②
スサンナを追うセプテントリオンに藤乃がミサイルを撃ち込むと、それに気づいたスサンナが視線だけを後ろに向けた。
「スサンナさん!」
『バカ、何で着いてきた!』
レーザー通信を繋いだ藤乃に、スサンナは開口一番に暴言を飛ばした。
『貴様はさっさとスパルヴィエロに帰れ!』
「ダメです。北太平洋艦隊は水爆を使うらしいんです。弾頭を直接起爆すれば、水爆の爆発に巻き込まれちゃいますよ!」
『……そうか』
「はい。スサンナさん、一緒に帰りましょう」
『いや、私はこのまま島へ向かう。貴様は帰れ』
「えっ⁉」
スサンナは、このまま行けば水爆の爆発に巻き込まれることを知ってなお、その進路を変えることはない。
『この作戦、失敗するわけにはいかないんだ。どんな危険を冒しても、必ず成功させなければ。そうでなければ、私がここにいる意味がない』
「そんなのダメですってば!」
『案ずるな。特装弾を起爆した後、一気に加速して超音速巡航すれば衝撃波や放射線の危険域から脱出できるはずだ』
「じゃあ……私も行きます」
『何をいうかヒヨッコめ。貴様は帰れと言ったはずだぞ』
「一人で行くより二人で行ったほうが、成功の可能性は高められるはずです。それに、私は作戦の成功のためにスサンナさんを見捨てるような真似、絶対に出来ません」
『バカが……そこまで言うなら着いてこい。だが必ず私の命令に従え。いいな?』
「はいっ!」
藤乃はさらに加速してスサンナの後ろにつき、ウナラスカ島の「巣」に向けて降下していった。
巣に張り巡らされた糸は、離れたところでは薄雲のように、近づいてみれば複雑に絡み合った蜘蛛の巣か、あるいは蚕の繭のようにも見える。その盛り上がった巣の中腹付近に突き刺さったミサイルが一基。キャサリンが撃ち込んだ、特装弾頭を搭載したフェニックスである。
ミサイル本体がほぼ完全に残っている。不発弾として突き刺さっただけで終わったフェニックスには巣の糸が絡み始めていた。有機物を貪欲に食らうセプテントリオンが、今度は無機物のそれすらも取り込もうとしているのだろうかと、藤乃は不気味に感じた。
「私は機関砲で弾頭の爆破を試みる。貴様は援護を頼む。ヒヨッコ、対空ミサイルはあと何発ある?」
「五発あります」
「煙が出たら全部撃ち尽くせ。退路を作り、機体を軽くするんだ」
「了解です」
そこで藤乃とスサンナは別れ、スサンナはさらに突き刺さったままの不発弾へと接近すべく高度を下げていった。藤乃は身を翻し、スサンナに背を向けるようにして周囲を飛び回るセプテントリオンたちに対峙する。
右往左往していたセプテントリオンたちも徐々に落ち着きを取り戻しつつある。藤乃やスサンナを認識して接近してくるセプテントリオンを、藤乃は機関砲で迎撃した。
テディベア似の、カールした毛を持つファンシーな見た目のセプテントリオン。それが機関砲の弾で粉々に粉砕されてぐちゃぐちゃの糸クズになって墜落していく。
これだけの密度で飛び回るセプテントリオンを、戦闘を避けてアフターバーナーまで使った最大速度でまっすぐ突っ切るのはおそらく不可能だろう。仮にスサンナが起爆に成功していても、藤乃が来なければ空域からの離脱は不可能に近かった。藤乃が機関砲で二十数体目のセプテントリオンを迎撃したところで、スサンナは弾頭に発砲、その発煙弾頭を破壊した。
「いまだ、ヒヨッコ!」
「はいっ!」
藤乃のヘッドギア、網膜投影ディスプレイに照準が表示される。セプテントリオンの群れを貫くまっすぐの「道」を作るように思考制御で照準を操作し、藤乃は残っていたミサイルを一斉に発射した。
ふわふわもこもこのテディベアが群れた羊ならば、放たれるミサイルはそれを狩る狼の群れである。人間を食らうセプテントリオンを、今この場では人間の兵器が狩り返している。
「離れるぞ」
藤乃が作った道を、スサンナはまっすぐ飛び出した。背中に背負ったエンジンにアフターバーナーが点火され、さらに加速していく。藤乃もそれを追って速度を上げ、アフターバーナーに点火した。
顔に吹き付ける風が強くなる。周囲を飛び回るセプテントリオンが凄まじい勢いで視界の後方へと飛んで行く。進行方向に進入したセプテントリオンがいたが、シェルヴールの表面を流れる気流に引きちぎられて後ろへと飛んで行った。
分厚い空気の壁を無理くりにエンジン出力を上げて突破すれば、そこは超音速の世界である。ゴウゴウと藤乃の耳元で吹いていた風もすべて後方へ飛び去り、シェルヴールのエンジンとぶつかる気流の振動だけが伝わる無音の世界だ。
