②
「うぅ……」
藤乃は試着室のカーテンを開けて、取り囲む三人の黄色い声から目を反らした。
スパルヴィエロの艦内は動く一つの街である。品揃えこそそれほど豊富ではないが、服飾店まであり、藤乃はペトラたちにこの店へ連行されていた。
これを着てみろとペトラに渡された、だぼだぼのシャツにパーカー、さらにダメージジーンズを合わせた服は上から下まですべて男物である。いつも着ている軍服を奪われ、試着室に放り込まれた藤乃に選択の余地はなかった。ペトラとリンファ、そしてなぜか合流したイングリットが満足するまで藤乃は着せ替え人形に徹するしかないのである。
「やっぱり似合うよねー」
「この帽子とかいいんじゃないですか?」
「あら、いいセンスね」
リンファが後ろの棚からキャップを取り藤乃に被せる。つばを後ろに回したリンファはうーんと唸って少し首を傾げ、キャップの位置を斜めに調整した。
「わぁ」
「こんな感じで、いかがでしょう」
「素晴らしいわね。写真を撮っておきましょう」
藤乃を除く三人が端末を手に写真撮影を始めた。とても活き活きと楽しそうな三人とは裏腹に、藤乃は憂鬱な表情になっていた。
「あの」
「藤乃ちゃん、ちょっと手貸して」
藤乃の発言を無視して、ペトラは藤乃の左腕を掴んで動かし、ポーズを取るように強いた。それを見て三人はワーキャーいっそう盛り上がっている。
「あのッ!」
「どうかしたかしら、藤乃ちゃん?」
「これ、対外交渉任務なんですよね⁉ なんで男の格好をしなきゃいけないんですか!」
「聞いてないの? 藤乃ちゃんのことはペトラちゃんの恋人ってことで紹介する作戦なのよ」
そういうとイングリットは頬に手を当て、恍惚の表情になった。
「ああ! なんて素晴らしいシチュエーションなのかしら! 友人のために恋人のフリをすることになって、偽りの愛のために一緒に過ごすうちに本物の愛が芽生え……!」
特務航空隊副隊長、イングリット・アガヴェルは腐っていた。
かつてイングリットは藤乃にBL同人誌を薦めていた。その内容は『隣国のお姫様と政略結婚した王子様だったが、そのお姫様が実は女装させられた男の娘だった』というものであったが、奇しくも今の藤乃の状況はそれを男女逆転したものに近い。
「どうかしら藤乃ちゃん、もういっそこのまま男の子になってみない?」
「遠慮しておきます」
「もったいないわぁ。レジーナ家の婿なんて、スパルヴィエロの男性クルーならみんな目から血の涙を流して羨ましがるでしょうに」
「血の涙⁉」
果たしてそれは羨ましがるときの表現なのだろうかと藤乃は疑問に思った。
ペトラとリンファは藤乃の側を離れ、次に着せる服を物色しに行った。藤乃は試着室に膝に肘をついて座り込むと、監視役なのか隣に立っているイングリットに疑問をぶつけることにする。
「いやホント……なんでその、ペトラさんのお爺さまとお会いするのが対外交渉任務なんです? ただの家族の集まりじゃないですか」
「あら、聞いてないの? ペトラちゃんお見合いするのよ」
「うん……うん? なんでペトラさんのお見合いと私の男装が繋がるんです?」
「シェルヴール製造技術を持った会社が世界で三つだけで、その一つがペトラちゃんの実家、レジーナ工廠だっていうのは聞いてる?」
「はい、なんとなく。ペトラさんがそこでテストパイロットをしてたってことも」
「ペトラちゃんがスパルヴィエロの航空隊にいるのは、あの子のワガママなのよ。でもいつまでも帰ってこない孫娘に、レジーナ工廠の会長さん、つまりペトラちゃんのお祖父さんも堪忍袋の緒が切れちゃったのね。『結婚相手を見繕ってやるから帰ってこい』って」
無茶苦茶だな、と藤乃は思った。孫娘が帰ってこないからっていくらなんでも。そんなことを言われて「はい、そうします」とはならないだろう、と。
「じゃあ私は『もう好きな人がいるからお見合いは出来ません』って言うために、婚約者役をやらされるってわけですか」
