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 哨戒任務から戻った藤乃とラヤーンの二人と入れ替わるように、ペトラと予備隊員二人がカタパルトから飛び立った。

 作動後の熱で陽炎が出ているカタパルトに藤乃が下りると、その先でアルバートが空へ上がっていくペトラを見上げていた。


「会長」

「碓氷少尉。ペトラは艦を降りる決心をしてくれました」


 さぞ誇らしいのだろう、とシェルヴールの変形を解除した藤乃は背を向けたアルバートの横へ回り込む。

 しかしそこにあるアルバートの表情は、意外にも目つきは険しく髭の根元を膨らませた、どこか不満げなものだった。


「少し話せますか、少尉」

「はい、大丈夫です」


 アルバートは藤乃を引き連れてカタパルトから降り、ガラス張りの展望室のような場所へと入った。照明は最低限で足元が見える程度、椅子はなく背のないベンチが数台と手すりがあるだけである。

窓の外にはクック湾をはるか彼方まで見渡せる。左右からせり出した岬、そこに点在する機関砲で武装したドーム。そして三本走った飛行機雲。あの先頭の一本がペトラなんだろうな、と藤乃は曇った空を見上げて思った。


「少尉はうちのペトラとはどのようなご関係で?」


「ただの友……」いいかけた言葉を藤乃は無理くりに飲み込んだ。「恋人です」


「ウソでしょう? おおかたペトラが『見合いしろってうるさいから恋人役をやって』とでもお願いしたのでしょうね」


 藤乃は答えなかった。だが、答えなくともアルバートにはそれが肯定の意であることは容易に伝わった。


「男のフリもしなくていいですよ、少尉」

「そこまでバレてる⁉」

「当たり前でしょう。スパルヴィエロの整備クルーは全員うちの出向社員ですからね。貴女が日本の租界でスカウトされたシェルヴール使いだってことぐらい、私の耳にも入ってきていますよ」


 はあ、と藤乃は大きくため息をついた。

 ペトラとイングリットが立てたニセ恋人作戦。その前提からして、全てアルバートには通用しないものだったのだ。


「あの子の考えそうなことは、言葉にしなくてもわかります」


 アルバートはクック湾の曇り空を見上げていた。藤乃はその数メートル後ろで、アルバートの背中を見つめている。ペトラは彼の言うとおりに会社に残ることを決意した。それなのに、なぜ彼の背中は曇り空より鈍色になっているのだろうか。


「……いえ、言葉にしなくても分かっているつもりだった、のでしょうね」

「どういう意味です?」

「ペトラは昔から飛ぶのが好きな子でした。初めてシェルヴールで飛んだのは八歳のころだったでしょうか……適性が見つかって、練習機のバンパイアで飛んだのが最初でした」


 ペトラは藤乃よりもずっと長く飛んでいる。いくつものシェルヴールを使いこなし、レジーナ工廠のテストパイロットとしてシェルヴールの性能試験や兵装試験を行ってきた。

 最初は家の仕事を手伝う、そんな気持ちだったのだろう。それがいつからか「空を飛ぶことで希望を届けたい」と願うようになった――――それはペトラ自身が見つけた「やりたいこと」なのだ。誰かに強要されたわけでも、押し付けられたわけでもない。


「私はあの子の夢を応援したかった。ただそれだけなんです。だからあんな縁談なんかを組んで……ペトラのため、と思って行動していたことが、あの子の幸せを潰すことになるなんて」

「……今なんと?」

「うちの会社でテストパイロットをしていたときのペトラは寡黙で、淑やかで、聞き分けがよくて……周囲からも評判のいい子でした。『お人形さんみたいね』なんて、妻はよく言っていました」


 人形みたい。

 それは顔筋が整った美人に対して使う褒め言葉ではあるが。アルバートの使ったその言葉には、別の意味が込められている。


「少尉は驚いているでしょう。普段スパルヴィエロで見せているペトラの顔と、うちの会社の中でペトラが見せている顔が全然違うことに」

「はい……少し。ホントに、ペトラさんは社長令嬢さんなんだなって」

「私はずっと、あの大人しいペトラが本当のあの子なんだと思っていました。家族に見せる姿はいつもそうでしたから。でも違った」


 人形みたい、とペトラを表現したアルバートの言葉には、ペトラが「見てくれのいい人形を演じている」という意味が込められている。レジーナ工廠の会長の孫、社長の娘、そして同社のテストパイロット。求められるものに対してペトラなりに応えてきたのだ。

 今もペトラは「人形」になっている。国連広報官の妻となり、彼女の持っていた「夢」を叶える――――そんなサクセスストーリーを描く「人形劇」の、主役の人形に。


「スパルヴィエロで明るくふるまっているのも、ペトラに『求められた姿』なのだと思っていました。戦場はいつだって暗くて、寒くて、怖くて……。そういう現場で皆を勇気づけるために、ペトラは無理して明るく振舞っているのだろうと。

 でも、そうじゃなかった。艦長から聞きました。ペトラが退艦許可を求めて、それを認めたと。それ以来、ペトラはいつもの『人形の顔』に戻ってしまいました。私に向ける笑顔は、ペトラが心から笑った顔ではない――――私が『笑え』というから、ペトラは笑っている。ただそれだけです。きっとあの子の素顔は、スパルヴィエロの中にしかないのでしょうね」