見れば、藤乃の左前方を飛ぶスサンナのMiG-29Kがヴェイパーコーンを纏っている。空気の壁を斬り裂いた翼が作りだす断熱膨張が、空気中の水蒸気を凝結させる。遷音速飛行する航空機が作る、特徴的な雲だ。
白いヴェイパーコーンは、人間がそれを纏うとまるで純白のドレスのようである。藤乃はそれに見とれて、網膜投影ディスプレイに表示された異常に気付くのが遅れた。
ばすっ、とガスが抜けるような音がして、藤乃のF-4EJは急激にその飛行速度を低下させた。アフターバーナーが突然消えたのだ。
空気の壁が迫ってくる。前からではなく、後ろから。アフターバーナーに続いてジェットエンジンも停止し、藤乃は風の壁に追い付かれ、そしてバランスを崩した。
遷音速の世界から急に引き戻され、風を掴むことに失敗した藤乃は体勢を立て直す暇もなく、きりもみ回転しながら高度を下げていく。
燃料が切れたのだ。一度スサンナを置いて帰ろうとしたが、途中から彼女を連れ戻そうと戦闘空域に戻ったのが仇となった。キャサリンと別れた後、通常飛行で向かっていたならまだ余裕もあっただろうが、藤乃はできるだけ早く戻ろうとその時にアフターバーナーを使用してしまっていた。
藤乃が海面すれすれでなんとか体勢を立て直し、そのまま海面に軟着水したときには、スサンナの姿はもう見えなくなっていた。
スサンナは藤乃のように無計画にアフターバーナーを使っていたりはしない。弾頭の起爆後にスパルヴィエロまで帰る計算であったスサンナは、燃料に余裕を持たせていたのだ。藤乃は敵も味方もだれもいなくなった空を、海面にぷかぷか浮きながら見上げて、あぁと諦めの声を漏らした。
空高く、十数本の飛行機雲が走っている。北太平洋艦隊の放ったミサイルだ。
その中には、セプテントリオンの巣を塵一つ残らず消滅させられるだけの威力をもった水爆が搭載されている。藤乃が振り返ると、ウナラスカ島が水平面に少しだけ顔を覗かせて見えている。数分の飛行で爆発圏内からの脱出には成功した藤乃であったが、この距離では爆発後に襲い来る放射線被曝は免れない。
失敗した――――藤乃は自身の無鉄砲さを呪った。スサンナを救いたい一心で、藤乃はつい自分の生存を後回しにしてしまっていた。
だが、不思議と不快な気はしない。少なくとも、スサンナを救うという目的は果たしたのだ。彼女に水爆のことを伝え、そしてセプテントリオンに支配された空域からの脱出を支援することができた。
力が抜ける。海水は真水よりも比重が大きく、藤乃を浮かせるのに十分な浮力を生んでいた。変形が解けて軍服の姿に戻ったシェルヴールを纏いながら、藤乃は両腕を広げて海水に浮かぶのに自分の体を任せていた。
ああ、これで死ぬんだ。藤乃は目を閉じた。命を粗末にするなとあれだけ言われたのにな。すばるとも約束したのにな――――淡々と、自分のこれまでを振り返り始めた藤乃の耳に飛び込んできたのは、キューンと甲高いジェット機の音であった。
「おい、ヒヨッコ!」
聞き覚えのある声に藤乃は目を開けた。体を起こして立ち泳ぎを始めた藤乃の視界に映ったのは、海面すれすれを飛びながら近づいてくるスサンナであった。
「手をッ!」
反射的に、藤乃は手を上げてしまう。スサンナは藤乃に近づくとその腕をつかみ、大推力で海面から藤乃を空へと引っこ抜いた。
「え、えっ?」
「しっかり掴まっていろよ!」
スサンナは藤乃の腕を引っ張り上げ、そのまま抱きかかえるような姿勢で飛び始めた。
しかし残り燃料も少ないシェルヴール一機の推力と揚力で二人を運ぶのは難しく、次第に高度も下がっていく。
「置いていってください! このままじゃスサンナさんまで……!」
「一丁前なことを言うな! ヒヨッコならもっとなりふり構わずピーピー泣いておけ! 貴様がこんなところで死んだら、私の寝覚めが悪いだろうが!」
高度を下げたスサンナは進路を急に左へ転回した。スパルヴィエロに帰る航路を外れ、小さな島へと向かっている。
「合図したら瞼を閉じて息を止めろ。いいな」
「はい」
スサンナは島の陰に入ると、藤乃を抱えたままシェルヴールの変形を解いた。
合図に合わせて藤乃は瞼を閉じ、息を止める。
藤乃とスサンナは抱き合ったまま海に落下した。
二人が沈んだ海面の上を、水爆の閃光と爆風がなぞっていく。




