第10話 誕生日を祝う①
「お騒がせしました」
艦長室の執務机の前に立ったペトラは、深々と頭を下げた。ペトラに突き返される退艦許可申請を受け取り、艦長のグロリアは手元の端末を操作してペトラの退艦許可を取り消した。
「決めたんだな、レジーナ少尉」
「はい。わたしはスパルヴィエロで飛ぶことにしました。艦長の許可を頂けたら、ですが」
「愚問だな。答えはイエスだ。改めて歓迎するよ、ペトラ・ニヴァル・レジーナ少尉」
「よろしくお願いします、艦長」
ペトラとグロリアは握手を交わす。
「早速だが、まずアガヴェル大尉から説明を受けてほしい。セプテントリオンにまつわる状況に変化が起きた」
艦長に言われてブリーフィングルームに向かうと、イングリットは先に壇に上って待っていた。他にも室内にはアンカレッジ居残り組の航空隊員が詰めている。「座って頂戴」と言われるままに席につくと、イングリットは背にしたスクリーンを操作して画像を表示した。
荒れる海に浮かんだ船の残骸、そしてそこから顔を出すテディベア――――アンカレッジにも出現した、あの超大型セプテントリオンよりもさらに二回りほど大きい。
「これは新たなセプテントリオンです。現在は暫定的に『巡洋型』と呼んでいます」
巡洋型。従来の斥候型セプテントリオンと異なり、群れでは行動せず基本的には一体のみで行動している。最大の特徴は空を飛ばず(飛行能力自体は有する)、主に海水面下を移動することである。
水中に棲むセプテントリオンなど前例がない。ざわめくブリーフィングルーム内を、イングリットは片手で制する。
「地上の生命を食らいつくしたセプテントリオンが、次なる狩猟場として水中を選び、適応した姿……と考えられています」
国連軍の太平洋艦隊はシェルヴールなしでもセプテントリオンを撃退しうる装備と練度を持っていた。その彼らが為す術なく敗北してしまったのは、この巡洋型が海の中から彼らを襲ったからだ。
どんな兵装を持った艦でも、無警戒の海中から襲われればひとたまりもない。
「『巡洋型』が人類の脅威たりうる理由は、彼らが水中に適応しているということばかりではありません。彼らは知能行動とみられる反応をしているのです」
「知能行動?」
「そうよペトラちゃん。今までセプテントリオンに知能はないと考えられてきた。ただ目の前の獲物を狙い、それを捕食する、本能的行動しか取らないというのが定説だった。でも、私たちが遭遇したこの巡洋型セプテントリオンは、自ら電波を発信して私たちをおびき寄せていたの。SOS信号を真似てね」
キャッチしていたSOSはセプテントリオンが発していたものだった。これが人間相手であれば「なんだ罠だったのか」で済むが、相手はセプテントリオンである。地球外生命体である。「SOS」が救助を求める符合であることを、セプテントリオンはどうやって知ったのだろう。
経験から学習したとするのはおかしな話である。現代においてSOS信号に応えるものなどスパルヴィエロを除いては他にいない。彼らには「SOS信号を出せば獲物が来る」ことを知る機会はないのだ。
「セプテントリオンはSOS信号が救難信号であることを知っていた。いいえ、知っていたというより何らかの方法でそれを理解したのね。それを利用して私たちをおびき寄せた」
「そういえば」挙手をし、当てられた藤乃が発言する。「アンカレッジの租界に出てきた斥候型も、行動が何かヘンでした」
「ヘン、というのは?」
「いつもみたいにワァーッて来ないで、こっちの射程圏外に待機して、ちまちま飛び出した個体がこっちの動きを妨害しているだけでした」
「それも巡洋型の存在で説明ができるでしょうね。これはまだ仮説なんだけれど、巡洋型は斥候型に指示を出す司令塔の役割を担っているんじゃないかと考えているわ」
電波を発する巡洋型セプテントリオンと、電波に感応する斥候型セプテントリオン。繋ぎ合わせれば、そういった仮説を立てることも可能だろう。後に残る疑問は、どうやってセプテントリオンがそれだけの知能を獲得したのか、であるが。
「これからはセプテントリオンとの戦いも一層の激化が予想されます。そこでスパルヴィエロ特務航空隊も、新たな隊員を募集することにしました。これからはみなさんも先輩として、後進の育成にも協力してくださいね」
