③
藤乃とキャサリンがイングリット発見の報せを受けたのは、医療室を出てすぐのときであった。
イングリットは甲板にいた。いつもの彼女とは別人のようだと藤乃は思った。
表情筋はだらしなく緩み、髪はぼさぼさのまま、着ている軍服もボタンが外されてひどくはだけている。ペトラが放しかけても「ええ」とか「ううん」とか言うだけで、中身のある単語を発することはない。
「とりあえず私の部屋へ。手伝ってくれ」
「はい」
藤乃とペトラは甲板に転がったままのイングリットに肩を貸して持ち上げ、キャサリンの背に乗せた。
二人は隊長私室の前までついていったが、扉の前で「二人きりにしてくれ」といってキャサリンに締め出されてしまった。
「……ミリアム先生、何だって?」
手持無沙汰になったペトラに問われるが、藤乃は何も答えられなかった。
「ううん、やっぱいいや」
「すみません、ペトラさん」
「あのイングリットさんがあんなになっちゃうくらいだもんね。藤乃ちゃんが言えないってことは、わたしが聞いちゃいけないようなことなんだ」
セイバーモードを使うと感情が無くなる。その事実を藤乃が一番話してはいけない相手とは、間違いなくペトラである。彼女はレジーナ工廠の社長令嬢で、藤乃たち航空隊員の運用するシェルヴールはレジーナ工廠でセイバーモードを実装する改造を受けている。
これで人類は救われると信じてやまなかったレジーナ工廠の会長でペトラの祖父、アルバート。彼はこの事実をどこまで知っていたのだろうか。
「……近いうちに隊長が話してくれる、と思います」
「どうかな」
ペトラはすたすた廊下を歩いていく。藤乃はそれにくっついて歩いた。
「だって隊長、結婚したこと部隊のみんなにもまだ秘密にしてるし」
「それは……」
「まあいいや。藤乃ちゃん、ご飯一緒に食べよ」
「はい」
そういえばスパルヴィエロに初めて来た日もこうしてペトラに引っ張られて艦内を回ったっけ、と藤乃は思い返す。
あの時は右も左も分からず、ただペトラに引っ張られて、スパルヴィエロの文化的生活のボディブローを受けて伸びるだけであった。あの時のペトラは何もかもが輝いて見えた――――藤乃は思い返す。この艦で暮らしていたらあんな風に笑えるんだろうか、と思ったものである。
だが今はどうか。
ペトラは笑っていない。それどころか、どことなく雰囲気が冷たいような。
何かあったのかといえば、あった。藤乃の知る限り、ペトラはアンカレッジの実験施設で1回、アンカレッジ防衛戦で1回。そして先日のスパルヴィエロ強襲で1回の合計3回セイバーモードを使用している。つまり、その分ペトラの中枢神経系への侵食は進んでいると考えられる。
アンカレッジでのペトラの行動も、今になって思えば藤乃にも思い当たるフシが多い。
いくら空腹だからといって、レジーナ邸でのディナーで、あんな風に汚く食べ散らかすのはペトラらしくない行動である。その時は「見合いを破談にするために、わざと嫌われるような行動をしているのでは」と考えた藤乃だったが、スパルヴィエロに戻ってからもペトラの食べ方は汚いままで、イングリットのバースデーパーティでも両手にカップケーキを握って貪り食っていた。
出撃の時も、いつにも増して食い意地が張っていたっけ……藤乃はペトラの背中を見ながら戦慄した。
いま、まさに藤乃の目の前にあるペトラの脊髄は、確実に、そして着実にセプテントリオンに置き換わりつつある。ペトラの感情は、まもなく食らいつくされてしまう。




