第2話 ドッグファイト①
<あらすじ>
石巻租界に暮らす碓氷藤乃は、空に憧れシェルヴールで空を飛ぶ少女である。
侵略的地球外生命体「セプテントリオン」に荒廃させられた租界で、藤乃は青空に対する興味をさらに強めるが、空にのめり込んでいく藤乃を養父の藤孝は厳しく諫めるのだった。
セプテントリオン。
その生態について分かっていることは、有機生命体を食して増殖する侵略的宇宙生命体である、ということだけである。
人類とのファースト・コンタクトは一九九九年七月。シベリア中部クラスノヤルスク郊外に落下した隕石から発見され、動植物を見境無く捕食するセプテントリオンに人類はなす術も無く敗北し、最初の襲撃で地球の人口は半分近くまで減少した。
核兵器の使用によりその後七年周期の再三の襲撃を退けること四回。度重なる放射能汚染とセプテントリオンによって捕食され動植物は減少、環境収容力は極端に低下し、二〇二七年現在、地球生物の個体数はファースト・コンタクト当時のおよそ1/3、世界人口は1/6まで減少した。
だが、人類とてただ指を咥えて滅びの日を待っていたわけではない。
セプテントリオンに捕食されながらも、そこから奇跡的に生還したといわれる少女「イヴ」に残っていた体組織から、セプテントリオンの正体が有機繊維状生命体であることを突き止めた人類は、それに対抗しうる兵器を開発した。それがシェルヴールである。
『空の救世主』に由来する名を持つシェルヴールは、人工的に作り出した擬似セプテントリオン繊維で機体を構成することで捕食を防ぎ、また有効打を与えられる武器を生み出す。その技術を応用し租界のドーム外殻や藤乃のT2は作られている。
変形機構もその技術の応用例の一つだ。T2のバックパックに充填された擬似神経有機繊維は、ベルトの形になって装着者の体に巻きつき、その上に装甲や兵装を構成していく。純度の高い有機繊維で作られたシェルヴールは全身を覆うように装備が生成されるが、簡素化されているT2のような練習機では兵装はなく、また防御装備もプロテクターの生成が限度である。
「碓氷藤乃、いきますっ」
戦技教導航空隊、その採用試験が始まる。藤乃は『着込んだ』T2のエンジンをふかして石巻の空へと上がった。今日は風がない。だが、ジェットエンジンで飛ぶ藤乃はむしろ心地いい風を感じることができた。
「これより試験の内容を説明します」
頭を覆うT2のヘッドギアから、試験官のレーザー通信が聞こえる。
「試験内容は模擬空中戦になります。試験開始後、戦技教導航空隊所属の川崎中尉があなたを狙ってスクランブル発進します。碓氷さんは中尉のATD-Xから二分間逃げ切って、バイタルダメージを受けなければ合格です」
「ATD-X……?」
「特に問題がなければあと五十六秒後に試験を開始します」
藤乃の質問など聞かんとばかりに、試験官は一方的に通信を切ってしまった。
ATD-X。藤乃は記憶の中にその単語を探した。しかし見つからず、地上クルーに通信で問うた。
「ねぇ、ATD-Xって聞いたことある?」
「藤乃、やばいよぉ。あんなの絶対勝てないよぉ……」
繋いだ通信で突然気の滅入るようなことを言ってきたのは、藤乃のT2を整備している学校の友人、中嶋すばるであった。
すばるはメンテナンスや改造を担当しているが、オペレーター代わりも務めている。
「ATD-Xって、防衛軍が開発した新型のシェルヴールだよっ」
T2のヘッドギアが藤乃の網膜に映像を投影する。すばるの送って寄越した、模擬戦の相手――――ATD-X『心神』のスペック表だ。
「エンジン出力、最高速度、限界旋回性能……うわあ、全部負けてる。おまけに中身は耐G訓練を受けた本職のパイロットさん。ははは、こりゃダメだな」
ヘッドギアから投影された映像を切り、藤乃は作り笑いをした。
藤乃の纏うT2は、改造を施して性能を上げてあるとはいえ、セプテントリオンをぎりぎり振り切れる程度の性能しかない。それを思い出し、藤乃はこの採用試験の本当の目的を悟った。
大人たちは、藤乃たちのT2を模擬戦の標的として、新型機の性能テストをしようというのだ。
セプテントリオンよりも良く動ける藤乃のT2を撃墜できるほどの性能があれば、新型機は実戦で十分に戦える性能があると証明されるだろう。