「……ならなぜ、ペトラさんに『スパルヴィエロに戻れ』って言わないんです? 婚約を反故にするのは、世間体が良くないとか?」

「ハッキリ言う人ですね、貴女は。レジーナ工廠という企業の看板がある以上、どうしても世間体を大事にしなければならない理由もあります。でも一番は私がそう命令することが、ペトラのためにならないからです」

「ペトラさんのため?」

「いつまでも人形でいてはいけないんです。ペトラが自分で、自分の道を選ばなきゃ。ここで私がスパルヴィエロに戻るように命じてしまったら、ペトラは永遠に私に素顔を見せてはくれないでしょう。企業の代表としてはそれでもいいですが、孫娘の未来を想う祖父としてはやるせません」

「……そういう後悔は、ペトラさん本人に話されたほうが良いのでは」

「私の前では、ペトラは人形の顔しかしてくれません。だから貴女にお願いしたいんですよ、少尉。ペトラの本心を、聞いてあげて欲しいんです」

「ペトラさんの、本心」

「ペトラはニセの婚約者の役を依頼し、貴女はそれを受けてくださった。きっと、ペトラとは浅からぬ関係なのでしょうね。貴女ならペトラの本心を聞けるかもしれない」


 藤乃が返事をしようと口を開いた瞬間、展望デッキにサイレンの音が鳴り響いて藤乃の言葉は遮られてしまった。

 アルバートの依頼に何と答えようとしたのか――――藤乃自身でさえも、遮られてしまった今では分からない。藤乃は黙ったままアルバートに一礼すると、展望デッキを飛び出しカタパルトへと走っていった。




 カタパルトではランベルトが不安そうに空を見上げていた。「プラウラー」を装備した隊員の二人は戻ってきたが、ペトラは戻ってきていない。先ほど離陸したばかりなので、補給せずに迎撃に突入するつもりのようだ。


「碓氷少尉」


 シェルヴールを変形させた藤乃に気づき、ランベルトが近づいた。


「ペトラさんはまだ空にいるみたいなんです」

「知ってます」

「大丈夫かな、心配だな……」

「だったら貴方も飛んでみますか、シェルヴールで」


 藤乃がシェルヴールのブーツをカタパルトに固定すると、スタッフが駆け寄り離陸前の最終チェックを数秒で終わらせる。その間、藤乃はランベルトと目を合わせないように伏し目になった。


「……少尉。貴方が私を嫌っているのは分かります。貴方はスパルヴィエロでペトラさんと私よりずっと長い時間を過ごしているでしょうし、きっと私がぽっと出てきた恋のライバルのように見えているのでしょうね」

「『私』とペトラさんは、そういう関係じゃないですよ」


 藤乃はもう男のふりをするのを辞めた。一人称の変化にランベルトも眉をピクリと震わせる。何かを察したのか、ランベルトはゆっくりと瞬きをする。


「私がペトラさんと直接お話ししたのは、今回アンカレッジに来たのが初めてです。それでも分かります。ペトラさんは本心を隠している――――私の前では、それを言ってくれません」


 ランベルトは国連広報官である。顔と声がいいだけでそのポストを任命された人物ではあるが、元来のエリートで無能ではない。話す相手の面従腹背を見通す眼力くらいは当然のように持っている。


「悔しいですよ。妻になって欲しいと思う女性から、隠し事をされていることに気が付いてしまうんだから」

「……会長も似たようなことを仰ってました。ペトラさんが本心を隠してるって」

「私もシェルヴールで飛べたら、ペトラさんも私に心を開いてくれるでしょうか」

「どうでしょうね」

「少尉。ペトラさんにいくら嫌われようと、私がペトラさんを好きな気持ちは変わりません。私はペトラさんの幸せを願っている。この世界の誰よりもね。だって私は、ペトラさんの婚約者なのだから」


 藤乃は眉をひそめた。

 婚約者? だから何だというんだ。ペトラの幸せを願う気持ちなら、私だって負けないのに、と藤乃は意味もなく対抗意識を燃やす。


「ペトラさんには幸せになってほしい。スパルヴィエロに乗り続けることがペトラさんの幸せだというのなら、私はそれを受け入れます」


 藤乃は驚いてランベルトの顔を見上げた。

 もはや何も分からない。ペトラに会社に戻ってこいと言っていたはずのアルバートはペトラがスパルヴィエロに残ったほうがいいといい、妻になる人に危険なことをしてほしくないと語っていたランベルトがペトラの決断を受け入れるという。

 一体何が起きているのか――――彼らの変化はきっと、ペトラの異変と関係がある。

 祖父の命に従い、艦を降りるというペトラ。その表情は暗く、そして冷たい。まるで陶器でできた人形のよう。家族のため、誰かのためと言えば聞こえはいいが、それは自分の意志を捨てているのと一緒だ。

 ペトラの本心はどこにあるのか。藤乃はふと、レジーナ家の別荘に泊まったあの夜のことを思い出していた。

 わたしがわたしでいられる――――ペトラの本心を聞き出せるのは、藤乃を置いて他にはいないのだ。


「お気をつけて、少尉」

「はい。行ってきます」


 後ずさるように離れるランベルトを見送り、藤乃は腰を落とした。


「F-4EJ改、碓氷藤乃、行きますっ!」


 バックパックのエンジンが火を噴き、カタパルトの拘束が解かれる。

 一気に離陸速度まで加速した藤乃は空へと舞い上がった。


 セプテントリオンの押し寄せる、戦場の空へ。

 そして、ペトラの待つ空へ。

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