきに治る、リハビリをしましょうと言ったものの、しばらくは車椅子生活である。
「はい、ここだよ。レジーナ工廠本社」
藤乃はすばると共に商業区画の中心に鎮座するレジーナ工廠を訪ねていた。すばるは社内にあるアカデミー連携研究室に所属しており、ロールアウト間近の新しいシェルヴールを開発するプロジェクトに参加しているという。
ビルの警備員に入館証を見せるすばる。藤乃はスパルヴィエロ航空隊のIDを見せ、セキュリティゲートをくぐった。
研究室は上を通る通路から見下ろせる仕組みになっている。機密も何もないな、と思ったが、そもそも現代において他社の技術を盗むような余裕のある会社はない。
「アンカレッジ支社からF22が届いてね、あとは最終調整だけだったんだけど」
研究室の一角、円筒状の保護ケース内におさめられた軍服を指さすすばる。
ネイビーグレーの軍服には、右肩にはスパルヴィエロ航空隊所属を表す、翼を広げたハイタカのワッペン。左肩には小さくエノコログサのマーキングが施されている。
エノコログサのマーキングは、キャサリンのものだ。
「あのマーキング、もしかして隊長の?」
「うん。スパルヴィエロがミュンヘンに寄ったら引き渡す予定で作業してたんだ」
だが今は研究室の中の誰も保護ケースには近づいていない。
キャサリンが死に、受け取り手を失ったシェルヴールは静かにそこに安置されている。
まるで墓標のよう――――
「……!」
藤乃が次に見つけたのは、作業台の上でケーブル塗れにされている、ぼろぼろになったシェルヴールの残骸であった。
F-4EJ改の成れの果てである。
「飛行記録は回収できたってさ。今データを解析中。藤乃がなんで、セイバーモードが使えなかったのか」
「……そんなの、知ってどうするの。もう私、飛べないのに」
「学術的興味だよ。それ以上でもそれ以下でもない」
車椅子を押し、すばるは藤乃を研究室の隣の部屋へと案内した。
見下ろすガラスもいっそう分厚いもので、見える部屋の内装は分厚い防護壁になっている。似たものを藤乃はアンカレッジで見たことがある。ペトラが初めてセイバーモードを披露した、あの実験室である。
部屋の中央にはペトラがいる。いつもの軍服ではなく、白と赤のマーキングが施された、真新しいシェルヴールを纏っていた。
ペトラがシェルヴールを起動して、その正体を藤乃は思い出した。
石巻租界で、藤乃が初めてセプテントリオンに遭遇した日。あのときの演習相手、川崎みつばが使っていたATD-X「心神」である。
「少佐の『心神』ね、レジーナ工廠に手伝ってもらってなんとか完成できたんだよ」
実験室内を飛び回るペトラ。確かにそれは藤乃が見た「心神」に違いなかったが、細部は少し異なっている。
背中の主翼やかかとの尾翼だけでなく、頭部や肩にも補助翼が追加されている。さらにエンジンノズルの推力偏向パドルが、円筒型の旧式ベクターノズルに変更されていた。
「あの仕様……さては改造したのはすばるだね」
「分かっちゃうか。さすが私の親友」
「分かるよ。あの、使うこっちの負荷なんてこれっぽっちも考えてない、ガチガチのチューニングなんてすばる以外ありえない」
「ふふっ。ペトラさんが戻ってくるまで、誰も『心神』で飛べなかったんだよ?」
「相変わらずのじゃじゃ馬だね。すばるが作るのは」
「私、じゃじゃ馬が好きなんだよ。こっちの言うことなんて絶対に聞いてくれない、そんな子にメチャクチャに振り回されるのもまた楽しい、みたいな?」
「私はすばるがいつか、ヘンな男に捕まりそうで心配だよ」
「じゃあ藤乃が私のこと捕まえといてくれなきゃだ」
「……夢、叶えられたんだね。すばる」
「こらこら、話を逸らすな」
すばると藤乃は顔を見合わせてくすくすと笑った。
笑顔になると、すばるはすばるだなと藤乃は思った。背はだいぶ差がついてしまって、雰囲気もすばるのそれは大人の女性を帯びている。それに引き換え――――
