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第9話 ワガママを聞かせて ①

 スパルヴィエロがアンカレッジを発って七日が過ぎた。

 カタパルト直下の格納庫に集い、各々コンテナに腰かけ食料コンパウンドを齧る予備航空隊の隊員たち。彼女らの顔にも疲れが見え始めている。無理もない、藤乃やペトラのシェルヴールとは異なり、彼女らの使うプラウラーに備わった疑似有機繊維は少なく、セプテントリオンの侵食に対する防御効果はあまり期待できない。


 組み付かれたら確実に死ぬ。その緊張感の中で哨戒をしている彼女らに、藤乃はただただ感謝することしかできなかった。


「みんな、差し入れだよー♪」


 暗い顔をする隊員たちを、ペトラは肩を叩いて明るく励ましている。配っているのはアンカレッジ租界で収穫されたというつぶつぶしたキイチゴのような果物だ。

 藤乃もひとつもらった。酸っぱくて甘い、不思議な味である。その不思議な味に、疲れを見せていた隊員たちも思わず笑顔をほころばせた。


「あと少し、がんばろーね!」

「はいっ!」


 みんなを勇気づけられる人になりたい。ペトラはそう語っていた。セイバーモードで変身した姿は、装着した人間の深層心理が強く影響を及ぼすという。あの舞い降りた天使のような姿こそ、ペトラの理想の姿――――戦場に降り立ち、兵士たちに立ち上がる勇気を与える、女神のような存在なのだろう。

 差し入れを配り終え、隊員たちから少し離れたコンテナに腰を下ろしたペトラは、残った籠半分くらいの果物(藤乃はのちにそれが「ラズベリー」という果物だと知った)を摘まんで頬張り「んーっ♪」と感嘆の声を上げている。藤乃はその隣に腰を下ろした。


「藤乃ちゃんももっと食べる?」

「いえ、遠慮しておきます」


 この一週間、藤乃はペトラの真意を掴みあぐねていた。ペトラもかなり疲れているはずなのは間違いないのだが、この明るさは何なのだろうか。

 同僚の航空隊員たちを励ますために気丈に振舞っているのか、あるいはアンカレッジに戻ってきたことを本心から喜んでいるのか。ただ一言、ペトラが「スパルヴィエロに残りたい」と言ってくれたら。藤乃はその言葉をずっと待っているが、ペトラは一向にそんな言葉を発することはなく、聞いても笑顔ではぐらかされてしまうのだった。


「大丈夫だよ、藤乃ちゃん。いざとなったら、わたしが『セイバーモード』でずがーんっとやっつけちゃうから!」

「何言ってるんですペトラさん。セイバーモードは使うなって艦長から言われたじゃないですか」

「でもわたし、もうスパルヴィエロの航空隊員じゃないし」

「それは……!」

「じゃあわたし、もうすぐ哨戒の時間だから。行ってくるね」


 立ち上がるペトラ。

 藤乃はその腕を掴もうとしたが、手を伸ばしたときには既にそこにペトラの腕はなく、藤乃の手は虚空を掴んだだけだった。

 ラズベリーを詰めた籠を置き、すたすたと歩き去っていくペトラ。その背中からは真意を読み取ることができない。

 ペトラの本心はスパルヴィエロを降りたくないのか、それとももう決めてしまっていて諦めているのか。藤乃が奥歯をかみしめると、食べかけのラズベリーがつぶれて酸っぱい味が口の中に広がった。




 この一週間、スクランブル続きで疲弊はしているがアンカレッジ近辺のセプテントリオンはかなり個体数を減らしたらしく、出撃の頻度そのものは低下している。藤乃はペトラと交代で哨戒に出ていた。

 スパルヴィエロはどうしただろう。考えないようにしようと思っても、どうしても藤乃の脳裏にはそのことが浮かんでしまう。こんな時、いつもだったら『アイダホ』に行くのにな――――そんなことを藤乃は考えていた。悩み事があったら、キャサリンに相談すればいい。隊長として働いているときのキャサリンはあまり頼りにならないが、店主をしているときの彼女は話し相手としてはとても信頼できる。ペトラがどう考えているか、それをどう知ればいいのか。キャサリンなら何かいいアイデアを出してくれるはずだ。

 あの人なら何ていうかな。たぶん、「当たって砕けろ」っていうだろうな。藤乃は暗い空を映して一層暗い藍色をしたクック湾を低空飛行しながら考えていた。

 いいアイデアといってもそんなものである。藤乃にはきっと、ペトラの事情に一歩、踏み込む勇気が足りないのだ。


『なんだ藤乃、考え事か?』


 藤乃にレーザー通信を繋いできたのは、一緒に哨戒に出ている予備航空隊員のラヤーンであった。プラウラーで飛んでいる彼女は、疲労で寝込んでいる他隊員のシフトを積極的に引き受けている。アンカレッジ居残り組の中では、ペトラに次いで元気な女である。