「その通り。スパルヴィエロに残りたいペトラちゃんと、ペトラちゃんを何か理由をつけて艦から降ろしたい会社側。向こうの言い分は『結婚相手を探してやる』なんだから、偽の婚約者を用意するのが、ペトラちゃんが艦に残るための最適な方法だと思うのよ」
そう上手くいきますかねぇと藤乃はため息をついた。
「藤乃ちゃん。貴女はスパルヴィエロに乗って、シェルヴールで戦場を飛ぶことを自ら選んだのよね。でも、この艦にいる人の全てがそうというわけではないの」
「どういう意味ですか?」
「スパルヴィエロにはいろんな人が乗ってる。セプテントリオンへの復讐に燃える人、生活のためにこの道を選んだ人。租界勤務を希望しながらダメだった人、租界の暮らしに飽きた人、租界が壊滅して行き場を失った人。自ら艦に乗ることを選んだ人もいれば、この艦の中にしか居場所がない人もいる」
農業が好きな人、本が好きな人、飛ぶことが好きな人――――様々な人たちが共通の目的のもとに集まっているのが、スパルヴィエロという艦であり、『街』なのだ。
「人生を選べるっていうのは、それだけで幸せなことなのよ。私たち特務航空隊にとってペトラちゃんは大事な戦力であり、大切な友人でもある。私はペトラちゃんに自分の人生を選べる幸せを享受してもらいたいの」
「……大尉がおっしゃることは分かりました。つまり『結婚相手を決めてやるなんて横暴だ!』ってことですよね。でも分からないことが」
「何かしら」
「何で私なんです? 男装なら隊長とかスサンナさんのほうが似合いそうなのに」
「ペトラちゃんのご指名だからよ。キャシーもスサンナも、レジーナ工廠には顔が割れているし。私は私で、会長と話したいこともあるしね」
「私に拒否権は?」
「断らないでくれると、上官命令を使わないで済むわ」
「さっき『人生を選べるのは幸せなこと』とか言ってたのに!」
「大丈夫よ。これは任務。あくまで任務なの。藤乃ちゃんはちょっとの間だけ、男の子になってペトラちゃんの恋人になりきればいいだけなのよ。ペトラちゃんだって本気で藤乃ちゃんと結婚したいわけじゃないわ。……たぶん」
「『たぶん』って何ですか『たぶん』って! 怖い!」
青ざめる藤乃に対して、イングリットは口元に手を当てて上品に笑っていた。
「藤乃ちゃーんっ」
笑顔で向かってくるペトラ。藤乃のイングリットは話をやめ、ペトラが持っている衣服に視線を向けた。
「次、これ着てみてよっ!」
ペトラがでかでかと藤乃に見せつけたのは、もこもこしたウール地の、羊を模した着ぐるみパジャマであった。
「なにそれ⁉」
「絶対似合うよ!」
「アタシはこっちのほうがいいとおもうなぁ」
続いて現れたリンファが手にしているのもやはり着ぐるみパジャマである。こちらは鹿を模したものらしく、フードには真っ赤な鼻とつぶらな瞳、そして縫い付けられた二本の立派な角が生えている。
「藤乃ちゃんはどっちがいい?」
「どっちもイヤですよ! というか今日は『男っぽい服』を選びに来たんでしょう⁉ それのどこが男っぽいんですか!」
「いえ、あれは男物だわ」
イングリットは藤乃とは対照的に冷静である。
「あの巻いた角と枝分かれした角、それぞれヒツジと鹿のオスの角の特徴だもの」
「いや、元の動物とか関係ないでしょ……」
「流石イングリットさん、分かってるぅ! じゃあ藤乃ちゃん、着てみよっか!」
一秒にも満たない間逡巡し、藤乃は観念した。ペトラとリンファから着ぐるみパジャマをひったくると、そのまま試着室のカーテンをぴしゃりと閉める。
これ以上抵抗しても無駄なことは藤乃が一番分かっている。三対一では勝ち目などあるはずもなく、逆らえば藤乃は組み伏せられて無理やりに着替えさせられるだろう。辱めを受けないためには藤乃は黙ってペトラたちの着せ替え人形に徹するしか道はないのだ。
長いものには巻かれるのが藤乃の主義である。藤乃はいやいやながらも着ぐるみパジャマの袖に細い腕を通す。