「……すばる。私、これからどうすればいいのかな。F-4EJ改を失ったら、もう、どうやって生きていけばいいのか」
シェルヴールを失っただけなら、また受領すればいい。それまではプラウラーで飛ぶこともできなくはないだろう。
だが、藤乃は三度もセイバーモードの起動に挑戦し、三度とも失敗している。原因は分からず、ただ「内面の問題」という曖昧な答えだけが藤乃の前に立ちはだかっている。
自分はシェルヴールに嫌われている。自分は無力だ。自分が一人前に戦えていたら、キャサリンは死ななかったかもしれないし、ペトラにセイバーモードを使わせずに止めることもできたはずだ――――そんな思いが、次々浮かんでは消え、消えては浮かび、藤乃の耳元で侮蔑の言葉をささやいてくる。
「それ、なんだけどさ……。藤乃、私と一緒に日本に帰らない?」
「……え」
「すぐに、じゃないんだけど。留学が終わったら私も日本に帰るし、藤乃も一緒にどうかなーって。戻ったら私、戦技教導航空隊の地上クルーになるんだ。藤乃の経歴なら、防衛軍に絶対採用してもらえると思うし。空は飛べなくても、それに関わる仕事ならできると思うんだ」
顔を赤らめながら話すすばる。だが藤乃は、すばるとの間に温度差を感じた。
「……ごめん。それはできないよ」
「藤乃?」
「だって私、すばると約束したもん。空飛んで、敵倒して、平和な世界を取り戻すって。私はまだ、すばるとの約束を果たせてない。夢、叶えられてない」
「夢、か。いいじゃん、夢なんて。捨てちゃいなよ藤乃」
「捨てちゃえって、そんな……」
車椅子の前に回り込んだすばるは、しゃがんで藤乃の両手を握った。
「私は……藤乃が側にいてくれれば、それでいい。それ以外、なんにもいらないよ」
その瞳は潤んでいる。
すばるがそういう顔で冗談をいう子ではないことは、藤乃もよく知っている。
本気だ。すばるの本気に、藤乃はどう答えたらいいのか、迷った。
「藤乃。藤乃はシェルヴールで、何がしたいの」
「私、私は、シェルヴールで……」
空が飛びたかった。
どこまでも青い空。雲一つない、どこまでも澄み切った空。
でも今は、その空を汚すものがいる。
侵略的宇宙生命体セプテントリオン。人喰いテディベアのセプテントリオンのせいで、藤乃の空は悪夢の戦場と化している。
空の平和を取り戻す。
人類に、どこまでも青い空を――――
「聞いたよ、藤乃。シェルヴールのセイバーモードを起動するには、明確な『夢』が必要なんだって。自分がどうなりたいか、どうありたいかを強くイメージすることが大事なんだって。じゃあさ、藤乃がセイバーモード使えないのって、シェルヴールで何がしたいのか、自分でも分かってないからなんじゃないの」
「……っ!」
「だったらいいじゃん。シェルヴールなんかなくたって。空、飛ばなくたっていいんじゃん」
「でも……。スパルヴィエロで今飛べるのは、私だけで……」
「もう飛べないよ? 藤乃はもう、ファントム持ってないんだよ?」
「うぅ……」
淡々と事実を突きつけてくるすばるから、藤乃は目を反らしてしまった。
「藤乃。私たちだっていつまでも子供じゃないんだよ。夢を見るのは自由だけど、それを叶えられる人間なんてほとんどいない。どこかで折り合いをつけていかなきゃ」
「そんなの」
「私だってね、諦めたもん。夢」
「え?」
すばるは藤乃から離れて、実験室の窓を見下ろす。
ペトラが起動実験を終えて、シェルヴールの変形を解除するところだった。主翼やエンジン、各所のストレーキが消失し、白地に赤線が入った軍服に戻る。
「私はね、藤乃に着てもらいたかった。あの『心神』。みつばさんが遺して、私が再設計し直した、あのシェルヴールを」
振り返るすばる。その目には、涙が湛えられていた。
