③
藤乃は飛び立って数分も経たずに戦闘空域に到達した。
ペトラは既に交戦中である。「タイフーン」のリヴォルヴァーカノンは鋭く重いマズルフラッシュを放ちながら、眼前のテディベアたちを次々と糸クズにしていた。
全身に備えられたハードポイントは既に空になっている。ペトラはミサイルを撃ち尽くしてしまったようだ。
「ペトラさん」
「藤乃クン!」
藤乃はバルカン機関砲でペトラを援護しながら接近し、背中合わせになった。
「すみません、男の子のフリしてたのバレちゃいました」
「グランパは何だって?」
「ペトラさんの本音を聞いてきて欲しいって」
藤乃は接近してくるセプテントリオンにミサイルを撃った。
飛行用の燃料は離陸前に補充できたが、外装する兵器類はそうはいかない。藤乃もミサイルが尽き、武器になるのはシェルヴール内で弾薬が生成できる機関砲だけになった。
「……予備隊のみんなが補充のミサイルを持ってきてくれるまで持ちこたえないとね」
ペトラは藤乃の言葉に答えなかった。どのみち、それどころではない。
旋回しながら藤乃とペトラはそれぞれの機関砲を掃射した。すでに包囲されている――――見回せば、無数のセプテントリオンたちが黒い雲を作って藤乃たちに迫っている。
だが、セプテントリオンたちは包囲網を狭めてくる様子がない。シェルヴールに搭載されている機関砲の有効射程ぎりぎりに一定の距離をとり、そのうちの一部が「群れ」を離れて藤乃たちに向かってきている。
まるで、誰かにそうするよう命令されているかのように――――
「もうっ、イライラする! いっそセイバーモードでっ!」
「ダメです、ペトラさん。ここで消耗したらアンカレッジを護れません」
「これだけセプテントリオンがいるなら、食べれば大丈夫だって」
そういえば、セイバーモードはセプテントリオンを「捕食」できるとか言ってたっけ、と藤乃は思い出す。セイバーモード単体で使えば飢餓状態になるだけだが、セプテントリオンを捕食しながら使えば問題ない。
しかし。
「セプテントリオンの動きが気になります。まるでこっちの動きを誘うような動き……何か意図があるように見えませんか」
「セプテントリオンにそんな知能があるわけないよ」
その通りである。
セプテントリオンは相手を捕食し、増殖する。隠れている人間を感知することや、シェルヴールを脅威として認識して襲うことといった行動は、全て本能的なものだ。動物が獲物を追いかけたり、武器を構えた人間から逃げたり逆に襲ったりするのと同じである。
セプテントリオンに知能はない。動物と同じく、本能で生き物を襲っているだけだ。それを疑う人間はいない。
では、今藤乃たちが置かれた状況はどう説明すればいいのだろう。
藤乃たちから一定の距離を保ったまま包囲しているだけになっているセプテントリオンたち。その物量で一気に押してこられれば迎撃が間に合わない可能性が高く、その点では知能を持った行動とは考えにくい。
だが、その包囲行動に意図があるとすれば?
セプテントリオンに知能はないとしても、何らかの知性体が彼らに指示を出しているとしたら?
