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 藤乃にとって、ペトラの追跡はそれほど困難な作業ではなかった。

 高度を上げれば、セプテントリオンとの大規模な戦闘を察知することは造作もない。現在の地球において、大ぴらに空を飛び、セプテントリオンに積極的な空中戦を仕掛けるのは、シェルヴールを持ち、また艦から離れて補給手段を失っているペトラを除いて他にはいない。藤乃は戦地に機首を向けるだけであるものの、ペトラの「タイフーン」のほうが巡航速度は上である。ペトラまでの距離は詰まらず広がらずを繰り返していた。

 ペトラはずっと東に向けてセプテントリオンの群れを狩りながら飛び続けている。ペトラ脱走から半日、藤乃は大西洋を横断し、ジブラルタル租界を眼下に見ていた。目的地が分かれば先回りできるのに、と思いながらも、なおも東へ飛び続けるペトラを追う。


 少し休憩、と藤乃は地面に下りてスサンナに渡されたリュックを開いてみた。

 リュックの中には、一週間分の携帯食料と、簡素なサバイバルキットが入っている。


「ペトラさんを捕まえて、二人で食べたら三日分くらい、かなぁ」


 幸い、近くにはまだ人のいる租界もありそうである。スパルヴィエロと合流するまで、近くの租界に身を寄せるのも悪くないと藤乃は思った。


「そういえばこの辺って、EUのコロニーがあるんだっけ」


 かつて、この地が「欧州」と呼ばれていた頃に、多数の国家が国境を維持したまま共同体を形成した。

 EU――――自由貿易や安全保障の面で国家が協力していくことを定めた、欧州連合条約。それが発効した矢先、地球にはセプテントリオンが襲来し経済圏は基盤から崩壊、国家はその形を維持することが困難となった。

 残ったのは国家間の協力関係だけ。欧州各国から集められた最高の人材を、最高の防衛設備を備えるシェルターに集め、人類の再起を目指す――――ペトラのレジーナ工廠も、その人類による長期的反攻作戦の一環として作られた超国家企業である。

 シェルヴールのデータベースに載っている、レジーナ工廠の本社所在地はミュンヘン租界――――藤乃はペトラの目的地が、自分の会社であろうと予測を立てた。


 ペトラは一体、何のために脱走したのか。

 藤乃はまず、それを問い質す必要があるはずだ。




 目的地の予想が立つと、進路を逐一確認していく必要もなくなる。ペトラの脱走から十八時間。藤乃はペトラに追い付いた。ペトラはセイバーモードを解除し、普段のアームドモードのまま飛んでいる。