ブリーフィングルームに集まった隊員たちは皆元気よく「はい!」と答える。
アンカレッジを出たスパルヴィエロは海から離れ、現在はロッキー山脈の上空を通過中である。ブリーフィングルームを出た藤乃はイングリットに付き添われ、医療室に向かっていた。
「藤乃ちゃん、セイバーモードの起動に失敗したそうね」
「はい」
アンカレッジ上空で藤乃がセイバーモードを使おうとしたとき。F-4EJ改は機能不全を起こしてエンジンもメインシステムも停止した。その後もレジーナ工廠からの出向スタッフが連日連夜に及ぶシェルヴールのチェックを隅々まで行ったが、原因は不明なままである。
「そうなると、原因はもう藤乃ちゃん自身にあると考えるのが妥当だわ」
「そうですよね……」
藤乃自身に問題がある。薄々そんなことは藤乃自身が感じていることであるが、上司でもあるイングリットにハッキリと言われると少し傷つく。藤乃はうつむいてしまった。
「落ち込まないでいいのよ。藤乃ちゃんが悪いって言ってるわけじゃないんだから」
「でも、私……」
「セイバーモードが使えなかったのは、私も一緒だから」
「え、イングリットさんも?」
「ええ。機能停止はしなかったけど……でも、『ドラケン』は私の意志に応えてはくれなかった」
藤乃は何も言えずに艦内の廊下をイングリットと並んで歩いた。
イングリットもしばらく黙ったままである。いつもの優しい笑顔のようだが、藤乃はその横顔に少し影を感じた。
セイバーモードが使えなかったのは自分だけじゃない。そう言われると落ち込む気持ちも少しは和らいだが、同時にイングリットがセイバーモードを使えなかったことに負い目を感じる気持ちも藤乃には痛いほど分かるのであった。
「さ、着いたわ」
医療室は構造材に申し訳程度に塗装を施した廊下とはうって変わって、壁紙や床がしっかり整えられた部屋であった。入口を入って真正面にはカウンターがあり、そこに座っていた医療スタッフが立ち上がって藤乃とイングリットを迎えた。
「よく来たね。さあ、こっちだよ」
奥に控えていたのはあの医療主任の老婦人、ミリアムである。書店主を兼任する彼女であるが、藤乃が前に見たときの私服姿とは異なり、今日は国連軍の軍服の上から白衣を羽織っている。この姿を見れば、彼女が医療主任であることを疑うものはいないだろう。
「さ、どっちから検査する?」
「じゃあ、私からお願いします」
ミリアムは医療室の奥にあるベッドをぱんぱんと叩いて、イングリットにそこに寝るよう促した。イングリットがベッドに横たわると、ベッドは壁に埋め込まれている巨大な機械へとするすると入り込んでいった。
ミリアムは機械の横にあるタッチパネルを操作してスキャンを始める。
「体脂肪率、筋断面積……イングリット、アンタちょっと最近トレーニングサボってるだろ」
『先生に隠し事はできませんね』
イングリットの声は機械内部のマイクを通して外にも聞こえるようになっている。
『新しい隊員を募集することが決まって、デスクワークが多くなっちゃったんです』
「ったく。そんな仕事、隊長サマにやらせな」
『えへへ……でも、キャシーはそういうの出来ない人だから』
画面は筋肉、骨格と続いて神経系のスキャンへと移る。何が異常で何が正常なのか、医学知識のない藤乃にはさっぱりだが、画面が全体的に水色で着色されているのは「正常」の証なのだろう。
「ハイ、終わりだ。異常なし」
機械から排出されるベッドからイングリットが下りると、今度は藤乃が登って仰向けに寝転がる。まだ生暖かいベッドの感触にくすぐったさを感じていると、藤乃を載せたベッドはゆっくりと機械の中へと入っていった。
藤乃は傍から見ているとあまり感じなかったが、自分が乗せられるとまるで、巨大な怪物の舌の上に乗せられて、口の中へと飲み込まれていくかのようである。
巨大な怪物の口腔――――全身精密スキャナーの中は、青白い光が仄かに灯る、直径一メートルあるかないか程度の空間である。
『身長、体重……ウワッ!』
「え、なんなんです?」
外の声はスピーカーを通して中に聞こえる仕組みのようだ。
『見なよイングリット。こりゃあひどい』
『うわぁ……』
「え、なんなんですかちょっと!」