その目的は――――
「……まさか、陽動⁉」
藤乃が視線を租界に向けた、その瞬間である。
海が割れた。
クック湾の荒れ狂う白波を斬り裂き、「それ」は浮上する。
巨大テディベア……藤乃たちの位置からかなり離れているので正確なサイズは分からないが、その眼前にある無数の砲塔を備えたドームとの比較から体長七〇メートルは下らない超大型セプテントリオンである。
超大型セプテントリオンが右手を引き、突き出す。ドームの外装は容易く破壊され、炎と煙が上がった。
ドン、と遅れて音が響く。ペトラも超大型セプテントリオンに気づき、視線を向けた。
「な、なにあれ⁉」
「行きましょう!」
藤乃とペトラはエンジン出力を上げて超大型セプテントリオンに向けて進路を取る。
だが、二人を取り囲む小型セプテントリオンたちがその行く手を阻んだ。
「こいつら、わたしたちをここに釘付けにするつもり⁉」
これが知能行動でなければ何だというのだろう。セプテントリオンたちは、明らかに何らかの知性によって動いている。
「ここを突破しないと、アンカレッジが!」
超大型セプテントリオンの体表面で爆発が起こる。「プラウラー」を装備した航空隊員たちがミサイル攻撃を始めていた。
小型個体なら一撃で倒せるミサイルも、超大型個体ではあまり効果がない。爆発で超大型セプテントリオンは怯んだが、撃破には至らなかった。
「こうなったら……!」
セイバーモードでここを突破する。藤乃は思考制御されているF-4EJ改にセイバーモードの解放コードを入力する。
「セイバーモード、起――――」
キン、と冷たい感覚が藤乃の側頭部を貫いた。まるで、冷たい氷を突然頭に押し当てられたような、そんな痛みである。
「藤乃ちゃん!」
ペトラの声が遠のく。ふっ、と体から意識が抜けるのを藤乃は感じた。
落ちていく。
意識は上へ、体は下へ。その一瞬、藤乃は「自分」が分割されていくような奇妙な感覚を覚えた。
落下していく体に意識が帰ってくる。藤乃はそこでようやく自分の状況を理解した。
シェルヴールが突然機能不全を起こしたのだ。エンジンが止まり、藤乃の体は重力に任せて落下していく。
ペトラは咄嗟に手を伸ばしたが、その手は藤乃に触れることなく空を切った。
落下していく藤乃。ペトラに近づいてくるセプテントリオンたち。
絶体絶命。この場でペトラが取る手段が何かを、藤乃は知っている。
「セイバーモードっ!」
ペトラのシェルヴールが、輝く糸になってはじけ飛ぶ。迫ってきていたセプテントリオンを貫いた糸はそれらを取り込み、また戻ってきてペトラの体を包み込み繭を作り出す。
砕け散った繭から「変身」したペトラが現れた。ゆったりとしたドレスに羽衣、背中に生やした白鳥のような翼。天から舞い降りた天使、否、女神と化したペトラが藤乃に向かって手を伸ばす。
「藤乃ちゃんっ!」
セプテントリオンが迫ってくる。藤乃は機関砲で迎撃しようとしたが弾は出ない。完全に機能停止したF-4EJ改は、火器も当然のように使用不能となっていた。
「お前たち……あっち行け!」
コマのようにひと回りするペトラ。振るった手刀から風の刃が出て、接近するセプテントリオンをずたずたに引き裂いた。
糸クズとなったセプテントリオンが、ペトラの翼から伸びた糸に絡み取られて吸収されていく。
これまで人類を好き放題に食らってきたセプテントリオンが、ペトラのシェルヴールに「捕食」されている。もはや地球の生命は彼らの食卓に並んだ「食材」などでは決してない。これからは、人類がセプテントリオンを食い返す番だ――――そう思うと、藤乃も胸が空くような思いであった。
「藤乃ちゃん、大丈夫?」
「ダメみたいです。エンジンも、メインシステムも止まっちゃいました」
「だったら……っ!」
ペトラが藤乃に手をかざす。何が起きるのかと思った藤乃は、次の瞬間、噴き上がる上昇気流によってふわりと浮かび上がった。
ペトラが風を起こしているのだ。
「藤乃ちゃん、これなら飛べる?」
「はい、なんとか」
藤乃のF-4EJ改は機能こそ停止しているが、変形が解けたわけではない。幸い、システムはダウンしているがフラップや尾翼は生きている。藤乃はペトラの発生させた上昇気流に乗って姿勢を立て直した。