 まっすぐ東へ向かうペトラの真横につけた藤乃は、「タイフーン」のヘッドギア越しにペトラの顔を見た。そこに表情はない。


「ペトラさんっ!」

『……藤乃ちゃん』


 藤乃の呼びかけたレーザー通信に、ペトラは応えた。


「どうしてっ、どうして脱走なんて!」

『行く必要があるからだよ』

「行くって、どこへ」

『レジーナ工廠の本社。ミュンヘン租界にある』


 ペトラはEUのコロニーへ向かっている。やはり藤乃の予測は正しかったようだ。


「何のために」


 しばらくペトラは藤乃から視線を反らして飛んでいたが、長い沈黙の後、ぽつりと言い放つ。


『……セイバーモードは、救世主の力なんかじゃなかった。それを、わたしは……!』


 ぎゅん、とペトラは機首を上げて上空へと飛び去る。

 藤乃も後を追った。


『全部わたしのせい……わたしのせいなの!』

「何がですか!」

『隊長が死んじゃったの!』


 アフターバーナーを点火し、藤乃から距離を取るペトラ。

 大きく旋回し、戻ってきたペトラは藤乃に向かってリヴォルヴァーカノンを発砲する。


『わたしが、わたしがみんなにセイバーモードなんてあげたから……!』

「ペトラさんっ!」


 藤乃は射線から逃れたが、すれ違ったペトラは地上付近で旋回し、またも藤乃を狙ってリヴォルヴァーカノンの銃口を向ける。


『ついて来ないで、藤乃ちゃん。わたしはミュンヘン租界を壊しにいくの』

「租界を……壊す?」

『そうだよ。シェルヴールなんてあるから……わたしたちは犠牲を強いられるんだ! だったら、もうシェルヴールなんていらないんだよ!』


 再度放たれる航空機関砲。藤乃は射線から外れて直撃を避けたが、主翼の先端を銃弾が掠っていった。

 シェルヴール同士の対戦など、模擬戦でしか藤乃は経験がない。当たっても匂いとシミが丸一日取れない程度のペイント弾ではなく、当たれば重傷は免れない実弾射撃は、藤乃の緊張を強制的に引き出した。


「犠牲をっ、強いられてっ、なんかっ」


 射線回避マニューバで肺を押しつぶされて、言葉が絶え絶えになる。

 相手はあのペトラである。藤乃よりも飛行経験豊富で、いくつものシェルヴールを使いこなしてきた歴戦の猛者。マニューバ技術の点で藤乃はペトラを上回っているが、機体性能では、旧世代型の改修機であるF-4EJ改はタイフーンに到底敵わない。

 ハンデを負った状態で勝てる相手ではない。藤乃はリュックを投棄し、身軽になる。コブラ機動でペトラの後ろを取った藤乃に、ペトラは背面飛行しながらリヴォルヴァーカノ

ンを後方の藤乃に向けた。


『藤乃ちゃん、泣いてた……!』


 機関砲のマズルフラッシュが、ペトラのバイザーに反射して表情を覆い隠す。


『隊長さんがいなくなって! 悲しいんでしょ!』


 藤乃はランダムなローリングツイスト・マニューバで機関砲弾を避けた。


「そりゃ、悲しい、ですよっ、でも……っ!」

『わたしは、もう悲しくないのっ!』


 かちっ、かちっ、とペトラのリヴォルヴァーカノンが弾切れを訴えている。ペトラは急降下して藤乃から距離を取った。


『もう、なんにもない! 怖いとか、悲しいとか、苦しいとか。もう、ないの!』

「ペトラさんっ」


 藤乃も後を追う。


『涙、もう出ないの! 隊長さんが死んじゃったのに! みんなみんな、悲しくて、苦しいのに! わたしは、もうみんなと一緒に、泣くこともできないのっ!』


 地面すれすれのところで機首を戻すペトラ。藤乃も同じコースをたどる。


『わたしは、どんどん機械になってくの! 感情も、こころも、なんにもなくなって! こんな飛び方したって、全然怖くないんだから!』


 急に機首を上げ、高度を上げるペトラ。突然エンジンを切り、空中に直立した姿勢のままローリング回転を始める。

 命知らずのマニューバを見せるペトラ。それを成功させるのは、優れた飛行技術と積み重ねてきた経験、そして――――恐怖心の欠如。藤乃と同じである。


『だからッ!』


 ペトラの体が繭に包まれ、弾ける。

大きな翼を広げたセイバーモード。ペトラがなりたいと望んだ、戦場に舞い降りる天使の姿。

 だがその真の姿は、彼女の心を食らいつくす悪魔である。


『見せつけてやるんだ。機械になったわたしが、セイバーモードで租界を壊す。そうすれば、みんなシェルヴールに頼ろうなんて思わないはず』

「そんなこと……させませんっ!」


 背の翼を広げて風に乗るペトラに、藤乃はまっすぐ突撃していく。

 藤乃にはペトラを止める術はない。セイバーモードにはシェルヴールの機関砲は効くはずもないし、ミサイルや爆弾の類は持ってきていない。そもそも、藤乃はペトラと戦うために追跡してきたわけではない。


