④
机上演習室に一人で籠った藤乃は、延々と課題解決に向けて試行錯誤を続けていた。
手を、頭を動かしていないと、どうにかなりそうだった。イングリットが隊長私室に籠って出て来なくなってから三日。ミリアムとキャサリンは彼女について「命に別状はない」というばかりで一向にその状態について語ることはなかったし、部屋に入れてもらうことすらできなかった。
「三番機の、マニューバパターンを……うーん、オメガ4と8だとどっちかな……うん、4でやってみよう」
条件をコンピュータに入力すると、立体映像の兵棋が動き始めてセプテントリオンとの戦闘シミュレーションが始まる。この三日、トレーニングと最低限の哨戒任務以外の時間を全て課題に割いてみたが、藤乃には一向に答えは見つかりそうになかった。今日もいつものように、空中に「FAILED」の赤字が踊り出す。
「だぁーめだぁーっ!」
藤乃は床に仰向けに転がった。
大体何なんだ、3対5000って。隊長の言う通り、包囲して殲滅するには五人必要じゃないか。藤乃は天井に向かって不平を漏らす。幸か不幸か、この部屋には藤乃を除いて誰もいない。藤乃が弱音を吐いても誰も咎めないし、誰も励ましてはくれない。
「無理なんだよ。私には……私は、そんな期待されるような人間じゃないのに」
私が小隊長向き? 一体何をどう考えたらそうなるんだ。藤乃は目を閉じた。
何で私はこんなことをしてるんだっけ。
ああ、そうだ。私は飛ぶのが好きだったんだ。ドームに覆われていない、本物の空。
でも空はセプテントリオンに奪われていて、それを取り戻したくて。T2で飛ぶのは好きだった。でも、武器もない練習機じゃどうしようもなくて。
F4EJ改だって大好きだ。初めて使った「本物」のシェルヴールだってこともある。いくつもの戦場を一緒に飛んできた相棒だ。
だけど。
いつの間にか、大好きだった「飛ぶ」ことが、ただの手段になっている。戦う力をもらって、それで戦わなきゃって思って。それが私にできること、私にしかできないことだからって――――
ほんとにそれでいいのかな。
私は私だ。ただ、シェルヴールで飛ぶのが好きなだけの、普通の子。
生まれた家に恵まれているわけじゃない。
やりたいことだってない。夢だってまだ見つけられてない。
私は何でこんなことをしてるんだっけ。
私は何で、こんなことをしたいって思ったんだっけ――――
「藤乃」
自分を呼ぶ声に、はっと藤乃は目を覚ます。
キャサリンが、床に転がった藤乃を見下ろしていた。
「何してんだ、お前」
「あ、すみません。ちょっと居眠りを」
起き上がり、藤乃はシミュレータに戻る。口元にたれていた涎を袖で拭い、シミュレーションのパラメータ調整に戻る。
「難航してるみたいだな」
「はい。というか隊長、これもしかして、どうしても失敗するプログラムだったりしませんよね?」
「それはない。まあデータベースには『コバヤシマル』も入ってるが」
藤乃は三番機のマニューバ設定をオメガ8にして再度シミュレータを走らせる。今度は上手くいくかと思われたが、やはり結果は「FAILED」であった。
「……うがぁーっ!」
万策尽きた藤乃はシミュレータにかじりついてみた。
「機械なら誤動作で誤魔化せても、現実はそうはいかないぞ」
「そうですよね」
シミュレータを狂わせるのは藤乃もまず第一に考えた解法である。
幸いにも、同室のリンファはすばるほどではないにしても、シェルヴールを独自に改造できるほどハード面、ソフト面でも機械に詳しかった。リンファの協力を得ればシミュレータのパラメータを弄って無理やり課題を攻略するのは簡単なことではあったが、藤乃は真面目に取り組むほうを選択した。キャサリンが藤乃に求めているのは課題の達成そのものではなく、前線指揮官としての技術を磨くことにあるはずだからだ。
「藤乃、お前は指揮官として必要なものはなんだと思う?」
「なんでしょう……どんな逆境でも絶対にひっくり返せる戦略を立てられる頭脳、とかでしょうか」
「それじゃダメだな。0点だ」
自分だってプロポーズの言葉に0点付けられてたくせに、と藤乃は思ったが、黙っておいた。
「どんな逆境でも『この一手』でひっくり返せるほど、現実は単純じゃないんだ。人間はそこまで万能じゃない」
「……セイバーモードの代償が、私たちの感情だったこととか」
「それもそうだな」
セプテントリオンに対して絶対的に有利で、人類反攻の切り札となるはずだったシェルヴールとセイバーモード。その人智を超えた現象をも可能な強大な力を行使するならば、代償を払わねばならない。世の中は、そう都合良くはできていないものだ。
「セイバーモードは今の人類が置かれた状況をひっくり返すための『一手』だった。でもその一手が私たち自身を不幸にもする。人間は万能じゃないから、何かを欲すれば何かを失うことだってある」
「『何かを欲すれば、何かを失う』……」
キャサリンの言葉は藤乃に何らかのインスピレーションを与えたようであった。
横を通り過ぎ、藤乃はシミュレータの前に立つ。インスピレーションのままにパラメータを入力し、走らせる。作戦の変更は、すぐに効果が現れた。シミュレーションの結果は「SUCCESS」であった。
「やったな、藤乃」
課題のクリアを祝福するキャサリン。だが、藤乃はシミュレータに立体投影された緑色の文字を見つめながら動かなかった。
この机上演習での勝利に藤乃は何か、特別なことをしたわけではない。突然妙案を閃いたわけでも、シミュレータが空気を読んだわけでもない。ただ一つ――――藤乃はそれまでどうしてもこだわっていた要素の一つを削った。ただそれだけだった。
「……なんなんですか、これ」
「何って。前線指揮官養成用の机上演習プログラムだが?」
「こんなの……! こんなの、おかしいでしょ!」
藤乃は怒りに任せて吠えた。
指差すシミュレータの映像には「被撃墜」のウィンドウが開かれている。そこに表示されている「1対5000」の数字。
藤乃は演習での勝利のために「三人全員が生還する」という要素を削った。一人を囮にし、後の二人が敵を殲滅する。これならば包囲から逃れるセプテントリオンも少なく、集まった個体を一網打尽に撃滅できる。あまりにあっさりとした解法である。
ただ一つ、囮になった隊員が確実に犠牲になることに目を瞑れば。
「こんな、こんなの! まるで一人の犠牲を容認しろって言ってるようなもんじゃないですか!」
「指揮官というのは時に非情の決断を求められる。この問題みたいに、一人の犠牲を払えば二人は救える、そんな状況に置かれることだってある」
「私に、仲間を見捨てろっていうんですか」
「誰かがその決断をしなきゃいけないとき、誰かを見捨てないとみんなの命が失われるってとき、お前はその決断をしなきゃいけないんだ。それが前線指揮官としてのお前の役目だからだ」
「そんな……私は――――」
いっそ、課題のことは断ってしまおうか。藤乃がそれを口に出しかけたとき、艦内通信のコールを藤乃とキャサリンのシェルヴールが受信する。
『特務航空隊員は十五分後に作戦室へ集合せよ』
艦長のグロリアの声であった。
机上演習室はスパルヴィエロの艦底近くの最下層、逆に作戦室は艦橋の上階層にある。移動には余裕があるが、藤乃もキャサリンも話を中断したい気分である。二人は目配せをし、黙ったまま演習室を出た。