「どうしよう藤乃ぉー。こんなの絶対勝てないよぉ……」
藤乃の脳裏に「棄権」という言葉がよぎる。試験をこのまま続ければ、藤乃はどんなに頑張っても相手の新型の餌食になってしまうだろう。模擬戦用のペイント弾とはいえ、当たれば痛いのは間違いない。
ごう。
澄み切った青空に、ジェットエンジンが火を吹く音が響き渡る。試験が開始され、相手のATD-Xが離陸したのだ。しかし、音はすれどもその姿はT2のレーダーには映っていない。ステルス性能を持った『心神』は、藤乃が目視で見つけなければならない。
「藤乃ぉ、棄権しようよぉ……」
「それはダメ。今回の試験には私だけじゃない、すばるやみんなの将来がかかってるんだ。絶対勝つ。勝ってみせる……!」
「でもあんなのから逃げるなんて絶対無理だよぉ……」
「被弾したら痛いかな。やだなぁ……だから」
逃げる。藤乃はエンジン出力を全開にして、高度をどんどんと上げていった。
高度が上がるにつれて、頬を打つ風はどんどんと冷たくなっていく。だが、その感触すらも藤乃は楽しんでいた。ドームの中では、ここまで高い高度まで飛行することは不可能だ。この冷たい生の感触こそ、藤乃が求めていた「飛ぶ楽しさ」に他ならない。
「藤乃、なん……作戦は……るの?」
すばるの通信がかすれている。藤乃は地上から十分に離れたことを確認し、その場で水平飛行に移った。
雲のような遮蔽物がない分、かなり遠くまで見渡せる。藤乃の目下には石巻租界の半壊したドーム、そしてその周りに点在する核兵器の投下痕が見えていた。そして。
「いた」
ゴウとアフターバーナーを噴かして真っ直ぐ藤乃のほうへ向かってくる人影。レーダーには映っていないATD-Xを、藤乃は目視で確認した。
上昇性能でも藤乃のT2は負けている。それでも藤乃はまた高度を上げ始めた。狙いをつけさせないように、左右にランダムな振れ幅で体を揺らしながら、さらに高く、高く飛んで行く。
ぱすっ。
ATD-Xの銃口から放たれたペイント弾が主翼の先端をかすった。もう追い付かれたのかと藤乃は静かに冷や汗を垂らす。試験の開始からおよそ二十秒、あと百秒あまり藤乃は圧倒的に強い相手から逃げ惑うことになる。
だが、藤乃には作戦がないわけではなかった。
「いまだっ!」
藤乃は突如、エンジンを停止する。
ほぼ垂直に高度を上げているこの迎角では、翼は揚力を生まない。推力を失って失速した藤乃は、落下するしかないのだ。
T2の計器類が危険を知らせる。ふわり、と慣性で最高点に到達した藤乃は、重力に引かれて急降下を始めた。
「え、えええ⁉」
ATD-Xを纏っているらしい女性の驚いた声が聞こえたが、それもすぐに通り過ぎて藤乃は手足の力を抜き、仰向けの姿勢でどんどんと落下していった。
翼や手足の先端から、白い筋が空に向かって延びている。落下のスピードで、飛行機雲が出来ているのだ。もし今藤乃がうつ伏せの状態だったら、風圧で呼吸ができずすぐに失神してしまっていただろう。藤乃はこの自由落下を回避に利用した。
「ちょっと、大丈夫⁉ 生きてる⁉」
相手の女性パイロットがレーザー通信を送ってきている。どうやら彼女は藤乃が失速し墜落しようとしていると思っているらしい。発砲することもなく藤乃に手を伸ばそうと降下を始めているが、その距離はどんどんと離れている。藤乃と同じ速度で降下すれば、自分が助からないことを彼女は分かっているのだ。
「……そろそろかな」
目視で相手との距離を概算した藤乃は、エンジンを再点火した。
落下のスピードに少しだけ水平方向の速度を加えると、すぐにT2の主翼は風を掴んで揚力を生み出し始めた。仰向けのまま、藤乃はだんだんと水平飛行の体勢へと戻っていく。
藤乃はすでに相手とは十分に距離を離していた。上昇中の被弾タイミングから、ATD-Xの有効射程は分かっている。試験時間は残り五〇秒、このまま逃げ切れば藤乃の勝ちだ。
確実な勝利を掴み、ほくそえんだ藤乃だったが、彼女の目に飛び込んできたのは「試験中止」の発光信号であった。
「中止? どうして……」
「藤乃、聞こえる!?」
「すばる、どういうこと? 試験中止って」
「セプテントリオンが出たの! 早く藤乃も逃げてっ!」
ざざっ、と音がして通信は一方的に切断された。