「……藤乃ちゃん。さっきわたしの『本音』を聞きたいって」
「はい」
「わたしはね、欲張りなんだよ」
ペトラは翼を広げてふわりと藤乃の背中側につくと、羽交い絞めにするようにして藤乃を捕まえた。
「おしゃれしたい。美味しいものも食べたい。友だちと仲良くだってしたいし、恋もしたい。うちの家族の仕事も手伝いたい。みんなと一緒に空を飛びたい。空を飛んでみんなに希望を届けるっていう、夢も叶えたい!」
ペトラの広げた翼から伸びた糸が、藤乃のF-4EJ改に突き刺さる。取り込まれてしまうのかと藤乃も身構えたが、その不安は杞憂に終わった。
ペトラのタイフーンと接続したF-4EJ改はメインシステムが回復し、網膜投影ディスプレイの表示も復活する。セイバーモードの残り時間を表す表示が「--:--」のエラーになっていることを除けば、機能は完全に復活している。
「でもそんなワガママ、言っちゃダメなんだよ。わたしはペトラ・ニヴァル・レジーナ、レジーナ工廠の娘だから。わたしの背中には、会社の看板があるから」
「ペトラさんは、スパルヴィエロに残りたいですか」
「当たり前でしょ!」
ペトラは藤乃の後頭部に顔をうずめたまま叫んだ。
頭蓋骨、その奥の脳髄までペトラの叫びが響いてくる。きっとこれが、ペトラの本心なのだと藤乃は思った。
「楽しかった……スパルヴィエロはわたしがわたしでいられる場所。わたしをわたしでいさせてくれる場所なんだ! 隊長さんがいて、スサンナさんがいて、イングリットさんがいて、藤乃ちゃんがいて……レジーナ工廠の娘じゃない、わたしをわたしでいさせてくれる人がいる場所なんだよ!」
「だったら……」
「でもダメなの! いつまでも子供じゃない。いつまでもワガママ言ってられない。だってわたしは」
ペトラは藤乃を放した。エンジンを噴かして動力飛行に戻った藤乃は、背を押して突き放そうとしたペトラの手を躱し、向かい合うようにしてその懐へ飛び込む。
「レジー……むぐっ」「言わせません」
藤乃は平手で無理やりにペトラの口を塞いだ。
「ペトラさんはレジーナ工廠の娘として、やるべきことがあるのかもしれませんけど。私にとってはそんなの関係ありません。ペトラさんはペトラさんです」
「もごご」
「レジーナ工廠の娘として、ペトラさんはここでスパルヴィエロを降りて会社に戻るのが正しいのかもしれません。でも、ペトラさんは私にとって大切な仲間であり、大切な友だちでもあるんです! その友だちが悲しい顔をしていたら、私だって悲しいです!」
「ぐっ……でも!」
ペトラは藤乃の手を振りほどいた。藤乃はペトラを逃がさないようにその両手を掴む。
「でもじゃありません! 言ってください、ペトラさんのワガママ! 私はそれを聞きたいんです!」
「えっ……?」
「いいじゃないですか、スパルヴィエロに残れば! もっとワガママ言えばいいじゃないですか! 戦うだけが私たちじゃない……航空隊員として生きることが私たちの全部じゃないように、会社の看板だけが、ペトラさんの全てじゃないはずです!」
「わたしの……?」
「みんな聞きたがってます、ペトラさんのワガママ。私だけじゃない、航空隊員のみんなも、スパルヴィエロのクルーのみなさんも、アルバートさんも、ランベルトさんも。みんなペトラさんの幸せを願っている人たちばっかりなんです。だから言ってください、ペトラさんのワガママ。それを叶えるために、私も出来る限りのことはします」
「藤乃ちゃん……わたし」
そこでペトラは言葉に詰まった。
だが藤乃を押し放そうとはしない。少し俯き、目を背け、何を言おうか迷っているようだ。数秒、しかし藤乃にとっては数時間にも思えるほど長い時間、ペトラは逡巡した後で顔を上げた。
「わたし……スパルヴィエロに残りたい! もっと藤乃ちゃんと空飛びたい! 藤乃ちゃんと一緒にわたしの夢を叶えたい!」
「私も協力しますよ、ペトラさん」
ペトラは空中でホバリングする藤乃を引き寄せてハグをした。
