③
藤乃が目を覚ますと、視界には星空が広がっていた。
人口が減り、雲も明かりも少なくなった現代では人類文明の絶頂期よりもかなりよく星が見える。しかし、ほとんどドームの暗闇の中で暮らして来た現生人類には、その美しさを愛でる機会もほとんどない。
藤乃は視界いっぱいに砂糖菓子のごとくちりばめられた星の光に、自分は天国へ来たのに違いないと確信した。一面の星の海、静かに打ち返す波の音。そして背中に感じる柔らかくて暖かい砂浜の感触。水爆の爆発に巻き込まれ、藤乃は死んだのだ。
「気が付いたようだな」
隣で声がする。むくりと起き上がった藤乃の隣に、スサンナが腰を下ろしていた。
なぜか肌着姿で、腰には海藻か何かのような、黒いちりぢりの布をスカートのように巻き付けている。まっすぐ海の彼方を見つめるスサンナの横顔が、星明かりに照らされて青白く輝いていた。
「あ、もしかしてスサンナさんも……」
「残念だったなヒヨッコ。ここは死後の世界などではないぞ」
藤乃は周囲を見回した。
砂浜、ヤシの木、打ち捨てられた貝殻。ぼんやりしていた視界がハッキリしてくると、藤乃は自分の様子もはっきり見えるようになってきた。
足が生えている。ぱたぱたと動かしてみると藤乃の足はいつも通りに動き、自分で頬をつねってみれば、鋭い痛みはここが現実であることを訴えてきた。
爆発の瞬間。海に飛び込んだ藤乃とスサンナは水爆の爆風と閃光、そして放射線から逃れることができた。その後気を失ってしまった藤乃は、スサンナにこの島まで引き上げられたのだ。
「こんなこともあろうかと、私はシェルヴールに放射線防護機構を備えていた」
スサンナは自分のシェルヴールに独自の改造を施していた。普段は軍服の姿、変形させれば装甲や兵器になるそれを、放射線防護高密度繊維として繭のように自身を覆うことで、晒される放射線から自身を守るのだ。
幸い、純粋水爆は放散する放射性物質の残留性が低く、爆発後の数分間を防げば被曝による健康被害はかなり低減できる。加えて、海水が有害な中性子線から二人を守ったことで、放射線防御はスサンナの想定以上に上手くいった。しかし放射線防護繭と化したMiG-29Kは元に戻らず、ちりぢりの布切れのようにボロボロになってしまって、今はその残骸がスサンナの腰に巻き付いている。
「これでは飛行機能の回復は望めない」
スサンナは自分の腰布――――藤乃とスサンナの二人を守って果てた愛機の残骸を指で撫でた。
「お前のほうはどうだ?」
「こっちもダメみたいです」
藤乃はバッジをひねってみたがシェルヴールが起動する様子はない。外傷はなく形こそほぼ完全に残ってはいるが、完全にエネルギー切れを起こしたのか、あるいは爆発や海面に着水した拍子に故障したのか、変形させなくても使えるはずの通信機能や航法機能も使用できない。
「なに、心配はいらんさ。直に助けが来る」
「そうでしょうか……だって私たち、隊長の命令を無視したわけですし」
隊長のキャサリンは作戦の失敗を宣言し、藤乃とスサンナに帰投を命じていた。それを無理やりに続行したのはスサンナたちの方である。いくら航空隊がゆるい組織でも、命令無視をして行方不明になった軍人をわざわざ救助に来ることなどあるのだろうか。
「お前はあのアメ公を分かっていないな。あいつは隊長としては二流、三流、いやそれ以下だが、仲間のことは決して見捨てない。命令違反だろうが何だろうが、立場を捨てても絶対に助けにくる。そういうやつだ」
「……意外です」
「何がだ」
「てっきりスサンナさんは隊長のこと嫌いなのかと」
「嫌いだぞ。あいつは人類最後の砦、スパルヴィエロの特務航空隊の長を任されていながら、ジャガイモ栽培なぞにうつつを抜かしているふざけた女だ。訓練生だったころは模擬戦ではいつも手を抜き、座学はいつも最下位だった。スパルヴィエロにいながら、いつも故郷の水耕栽培プラントの話ばかりする。我々が負ければ人類に未来が無くなるというのに、いつもヘラヘラして、隊長らしい威厳も、自分たちが人類を守る最後の盾であるという緊張感もまるで持っていない」
キャサリンのことを痛烈に批判するスサンナであったが、その表情は少し緩んでいた。
これではまるで想い人のことを想像している恋する乙女である。
「……だが、私はあいつのことを隊長として認めている。能力はないが、不思議と惹かれるものがある。また我々航空隊の中から隊長を新たに決めてくれと言われても、私はあいつを隊長に推薦するだろうな」
「いや、メチャクチャ大好きじゃないですか。隊長のこと」
「嫌いだと言ってるだろうが!」
スサンナは藤乃にゲンコツを見舞った。
「痛ッ! なにもこんな状況で殴らなくても!」
「生意気なことを言うからだ、ヒヨッコの分際で」
何がどう生意気だというんだ、と藤乃は心の中でスサンナの理不尽な暴力に不満をもらした。どう考えても、スサンナがキャサリンに恋をしているようにしか藤乃には見えないからだ。
今回の任務でスサンナと行動を共にし、藤乃は彼女に対する意識が変わりつつあった。暴力的な言葉や行動をし、任務に対して冷徹なまでに忠実で、シェルヴールを纏い空で戦うことに誇りや使命感を持っている軍人――――それには何の間違いもないのだが、その内面、シェルヴールを脱いだスサンナの姿はただの一人の少女であった。読書を愛し、人に恋をし、来るべき未来に目を輝かせている。シェルヴールを失った今、それに袖を通して使命に目覚めたというよりも、スサンナはシェルヴールで自分を覆い隠し、押さえつけているかのように藤乃には思えた。