 藤乃に出来ることは、ただ語りかけることだけだ。


「租界を壊したら、たくさんの人が犠牲になります!」

「知ってるよ、そんなこと」


 藤乃に向けて手を伸ばすペトラ。翼から伸びた糸が、藤乃を取り囲むように上下左右と前後から襲い掛かる。

 ペトラに近づくほど濃く、そして早くなる疑似有機繊維の網。最初はすり抜けて飛べていた藤乃も、数メートルのところで主翼が糸に接触し、切り裂かれる。

 一瞬にして翼をもがれた藤乃はバランスを崩し、次々襲い掛かる糸を避けることはできず、F-4EJ改はバイタルパートの装甲を除いて、ものの数秒で切り刻まれてしまった。


「ペトラ……さんっ!」


 糸に絡めとられながら、藤乃は手を伸ばす。

 まるで、蜘蛛の巣に囚われた蝶が、最後の望みをかけて藻掻くように。翼を失った藤乃はペトラの放った糸の間を無理やりに進んでいく。


「私、なるって誓いました……ペトラさんの、『王子様』にっ!」

「……え?」


 藤乃の言葉にうろたえるペトラ。糸が一瞬緩み、藤乃は体をよじって自身を絡めとる糸を潜り抜け、数十センチだけ近づいた。


「でも、ごめんなさい……ずっと、ずっと私、ペトラさんのこと、見ててあげないといけなかったのに! 支えていこうって、決めてたのに……!」

「藤乃……ちゃん?」

「ずっと、ずっと気づいてあげられませんでしたっ。ペトラさんが苦しんでたこと……隣で、見てたのに! ペトラさんが本当にやりたいこと、応援しなきゃだったのに!」


 藤乃はいつの間にか、ペトラのことをおろそかにしてしまっていた。


 巡洋型セプテントリオン。

 傷ついた仲間。

 人型セプテントリオン「イヴ」。

 そして、隊長キャサリン・ヴィリディスの死。


 色々ありすぎて、藤乃は一番大事なことを忘れていた。


「わたしは……ただずっと、空が飛びたかったんです。ただ大きな空を、自由に……! シェルヴールがそれを、叶えてくれた……!」


 ペトラが操らなくとも、藤乃を絡める糸は藤乃の動きに逆らい、その体を押しとどめようとする。

 鋭い糸に触れ、藤乃は頬を切った。


「ペトラさんに会えたのは、私がシェルヴールを使っていたから……! その出会いまで、否定させません!」

「でも、そのせいで藤乃ちゃんは……!」

「犠牲、なんかじゃ……ないっ!」


 糸に肺を押しつぶされる。藤乃は絶え絶えになる息でハアハアと呼吸を荒くしながら、ペトラに手を伸ばす。


 もう少し。あと少し。


「空を飛ぶって、自分で、決めたんです……っ! ペトラさんの、その手を、取るって、決めたんですっ。私が、私の意志でっ!」


 あと十センチ。糸に絡めとられて骨が軋む。これ以上は無理なのか――――藤乃は祈った。


 お願い。F-4EJ改。

 私に、あと少しだけ。

 大好きな友だちの手を、握るそのために。

 力を貸して――――!


「セイバー……モードっ!」


 セイバーモードが、なりたい自分を叶えるものならば。

 藤乃にとって、なりたい自分とは何だろうか。


 きっとそれは、戦うための力ではない。

 今ここで、少し先にある、あの手を握るための――――


 藤乃の纏っていたシェルヴールの装甲がはじけ飛び、絡めていた糸を切断して藤乃を解放した。


「応えてっ、私の、ファントム……っ!」





 しかし、現実はいつも非情である。


 藤乃はまたもセイバーモードの起動に失敗し、F-4EJ改は藤乃の想いを聞き届けることはなく、元の軍服の姿に戻ってしまう。


「藤乃ちゃんっ!」


 機械の電源が切れるように。藤乃は全身の力が抜け、意識がプツリと途切れた。













「……ん」

「あ。藤乃! 気が付いたっ!」


 藤乃が大きく息を吸うと、消毒液の匂いがツンと鼻腔を刺激してきた。

 ベッドに寝かされている。肌にも違和感を覚えて、藤乃は自分の体をまさぐった。


「……えっ」


 脱がされている。いつも軍服として着ていたシェルヴールはそこにはなく、少し丈の余ったパジャマを着せられていた。


「藤乃ぉっ!」


 そしてベッドに横たわったままの藤乃に抱き着いてくる女の子。

 その声、髪の匂い。藤乃が忘れるはずはない。



 藤乃は、どこだか知らない部屋で中嶋すばると再会した。

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