「でもね、それで藤乃が傷つくなら……私は、夢なんか叶わなくていい。いらないもん。藤乃を傷つけないと叶わない夢なんて、最初から」
「すばる……」
「セイバーモードってさ……パイロットの感情を、奪うんでしょ」
すばるは藤乃からまた実験室へ視線を戻す。
指で窓をなぞるすばるに、藤乃は何も言えない。
「国連軍の要請で、心神にもセイバーモードが搭載されることになってるの。ラプターのを移植するんだって」
キャサリンに引き渡す予定だったF22は現在、使えるパイロットがいない。一方で純日本製の実験機である心神には、セイバーモードが搭載されていない。その二機が同時にこの場にあるのは何の偶然だろうか。
「最初は拒否するつもりだった。心神はまだ私たちのシェルヴールで、どんな改造を施すかはこっちが決めることになってるの。だからそんな、パイロットを危険に晒すようなシステムを積むなんて、みつばさんが悲しむし、私もイヤだった」
イヤだった。すばるは過去形を使った。その意味するところは、気が変わったということである。
「でも、藤乃に着てもらえないなら……心神なんて、どうでもいい。どこで誰が使おうが、どうでもよくなっちゃった」
ペトラが心神を脱いでいる。周りの研究員たちはぎょっとした顔になったが、ペトラは下着一丁になっても恥ずかしがる様子も何もない。彼女にはもう、「恥」を感じる心も残ってはいないらしい。
研究員に渡された心神は、実験室を出て作業台に置かれる。あの、ラプターが安置されている保護ケースの隣だった。
「おやおや! ここにいらしたんですか、少尉!」
作業を見ようと研究室の前に戻った藤乃たちに、男が声をかけてきた。
白髪交じりの金髪、ほうれい線は入っているもののまだ若い顔立ち。そして特徴的な蒼眼。小綺麗に整えられたスーツのその男が名乗る前から、藤乃は相手が何者かをすぐに理解した。
あの、よく言えば人懐っこい、悪く言えば距離感なしな雰囲気は、ペトラにそっくりである。
「ヨハン・ナーシス・レジーナといいます。ここの社長などをさせて頂いております。お会いできて光栄です、ウスイ少尉」
車椅子の藤乃に、ヨハン――――レジーナ工廠の社長、つまりはペトラの父親である――――は腰を折って右手を差し出してきた。藤乃もそれに応えて握手を交わす。
「碓氷藤乃、です。お嬢様にはいつもお世話になっています」
「はっはっは! こちらこそ、いつもウチのペトラがご迷惑を。ウスイ少尉、会長から聞いたとおりの方だ。今日は男装されていないようですが」
小声で「男装って何?」と聞くすばるに、藤乃は「あとで話す」と答えた。
「まさか、留学生のナカジマくんとお知り合いだったとは。いやはや、世界というのは狭いものですなぁ!」
がはは!と笑うヨハン。確かにこの人はペトラの父親だな、と藤乃は思った。
髪や瞳が似ていることは言わずもがな、人の話をちゃんと聞かないペトラの豪胆な性格は父親譲りのようである。
「ペトラが帰ってきてくれて嬉しいような、寂しいような。不思議な感覚です」
通路のドアを開けて、ペトラが入ってきた。『タイフーン』の軍服に着替え直したペトラは、とことことヨハンに近づき「実験が終わりました」と報告している。
「そうかい、ペトラ。今日はもう予定もないから、ゆっくり休みなさい」
「はい」
ペトラは踵を返し、すたすたと去っていく。
その背中をヨハンは笑顔で見送ったが、目だけは笑っていない。
「……ウスイ少尉」
ペトラが去ってドアが閉じると、ヨハンは下がったトーンで藤乃に語り掛けた。
「ペトラは、セイバーモードの代償で心を失くしてしまいました。今はあの子の笑顔も泣き顔も、見ることは永遠に叶わない」
「…………」
