⑤
作戦タイムを終えた藤乃たち三人が会長室へ戻ると、アルバートはペトラの話を切り上げて仕事の話を始めた。
老執事が持ってきたタブレット端末に表示される、スパルヴィエロのアップグレードプランの数々。船体構造強化、機銃の増設。スパルヴィエロに反重力航行能力が備わる(つまり、艦そのものが空を飛べるようになるということだ)というのも驚きだが、そういう些末な情報を指で画面上へ押し流し、藤乃は「セイバーモード」に関するものを中央に表示させる。
「やはり気になりますか。それが」
「ええ、私たちに最も関係のあることですから」
イングリットは端末をテーブルに静かに置く。
「ここで話すより、直接見て頂いたほうがいいでしょう」とアルバートが席を立った。
藤乃たちが案内されたのは、アンカレッジ支社の中階にある実験施設であった。
十メートル四方の実験室の中は、タイル状の何かが壁や天井、そして床一面に貼りつけられている。藤乃が後から知ったことだが、壁のそれはスパルヴィエロの外装甲や変形したシェルヴールと同じ、疑似有機繊維で作られた防護壁であるという。
中には白衣を着た研究員が五人ほど、それとスーツ姿の若い男が一人。
「おや! もしかしてスパルヴィエロ特務航空隊の皆さんではありませんか?」
スーツ姿の若い男は藤乃たちを見るやいなや、笑顔で敬礼をしてきた。
顔は若い。肌は白く、透き通るような瑠璃色の瞳をしている。藤乃はあまり男性と親しくしたことがないので基準が分からないが、おそらく「イケメン」の範疇なのだろうなと感じた。
「わたくし、国連軍統合広報司令部、広報官中佐のランベルト・H・ホラントと申します」
こいつが例のアイツか、と藤乃も敬礼を返す。
若そうな割りに前髪は後退していて、英語にも若干訛りがあるように聞こえる。目の前の人物の正体を知ると、藤乃は途端に欠点ばかりに目がいくようになった。
「スパルヴィエロ特務航空隊副隊長、イングリット・アガヴェルです。お会いできて光栄です」
ほぼ敵みたいなものなのに、と藤乃はイングリットに感心した。流石はキャサリンから隊長としての対外業務をほぼ全部丸投げされているだけのことはある。ランベルトにもイングリットはにこやかに応対していた。
「ペトラ・ニヴァル・レジーナです」
「よろしく」
ペトラとあいさつしたときにランベルトが歯を見せて笑うのを、藤乃は航空隊員らしい動体視力で見逃さなかった。
「碓氷藤乃です」
「ウスイ……ああそうか。キミが、例の」
例のって何だよ!と思いながらも、藤乃はその態度が表情に出ないように体を強張らせる。
「改修作業は既に『タイフーン』と『MiG-29K』が完了しています。『ドラケン』と『F-14D』、それから『F-4』は作業中です」
白衣の研究員がアルバートに報告している。
その場には物々しいコンテナが二つ置かれていた。側面にはそれぞれ『EF-2000』と『MiG-29K』と記されている。それぞれ、ペトラとスサンナのシェルヴールが収められたコンテナだ。
藤乃がおそるおそる『MiG-29K』のコンテナの蓋を開けてみると、中には梱包材に包まれてスサンナのいつも着ていたあの軍服が収められていた。ウナラスカ島攻略戦で自己修復不能なほど損傷したため、優先的に修復されたのだ。
「ペトラ、ちょっと『セイバーモード』を使って見せてあげなさい」
「はーい」
ペトラは会長の指示に従い、自分のシェルヴールをコンテナから取り出すと、脇に抱え
て部屋の外へと出て行った。
「私、シェルヴールの実物を見るのは初めてなんですよ」ペトラの背を見送ると、ランベルトは藤乃に話しかけてきた。「空を飛ぶって、どんな感じなのでしょうね」
「どうって……楽しいですよ。飛ぶのは」
「鳥のように空を飛ぶのは、人類の夢ですからね」
「さあ、鳥みたいに飛べるのかはわかりませんが……。僕は鳥じゃないので」
「はは、確かに」
「でも、シェルヴールで飛ぶときのあの高揚感は、他の何にも代えられないですね。体がふわって浮くときのあの感触……他の娯楽じゃそうそう味わえませんから。毎日だって飛べちゃいますよ」
藤乃はランベルトに対してマウントを取りたくなった。
階級も、生まれ育ちも。許婿殿に何もかも負けている藤乃だが、唯一勝っているのはペトラと一緒に空が飛べることだ。空を飛べる喜びを共有しているのは自分だけなんだぞ、と言葉の針の一つでも刺したくなった。
「ほう、毎日ですか」だがランベルトは藤乃の針も効かないようであった。「それがセプテントリオンとの戦闘でも?」
藤乃は即答する。「当然です。それが仕事ですからね」
「シェルヴールで飛ぶ楽しさは、命を懸ける価値のあるものだと?」