抗議しようにも、機械の中は体を起こせるだけのスペースがない。藤乃は寝転がったまま、スピーカー越しに聞こえてくるミリアムとイングリットの声に答えるしかないのだ。
『筋断面積、骨密度、ともに平均をはるかに下回ってる。アンタちゃんとトレーニングしてるのかい?』
「してます……してるつもり、です」
藤乃は自分の言葉をその場で訂正した。
『それに何だいこの体脂肪率は。こんなモヤシみたいな航空隊員、初めて見たよ』
「モヤシ……?」
『イングリット。栄養管理できてるか主計科に確認しな』
『はい、先生』
『まあ、あの租界の状況ならこんな子に育っても仕方ないか……』
ミリアムは石巻のことを言っているのだろうか、と藤乃は思った。
食事といえば最低限の栄養素が取れるだけの食料コンパウンド、太陽もドームに遮られていた(セプテントリオンの攻撃で最後の半年ほどは空いていた)石巻では、藤乃もまあまあ成長しているほうであった。しかし文化的な生活を送るスパルヴィエロのクルーや航空隊員とは比較にもならないのはある意味当然である。
『……よし、終わりだ』
藤乃が貧相な体つきなことを指摘されただけで、その後はミリアムもイングリットも検査について何かを語りはしなかった。結果として、検査に異常はないということである。
機械の口から吐き出され、ベッドから降りた藤乃にイングリットが手を貸す。機械の前に並んだ二人に、ミリアムは機械から出力されたカルテに目を通しながら考察を始めた。
「検査結果に異常は見られないよ。二人とも健康そのものだ。キャサリン以下、他の三人との肉体的な差異は個人差の範囲に収まっている」
「では、どうして私たちだけセイバーモードが使えなかったんでしょう」
「分からないね。アタシもレジーナ工廠の出した論文と技術情報には目を通してみたが、セイバーモードの起動に必要な要素が何なのかは分からなかった。まあ、新しい技術だ、まだ未解明な部分もあって当然だろうよ」
ミリアムもあの「イヴ」のレポートを読んだのだろうか。医師として人体実験の是非については聞いてみたいと思った藤乃だが、今はそんなことを聞ける状況ではない。
「これはアタシの仮説だが……聞きたいかい?」
「はい、是非」
「セイバーモードは使用者の深層意識を反映した姿を取るそうじゃないか。ペトラは『戦場に希望をもたらす女神』、キャサリンは『どんな敵をも討ち滅ぼす力』、そしてスサンナは『誰よりも速い脚と誰よりも速い剣』。三人は自分のセイバーモードをそう表現している。お前たちはどうなんだい」
藤乃とイングリットは黙ってしまった。
自分のセイバーモードをどう表現するか――――そもそも使えなかったものを「表現」しろと言われても、そんなものは分からないとしか言いようがない。
「……私は」
しばらくの沈黙の後、イングリットは重く口を開いた。
「正直、まだ疑っています。セイバーモードが本当に世界を救う力なのか。確かに戦闘性能には目を見張るものがあると思います。でも、あれだけの戦闘力、何の代償もなしに行使できるとは思えなくて」
「セイバーモードを使った三人については、その後何の異常も見つかっていない。それはこの医療主任、アレクシア・ミリアムが太鼓判を押すよ」
「先生を疑っているわけじゃありません」
「そうさね、アタシの仮説ってのは、セイバーモードが使えない原因はアンタたちの内面にあるんじゃないかってことだ。内面の差ってのは、こんな機械の検査じゃ見つからないからねぇ」
ミリアムは精密スキャナーの埋まった壁を拳でコンコンと殴る。
「じゃあ、どうすればいいんでしょうか」
「いったろ、これは内面の問題だ。ここは医療室、アタシが治せるのはアンタたちの体の異常だけだ。心の問題は他所で治しとくれ」
白衣を翻し、すたすたと歩き去るミリアム。その後ろ姿を見送りながら、イングリットは「さすが先生」とつぶやいた。
「自分の力でどうしようもない患者を見捨てる判断の早さ、流石経験豊富な軍医だわ」
「そんなもんですかねぇ……」
医療室を出た藤乃は、業務に戻るというイングリットと別れ、トレーニングルームへと足を向けた。
過剰なトレーニングは禁止されている。シェルヴールで飛ぶ航空隊員にはいつスクランブルがかかるか分からない。疲労で動けなくなるなどもっての外である。だが藤乃は今日だけは少しだけ多めに上げておこうとベンチプレスを始めた。