「親として、こんなに悲しいことがあるでしょうか。我が子が生きていた。それは大変喜ばしいことです。でも…………。親として、自分の娘に笑顔でいて欲しいと思うことは、傲慢なのでしょうか。明日をも知れぬ戦場の空から帰ってきた娘に『生きているだけで十分』という人もいるでしょう。しかし、親として、ペトラにそれ以上に幸せでいてほしいと望んでしまうのは、いけないことなのでしょうか」
その言葉は、藤乃を責めるものではない。だが、藤乃は確かにそう感じた。
ペトラはセイバーモードを長時間使用した。おそらく、藤乃がペトラと戦闘し、ミュンヘンに到着するまでの間、ずっと。それによりペトラは心を完全に喪失し、ミリアムが予想した通りの「機械とそう変わらない存在」になってしまっている。
ペトラが感情を失ってしまったのは、あの場で藤乃がセイバーモードが使えなかったからだ。セイバーモードを使おうとせず、あのまま藤乃が負けを認めていれば、ペトラは藤乃を放置してその場を離れていただろう。
思えば、初めてイヴに遭遇したとき。スサンナが負傷したのは、藤乃をイヴから遠ざけるためだった。あの時、藤乃もセイバーモードを使えていたら、スサンナとキャサリン、そして藤乃の3対1でイヴと戦えただろう。そうすれば、スサンナは負傷せず、藤乃はスサンナを連れてスパルヴィエロに帰艦することもなかったかもしれない。キャサリンとイヴの一騎討ちのような状況にもならなかったはずだ。
ラヤーンの負傷も、変異型セプテントリオンをセイバーモードで殲滅できていたら、起きなかったことだ。
何かある度に藤乃は自身の無力を呪った。だが、何度打ちのめされても懲りずに周囲に被害をもたらしている。
「……私のせいです」
藤乃は懺悔室で自らの罪を告白する信者のようにか細くつぶやいた。
「私が、不甲斐ないばっかりに……。もっとちゃんと、セイバーモードが使えていれば、ペトラさんもあんなことには」
「やめてください、少尉。私は貴女を責めているのではありませんよ。元はといえば、代償の存在も知らずに、貴女たち特務航空隊にセイバーモードなんかを渡した我々レジーナ工廠が悪いのです」
「そんなことは……。だって、セイバーモードを使おうと判断したのは私です。あの場で『使わない』という選択肢もあったのに、使ってしまった。そのせいでペトラさんは心を失くしてしまった」
「……この話はもうよしましょう。すみません少尉、私も少し取り乱してしまいました。セイバーモードについての研究がさらに進めば、代償の克服やペトラの治療もできるかもしれませんしね」
車椅子の後ろに立つすばるが口を開く。
「そういえば社長、藤乃のF-4EJ改、解析して何か分かったことはあるんでしょうか」
「今のところは何も。F-4EJ改は正常に機能していたはずということだけ。我々もセイバーモードに関しては分からないことだらけですからね。現在日本政府に研究データを問い合わせ中です」
「F-4EJのですか?」
「いいえ、あなたのですよ。少尉」ヨハンは藤乃を見下ろしながら言った。「F-4EJ改が正常に動作していたのだとすれば、セイバーモードが使えなかったのは少尉に理由があると考えるのが自然です」
すばるは何か反論したげに口をもごもごさせたが、藤乃は黙って俯くしかなかった。
「ですが、日本政府はなぜか少尉についての情報を教えてくれないのです。血縁関係や幼少期に何があったのか。差し支えなければ、お話をお伺いしても?」
ヨハンが藤乃に会いに来たのは、それが目的だったのだろう。藤乃は通された社長室で自分が覚えていることをできるだけたくさん話した。
セプテントリオンの襲撃で両親や親族はみな行方不明になっていること。天涯孤独となって養父碓氷藤孝に引き取られ、「藤乃」と名付けられたこと。石巻租界での暮らし――――日本では大して珍しくもない、孤児の生い立ちはヨハンにとっては衝撃的だったらしい。ヨハンは話を聞きながら、何度か目元を抑えることもあった。