「……何が言いたいんです?」
「ご存知ないかもしれませんが、実は私、ペトラさんと婚約しているんですよ」
「聞きましたよ。本人の同意のない婚約だと」
藤乃も嫌悪感を隠すのが難しくなってきた。
「はは、そこまでご存知でしたか」だがランベルトは藤乃の隠さない言葉のトゲにも我関せずとばかりに話しかけてくる。「正直、私としてもペトラさんには航空隊員を辞めて頂きたいんですよね」
「そんなこと、なんで僕に話すんですか」
「はい。出来ることなら、あなたからもペトラさんを説得していただけないかなと思いまして。空は危険なところだ、艦に居続けるのは良くない、とね」
「言うと思いますか、僕がペトラさんに」
「言わないでしょうね。あなたがペトラさんのことが好きで、ずっと一緒にいたいと思うのなら。でも、私だってペトラさんのことが心配なんです。妻に命の危険を冒してほしくないと思うのは、夫としておかしなことでしょうか」
「貴方はまだ夫でもないし、ペトラさんは貴方の妻なんかじゃありませんよ」
「これはなかなか、厳しいな」
藤乃とランベルトがひそひそと口論している間、すぐ隣ではイングリットとアルバートの別の口論が繰り広げられていた。
「人間が使ったらどうなるかも分からないのに、孫娘にそれを今すぐ使わせるなんて」
「ペトラは私の孫であると同時に、レジーナ工廠のテストパイロットでもあります。少々の危険は覚悟の上ですよ」
「しかし……!」
「それに、第五世代型シェルヴールは数が限られていますしね。実機での起動実験をしようにも、今はそれができませんから」
イングリットはまだ何かいいたげな顔をしていたが、ペトラが戻ってきたのでそれ以上話をすることはできなかった。
「お待たせしましたー」
いつもの軍服に着替えて戻ってきたペトラは、藤乃がいつも見慣れていたペトラであった。スパルヴィエロでいつも見ている、毎日が楽しそうなペトラである。
「とうっ」
ペトラがジャンプすると同時に、軍服の六芒星のバッジをひねる。着ていた軍服が糸へと解かれ、スーツと装甲になってペトラの体に再装着された。
変身した姿も、藤乃がよく見る『タイフーン』の姿である。
「これがシェルヴール! 素晴らしいですね!」
実験室内を飛び回るペトラを見上げ、ランベルトは拍手をしている。
盛り上がるランベルトとは対称的に、藤乃は冷ややかだ。正直、シェルヴールで飛ぶ姿なんて見慣れている。
「そろそろ本番といこうか、ペトラ」実験室内でホバリングするペトラに、アルバートが指示を出す。「『セイバーモード』、起動」
「はい」
さらなる『変身』に前触れはなかった。
再度光を放つ糸へと戻って弾かれたシェルヴールが、空中でペトラを包んでいく。直径三メートルほどの繭を形成したと思うと、次の瞬間にはそれが割れた。
「うわぁ……」
「なんと……」
繭の中から現れたペトラの姿に、そこにいたものはすべからく心を奪われてしまった。
皮膚を守るグレーのアンダースーツは、シルクのような輝きを放つ、ゆったりとした淡緑色のドレスへと変貌している。その上から羽衣のような半透明の布を周囲に漂わせ、背中からは白鳥のような純白の翼を生やしている。
後光すら見える。ペトラの姿は、まさしく「舞い降りた天使」のそれであった。
「これが『セイバーモード』……!」
さっきまでアルバートに懐疑的な態度を向けていたイングリットでさえも、ペトラの新たな姿には言葉を失っていた。
床につま先をつけるペトラ。重力に逆らうかのようにふわりと降り立った瞬間、ペトラの体を再度繭が包み込み、シェルヴールは元の戦闘機を模したものへと変貌した。
「うぅ」
ペトラが床に倒れこむ。その体を支えて起こしたのはランベルトであった。
「大丈夫、ペトラちゃん」
「だ、大丈夫、です。でも……」
ペトラは近づいたイングリットに笑って応えた。だが、その表情は三徹明けのように疲れ切っている。
「でも?」
「すっごく、お腹空きました……」
ペトラの言葉に、一堂は笑い出した。
だが藤乃は、その光景を少し離れた場所でただ見ていることしかできなかった。
圧倒されていた。放心していた。セイバーモードの余りの神々しさに、心を奪われていた――――言い訳なら後からいくらでもできる。だが、ペトラが着地した瞬間。よろけた瞬間に彼女を支えたのは、藤乃ではなくランベルトであった。
藤乃は自分が恥ずかしくなった。自分こそがペトラに相応しい相手だと見せつけるための最初の場で、それができなかったのだ。
一度は「やります」と言ったことだが、藤乃はペトラの『王子様』役が務まるものか、急に不安になってきていた。




