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   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆



「だぁーから勝手に飛ぶなって言ってんだろがっ!」


 帰宅した藤乃を出迎えたのは、養父、碓氷藤孝(ふじたか)のゲンコツであった。

 かつて日本に「航空自衛隊」というものがあったころ、F-35Bのパイロットとして戦ったというこの男は、赤ん坊のときに家族を失い、身寄りのなかった女の子に「藤乃」と名付け、男手一つで育てた齢五十前後の男である。

 日課の飛行訓練を終え、租界外苑の周回飛行タイムを三秒も縮めて意気揚々と帰ってきた藤乃を藤孝は玄関で叱責し始めた。薄暗い玄関の明かりを背にした藤孝は、現実のそれよりもずっと大きく見え、威圧感で藤乃も押しつぶされそうになる。


「またヤツらが出てきたらどーすんだ!」

「でもさ、セプテントリオンって通信波にしか反応しないんだって学校で聞いたよ」

「そういうことじゃ、ねぇ!」


 ゴツン、と藤孝の拳がまたも藤乃の脳天を襲った。


「またヤツらが来たら、誰がお前を助けにいくんだって言ってんだよ!」

「助けなんていらないよ。そのためにT2を改造したんだから」

「なぁにぃ?」

「エンジン出力も、アビオニクスも。学校の友達に手伝ってもらって、基本性能を十パーセントくらい向上したんだよ。先生も褒めてくれたし。このスペックなら、セプテントリオンくらい簡単に振り切れるよ」

「お前……ちょっと来いッ」

「うわ、何するの」


 藤乃の襟を掴んだ藤孝は、藤乃を引きずるようにして居間まで連れていった。


「座れ」


 座布団の上に放り投げられた藤乃は、養父のただならぬ雰囲気におののき、反射的に姿勢を正した。藤乃に身に覚えはないが、藤孝が藤乃のしたことにそうとう腹を立てているのは分かる。こういうときにはとりあえず謝っておくのが藤乃のスタンスであった。


「お前はなんで空、飛ぶんだ」


 怒号が飛ぶかと身構え、謝罪の言葉を考えていた藤乃は拍子抜けした。


「答えろ藤乃。お前はなんで空を飛ぶ?」

「楽しいから、かな。分かるでしょ」


 居間には藤孝の若いころの写真が飾られている。どこかの飛行場で、愛機のF-35Bと撮った写真だと藤乃は何度も聞かされていた。写真の中の藤孝は今の頑固親父と同一人物とは思えないほど笑顔の眩しいさわやかなイケメンである。退役した今でも、戦闘機乗りであった頃のことを思い出している藤孝は、どこか楽しそうであった。


 風に乗る。


 切るのではない。あくまで、風に『乗せてもらう』のだ。人間の技術がどんなに進歩しても、結局は自然の力なしには人は空を飛べないのである。

 でも、そんな不自由さが藤乃にとってはたまらない快感になっている。T2で飛ぶようになってから、藤孝の言っていた言葉がなんとなく分かってきたような気がしていた。


「分かるよね、空を飛ぶことがどんなに気持ちいいのか。おじさんパイロットだったんでしょ」

「藤乃……お前は何も分かっちゃいねぇ」

「え?」

「いいか。空を飛ぶってのはな、楽しいことばっかりじゃねぇんだ。お前もいつか、空が怖くなる日が来る。あの何もない、透き通るみてぇな青空を見ていられねぇようになる。その時に――――」

「またその話? 大丈夫だって。私別に防衛軍には入らないし」


 防衛軍、とはセプテントリオンとの戦いで壊滅した陸海空自衛隊を再編成した、租界地を守るための軍隊である。


「趣味なの、飛ぶのが。おじさんの思ってるような危ないことなんて、何にも起こらないから。大丈夫だよ」

「そういうことじゃ……!」

「じゃ、この話は終わりっ! 夕飯にしよ」


 藤乃は話を強引に切り上げて、座っていた座布団から立ち上がった。

 セプテントリオンの襲撃でコンパウンドプラントが機能停止し、この三日ほど一食分の食料コンパウンドを三等分して食べる日々が続いていた。今日は午後になってようやくそのプラントの稼動が再開し、藤乃にとっては久しぶりの「満足な食事」が取れる夕飯であった。

 台所に向かった藤乃は冷蔵庫から食料コンパウンドを取り出した。真空包装された、手の平大で深緑色をした直方体の半固形ペースト、それが食料コンパウンドだ。一日三個食べれば必要最低限の栄養素は取れる、味は美味くもないが不味くもない、租界に暮らす現代人の主食である。セプテントリオン襲来以前の暮らしを知っている藤孝はそれを「羊羹」に例えていたが、藤乃は物心つくころからこの食料コンパウンド以外の食品を見たことがない。

 藤孝はこれを包丁で一口大に切り、箸で食すことを藤乃に強要していた。そのまま齧って何がいけないのかと藤乃は疑問に思ったこともあったが、藤孝は昔ながらの頑固親父といった男だったので、藤乃も家にいる間はそれに従っている。


「いいか藤乃。空を飛ぶってのはなぁ」

「もうその話は終わりって言ったじゃん。いつもは黙って喰えって言うくせに」


 むう、と藤孝が顔のパーツを集めたようなくしゃっとした顔になる。

 藤孝は頑固親父ではあるが、理不尽な男ではない。成長し口が達者になった藤乃にとって、彼を言い負かすのはそれほど難しいことではなかった。


「……とにかく、だ。もう飛ぶなとは言わねぇ。だが飛ぶときは俺に一言言ってからにしてくれ。燃料だって、昔のよしみで安く譲ってもらってはいるがタダじゃねぇんだ」

「じゃあ今のうちに言っとくね。明日も飛ぶんだよ私」

「どこでだ」

「『戦技教導航空隊』って知ってる? あの試験が明日あるんだ。ドームの外で」

「『戦技教導航空隊』って、お前……」

「その試験にパスすれば、私はそのテストパイロットになれるし今手伝ってくれてる子たちもみんなエンジニアとして採用してもらえる。給料も出るんだよ」

「お前、防衛軍には入らねぇって」

「防衛軍は防衛軍だけどさ、戦場を飛ぶわけじゃないんだ。ドームの中で、シェルヴールの開発とか改造とかの仕事をするだけだよ。危ないことなんて何にもないんだから」


 そう言いながら、藤乃は食料コンパウンドの最後の一切れを口の中へ放り込んだ。

 舌の上で、完全には潰されていない珪藻がころがってぷちぷちと弾ける。味付けも淡白な食料コンパウンドでは、この珪藻の食感くらいしか楽しみがない。


「それじゃ明日も早いから。おやすみー」


 コンパウンドを乗せていた皿を流しへ放り込み、藤乃はまだ何か話したげな藤孝を居間に置き去りにして自分の部屋に向かうと、そのまま布団にもぐりこんだ。


 空を飛ぶことを禁止されたら。

 あの透き通るような青空の中、風に乗って飛ぶこと禁止されたら。藤乃の人生の楽しみはあの珪藻の食感くらいのものだけになってしまうだろう。

 そんなのはイヤだ。藤乃は頭まですっぽりと布団を被った。

 多くは望まない。ほんの少しでいい。生きていさえすればそれで――――それが租界地に暮らす現代人の一般的な生き方である。だが、一度『外』を、本物の空を見てしまった藤乃が、その魅力に抗うのは難しかった。


 空を舞う天使は、地上に降りて暮らすことはできないのだ。


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