『悩みがあるならこのラヤーンおねーさんに相談しろよ』

「え。じゃあちょっといいですか、相談しても」


 こう見えてラヤーンは結婚している。

 彼女は藤乃から五つほど年上で、彼女の故郷の租界では、女性は父親の決めた婿に嫁ぐのが習わしなのだ。しかも一夫多妻制を布いており、ラヤーンの夫は彼女の上に三人、下に四人の妻がいるという。


「親の決めた婚約者がいるって、どんな感じなんでしょう」

『……妙にツッコんだ相談だな。ペトラのことか』

「分かっちゃいますか」

『当たり前だろ。あたしを誰だと思ってるんだ。ラヤーンおねーさんだぞ』


 何が当たり前なのかは藤乃には分からないが、とにかくラヤーンは藤乃の悩みをなんとなく察したようだ。


『そうだな……婚約者がいることを不自由だとかいう人間もいるけど、それは人それぞれだな』

「ラヤーンさんはどうでしたか?」

『あたしは幸せだよ。ウチの旦那はまず、すごい顔がいい。そんで優しくて親切で思いやりがある。スパルヴィエロが租界に寄港すると、毎回そこにメールを寄越してくれるんだよ。この前もな……』


 ラヤーンの惚気は聞いているだけで幸せになるが、話のバリエーションは多くても展開はワンパターンである。夫がどれだけジェントルマンであるかを語る彼女の語り口は、まるで神話か英雄叙事詩だ。


『……今度スパルヴィエロが故郷に寄ることがあったら、あたしはそこで艦を降りるつもりなんだ』

「えっ」

『そろそろ子供も欲しいしな。艦長にもそのことは伝えて、了承をもらった』

「そうですか……残念です」


 ラヤーンはずっと正規航空隊員になってシェルヴールを受領するのを夢に飛び続けていたのを、航空隊員の訓練や函館でのデモ飛行でよく一緒になっていた藤乃は良く知っている。それだけに、ラヤーンの心変わりには少し驚かされた。


「でも、ラヤーンさんの『夢』はいいんですか。いつか自分用のシェルヴールで飛びたいんだっていつも言ってたのに」

『よくはないぞ。よくはないが、今はもっとやりたいことを見つけたってだけだ。最初は第四夫人なんてって思ってたけどさ、離れてみるとなんだか……あいつのことが無性に恋しくなったんだよな。今は早く会いたいなって思ってる』

「もっと、やりたいこと……」

『どうだ藤乃、お前も一緒に来るか? 艦の仲間のことを話したら、何人でも妻に迎えてもいいって言ってくれたんだよ。藤乃なら第十二夫人くらいにはなれるぞ』

「今八人ですよね⁉ 私の上の九から十一番目には誰が入るんですか!」

『ははは。冗談だよ』


 ラヤーンは笑った。


『夢を、理想を追いかけるのは確かに尊いことだけど、夢を追いかけるために自分を犠牲にしちゃダメだってあたしは思うんだよね。夢は夢、叶えばいいなって思うけど、そのために捨てちゃいけないものを捨てちゃったら、夢を叶えたところで待っているのは不幸だけさ』

「捨てちゃいけないもの……ですか」

『そうさ。あたしの場合は家族。お父様とお母様たち、それにウチの旦那と、これから生まれるだろうあたしの子供たち。あたし一人で夢を叶えたところで、一番それを祝って欲しい人がいないんじゃ意味ないんだよ。藤乃にもあるだろ、そういう、一番大切な、捨てちゃいけないもの』

「うーん、よく分かんないです。でも、似たようなことは前に隊長にも言われたことがあります。『戦うだけが、私たちの全てじゃない』って」

『そうだな。あたし達は確かに空を守る特務航空隊員だけど、それぞれ人生がある。心がある。それを捨てちゃダメだろ。自分を犠牲にして空を守っても、墓に祈ってくれる人がいればいいほうさ。生きて掴む幸せ、それがなかったら、空を飛ぶ意味なんてないよ』

「生きて掴む幸せ……」


 藤乃には夢がない。

 何のために空を飛ぶのかと問われれば、すばるとの約束がある。藤乃はシェルヴールを纏って空を守り、いつかすばるの作ったシェルヴールに袖を通すと約束した。そのためにも、藤乃はどんな危険な任務からも生きて帰らねばならない。

 空を守るために命を落としてしまったら、すばるとの約束は果たせなくなる。


『ペトラが悩んでるのもそういうことなんじゃないのか?』

「どういうことでしょう」

『あの子、自分を犠牲にしようとしてるんじゃないのか? 一人でも多くの人に勇気を届ける……とか言ってたっけ。そのためにあの広報官と結婚しようとしてたんだろ』

「そうらしいです」

『でもペトラは気づいちまったわけだ。広報官の妻になるより、自分で戦場を飛んで直接勇姿を見せたほうがいいんだってことを。だったらもう、やること決まってんだろ』

「そう……ですよね!」


 藤乃は顔を上げた。

 相変わらず空は曇っている。風は冷たく、悪天候に踊り狂う白波は藤乃を飲み込もうとしてくる。だが、吹く風に藤乃が体を委ねると、シャルヴールはその風に乗ってふわりと浮かび上がった。

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