通常起動状態のF-4EJ改とセイバーモードのタイフーンでは推力が違いすぎる。二人は抱き合ったまま空中でぐるぐる回り出し、ペトラが放したころには藤乃は目を回してふらふらになってしまった。
「まずはこの状況、なんとかしないとね」
「ペトラさんはあのデカいのを。私が援護します」
ペトラによって応急修理されたF-4EJ改は火器システムも復旧している。機関砲も弾数が最大まで回復していた。ミサイルがないのはこころもとないが、セイバーモードのペトラと包囲網を脱出するくらいならそれで充分だろうと藤乃は判断した。
「ううん、その必要はないみたい」
ドームの一つを破壊しつくした超大型テディベアは次の目標を居住区に定めた。丸ボタンがついているだけの目に光が満ち始める――――初見であったが、藤乃はそれが光線を放つ合図だろうと察した。
このままでは居住区に被害が及ぶ。藤乃のこめかみを大粒の汗が伝ったが、次の一瞬、テディベアの両目は突然爆裂し、もがきながら倒れたテディベアがドームの残骸を押し潰した。
「コイツを……食らいなァ!」
キャサリンである。
両手足の先が縞柄の虎のようなそれに変化しており、服装も軽装備で頭には猫耳、尻からはしなる尻尾を生やしている。猫型獣人のような姿を望遠映像で見て、藤乃は一瞬にしてそれがキャサリンのシェルヴール、F-14Dが変化したセイバーモードのそれであると理解した。
両手の爪を伸ばすキャサリン。起き上がろうとした大型セプテントリオンの顔に飛びつくと、その顔をズタズタに引き裂いていく。斬り裂かれ、無数の糸クズとなったセプテントリオンはキャサリンのシェルヴールに吸い込まれ、そのエネルギーでさらにキャサリンは斬撃を加速していった。
プラウラーによるミサイル攻撃も一切寄せ付けなかったセプテントリオンは、一分も経たずに殲滅された。
「遊んでいる場合か、アメ公」
今度はスサンナである。
長い銀髪はツインテールに纏められ、海面すれすれの低空を超高速で飛行するスサンナの動きに合わせてたなびいている。体にフィットした黒鋼色のスーツを纏い、両手足に配された装甲は空間機動用のスラスターを兼ね、一メートル近い大きな炎を吐いている。海面から頭を出す二体目の超大型セプテントリオンに両手に抜いた二本の刀で襲いかかるスサンナは、まるでニンジャのようであった。
両耳を切り落とされたテディベアが両手で傷口を抑えるように頭を抱えている。これがセプテントリオンでなければ、生命を貪り食らう地球生命の敵でなければ、思わず「かわいい」とでも言ってしまうところだが。スサンナは容赦なくテディベアの首を二本束ねた刀を水平に振るって刎ねた。
キャサリンとスサンナの二人がいる、ということは。空を見上げた藤乃の視界に、雲を突き破って巨大な船体が姿を現す。
白波を突き破って顔を出したクジラのようなそれは、改修により飛行能力を獲得したスパルヴィエロであった。
『藤乃ちゃん、ペトラちゃん。大丈夫?』
飛び込んできたレーザー通信の声の主はイングリットであった。
「イングリットさん! 無事だったんですね!」
『ええ、お陰様で。艦もクルーも、みんな無事よ』
穏やかなイングリットの声に、藤乃も思わず顔が綻ぶ。振り向けば、ペトラもまたスパルヴィエロの帰還に同じく顔を綻ばせていた。
風を切り、スパルヴィエロから飛び立ったイングリットが藤乃たちと合流する。イングリットのドラケンはまだ通常のままでセイバーモードにはなっていない。
「大物は二人に任せて、私たちは斥候型の殲滅に行きましょ。ペトラちゃん、セイバーモード解けるかしら」
「はいっ!」
ペトラの姿がいつものシェルヴールのものに戻る。イングリットを編隊の嘴先にした藤乃たちは、アンカレッジ居残り組のプラウラー数機を加えて居住区の近くを回りながら小型のセプテントリオンの殲滅を行った。
のちに「双頭犬作戦」と呼ばれ、人類がセプテントリオンに初めて完全な勝利を収めたその戦いは、少女たちの決意と、今後の命運とを大きく左右する重要な戦いでもあった。
だが、藤乃たちはそれを知る由もない。ただただ必死だった。藤乃はその戦いのことを、そう思い返すのに違いない。