「スサンナさん」
「何だ」
「聞きたかったことがあるんです。なんで私を助けたんですか。あのまま私を助けるために戻ってなんかこないで音速飛行で飛んでれば、スパルヴィエロに帰れたでしょう。そっちのほうが絶対合理的じゃないですか」
「言っただろう。お前がこんなところで死んだら、私の寝覚めが悪くなるからだ」
スサンナが背中をドンと叩いたので、藤乃はぐえっと肺の中の空気を吐き出した。
「何より……あいつなら、絶対そうすると思ったんだ。あのアメ公なら、お前を見捨てるような真似は絶対にしない。お前も言っていただろう、作戦の成功のために私を見捨てるような真似はできない、と。私も同じ気持ちだ」
そういって、スサンナは口元を緩めて微笑んだ。星明りの下で見るスサンナの笑顔は、色白の頬にほのかに染まった紅色が美術画のように美しい。
「たまにはあいつの真似をしてみるのも悪くないな。今、藤乃がそうして生きていてくれて、私はとても満たされた気分だよ」
藤乃はスサンナと目を合わせることができなかった。心臓がきゅっと締め付けられるように感じて、顔が熱くなる。
「あのアメ公には夢があるんだそうだ」
「夢?」
「ああ。故郷に水耕栽培ではない、本物のジャガイモ畑を作りたいんだとな。セプテントリオンがいる限り、我々人類はドームの外では暮らせないからな」
ドームの中でも水耕栽培やラン藻類を飼育する食料プラントが稼働している租界もあるが、畑というのは藤乃も聞いたことがない。セプテントリオンが襲来する前は地球全土に渡って各地に広大な土地を耕した農場があったらしいが、今ではそんなものはセプテントリオンの格好の「餌」でしかない。
キャサリンの夢は、セプテントリオンに奪われた空を取り戻し、農園でジャガイモを育てることなのだ。
「……私も、夢を見てもいいのだろうか。空に生き空に死ぬと決めた私でも、あいつみたいに戦争が終わった後を夢見てもいいんだろうか。藤乃、お前はどうだ」
「私ですか?」
「お前にも夢はあるのか。戦争が終わったら、どんな風に生きようとか」
そう聞かれても、藤乃には何も答えることはできなかった。
直近の「夢」といえば、すばるの作ったシェルヴールで飛ぶことである。だがそれは戦争中の話であって、戦争が終わったらどうしようというのは藤乃も考えたことはない。
「うーん、ないですね……今は航空隊で飛ぶのが精一杯で、そんなこと考える余裕がなかったです」
「そうだよな。今の私たちに一番必要なのは、空で戦うことだよな」
「でも、いつか見つけたいです。この戦争が終わったらどうするか」
藤乃は星を見上げた。
星空はどこまでも遠く、どこまでも光り輝いている。石巻のドームが壊されるまでは、存在すら知らなかったどこまでも澄み切った空。それを知った今の藤乃には、その空の果てがどうなっているのか、どこまでも興味は尽きない。
「隊長が言ってたんです。戦うだけが私たちじゃないって。空で戦うことを選んだ私たちも、平和な日常を送ったっていいんだって」
「戦うだけが……か。確かにあいつの言いそうな言葉だな」
そういって、スサンナはわっはっはと笑った。
「あいつの真似をして、私も夢を見てみようかな」
「どんな夢ですか?」
「実はな、私は言語というのに深い興味を持っている。何かを伝え、残す。単なる音や記号の羅列に、人はそこに乗せられた感情を知ることができるんだ。興味深いだろう」
「子供のころは小説家になりたかったとか言ってましたもんね」
「言語学者。それが今の私の夢だ。この戦争が終わったら、大学というものに行ってみたいんだ。言葉の、人の不思議を解明してみたい」
「カッコいいです、スサンナさん」
「だが今すぐ叶えたいのは、あのチェーホフを読むことだな。出撃前に結局買わなかったあの本……思い返せば、読みたいという気持ちも強くなる」
「私も、実は故郷の親友とその子が作るシェルヴールを着て空を飛ぶって約束しているんです。お互い別の道を進んでも、同じ夢をおいかけようって」
「いい夢じゃないか。なら、絶対に生きて帰らないとな、ジャップ!」
「はいっ!」
空に命を懸けると誓った藤乃たち航空隊員でも、夢を見てもいいのだろうか。
既に人類の歴史は最後の1ページに差し掛かっており、このままセプテントリオンを滅ぼしたところで、地球における人類の環境収容力の低下はどうしようもない。藤乃たちの進む先に、人類の未来など存在しないかもしれないのだ。あの、破滅思想を訴えて投獄された教師の言うとおり「地球はもう終わり」なのかもしれない。
しかし、遠い未来を夢見ることが正しいかどうか。その答えはもうここにあった。
明日の戦場は残酷に、そして冷徹に藤乃たちの命を奪うかもしれない。だが、その明日よりもずっと向こうの未来を夢見ることが、藤乃たちに今日を生きる勇気を与えてくれるのだ。
顔を見合わせて笑顔になったスサンナと藤乃。その二人の間を、一筋の光条が貫く。
光の出る根元に視線を向ける二人。その視界に飛び込んできたのは、海面すれすれを低空飛行しながら接近してくるスパルヴィエロの小型揚陸艇と、その舳先に立ち大きく手を振るペトラの姿であった。




