第4話 お別れを言いに①
<あらすじ>
航空母艦「スパルヴィエロ」の特務航空小隊員として採用された藤乃。
かつて空に憧れを抱くだけだった藤乃は、シェルヴールを使って飛ぶことにさらなる意味を見出そうとする。
そんな藤乃に、藤孝は旧式のシェルヴール「F-4EJ」を与えるのだった。
「のわっ」
航空隊員たちに交じって訓練を始めた藤乃は何もない飛行甲板で前につんのめり、バタンと倒れて鼻を打ち付けた。
絶えず海風に晒されているスパルヴィエロの飛行甲板はほのかに塩味がする。藤乃はその味に顔をしかめ、また打ち付けた鼻に刷り込まれる塩のツンとする痛みにまた顔をしかめた。
「藤乃、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
手を貸してくれた新たな友人、ホアン・リンファは上海租界の出身で、スパルヴィエロの予備航空小隊員を務めている。スパルヴィエロの航空隊に配属された藤乃は自室も移動になり、今はリンファがルームメイトになっている。歳も2つほどリンファが上だったので、こうして訓練のときも藤乃はリンファにいろいろと助けてもらっていた。
「考え事してたでしょ」
「分かっちゃいますか」
飛行甲板からは、遠く微かに陸地が見える。かなり地形は自然形成のそれと変わってしまっていて、ぼこぼこと不自然に削られた断崖の中に、巨大な人工ドームの鋼板が光を反射していた。函館租界地である。
スパルヴィエロの目的地であり、すばるや藤孝を含む石巻租界の避難民はそこで降り、藤乃は船に残るのだ。戦場を飛ぶことになる藤乃は、故郷の家族や友人たちとはそれが今生の別れになるかもしれない。
「みんなとはもうお別れなんだなって思うと、ちょっと寂しくて」
「そうねー」
「こらァ! 何をサボってる!」
予備小隊員+藤乃の訓練を任された教官、航空小隊正隊員のスサンナにどやされ、藤乃とリンファはランニングを再開した。
「藤乃」リンファは走りながらスサンナに聞こえないような小さな声で話しかけてきた。「藤乃の気持ち、ちょっと分かるよ。アタシも故郷を離れたときはそうだったし」
故郷を離れたときは栄転だったとリンファは語っていた。防衛隊に所属し優秀な成績を収め、租界の代表として皆に見送られてスパルヴィエロに乗ったのだという。故郷が壊滅し、戦闘のどさくさでシェルヴールを受領し、なし崩し的に航空小隊に入ることとなった藤乃とは入隊の経緯が全く違う。
だが、故郷を離れ独りになる寂しさに差異があるわけではない。まだ個人用のシェルヴールが与えられていないリンファであっても、スパルヴィエロに乗っている以上いつ戦場で命を落とすか分からない。故郷の友人や親族にいつ再会できるかも分からないのだ。
「でもね藤乃。アタシは自分の意思でこの船に残ってる。予備隊員になったけど結局故郷に帰った子だって何人も知ってる。でも、今アタシのいるべき場所はここなんだって思うから」
「リンファさんは強いなぁ」
「そんなことないよ。地球上、どこにいたって空は繋がってるんだ。今日アタシたちが守る空は、故郷の家族のいる空と繋がってる。だからアタシは飛ぶんだ。今日戦うことが、遠く離れた故郷を守ることになるって信じてるから」
リンファの言葉を聞き、藤乃は自分が急に恥ずかしくなった。「飛べる自分にはできることがある」と飛び出した藤乃だったが、肝心の「できること」が具体的に何なのかはまだ分かっていない。なし崩し的に航空小隊に入隊した藤乃は予備隊員に交じって正隊員になるための訓練を受けさせられているし、戦場を飛んだといっても、やったことといえば前線で戦う部隊との通信中継のために飛んでいただけで、敵と交戦したわけではない。
藤乃はまだ、自分の為すべきことを見つけられていないのだ。
「ふーじーのーちゃーんっ!」
聞き覚えのある馴れ馴れしい声が後ろから聞こえたと思ったら、突然藤乃の背中に重いものがのしかかってきた。バランスを崩してよろめくが、藤乃はなんとか体勢を戻す。
ペトラである。藤乃よりも頭二つ分ほど背の高いペトラはまるで大型犬のような人懐っこさで藤乃に突然後ろからハグをかけてきた。しかしペトラにとってのハグは藤乃にとってはヘッドロックと同義である。べたべたしてくるペトラが暑苦しいやら甘い香りがするやら、藤乃はぐるぐるする頭でなんとかランニングを続けていた。
「藤乃ちゃん、藤乃ちゃん」
「おいペトラ! 貴様何をやっているか! 訓練の邪魔だぞ!」
スサンナが走ってきてペトラを藤乃から引きはがした。
「貴様、今の時間は連絡室待機のはずだろうが。なぜここにいる」
「だって暇なんだもーん」
「アメ公はどこへ行ったのだ。お前と二人で待機ではないのか」
「隊長なら、なんか外せない用事があるってどっか行っちゃったんだよ」
「クソッ! あいつめ! 私にヒヨッコの世話をさせて自分はサボる気だな! 今日という今日は絶対に許さんッ!」
スサンナが飛行甲板を艦橋に向けて駆け抜けていく。藤乃を含むランニング中の予備隊員たちはみなランニングを止め、これで少し休憩ができるとばかりにそれぞれ飛行甲板に腰を下ろし始めた。
「藤乃ちゃんに会えなくてさみしかったよーぅ」
「ペトラ……って、まさかあの、ペトラ・ニヴァル・レジーナ少尉ですか!」
リンファがペトラの名を叫ぶと、予備隊員たちの表情が一瞬にして硬直し、その視線が一斉にペトラ(とそれに密着されている藤乃)に注がれた。座り込んでいた隊員たちは皆立ち上がり、姿勢を正して敬礼を始める。
「お、お会いできて光栄です、少尉!」
「いいのいいの、硬くならないでー。今は同じスパルヴィエロの仲間なんだからさ」
「しかしですね……」
「え、ペトラさんって偉い人なんですか?」
「ちょっ、藤乃! なんてこというの!」リンファは冷や汗を垂らしている。「ペトラさんっていえばレジーナ工廠のご令嬢で、テストパイロットとして何十ってシェルヴールで飛んできた全航空小隊員の憧れの的なんだよ!」
「へー」
『これ』がねぇ、と藤乃は言いかけたが、流石にその言葉はなんとか口の奥にとどめておいた。ペトラと仲がいいだけでも悪意を向けられそうなこの状況で、ペトラを蔑むような表現はいらないトラブルを招きそうである。
「ははー。バレちゃったか。もうちょっと秘密にしておきたかったんだけどなぁ」
「あ、あのっ!」
予備隊員の一人が敬礼のポーズのまま歩み出る。
「あ、握手、してもらってもいいですか!」
「いいよー」
ペトラが握手に応じると、予備隊員から「ずるい!」や「私も!」の声がこぼれる。当の握手をしてもらった隊員はペトラが手を解くと感激のあまりにそのばにヘナヘナと腰が砕けてへたり込んでしまった。
いくら憧れの的といっても騒ぎすぎではないかと藤乃は思ったが、ペトラの人気は本物らしい。予備隊員全員と握手を交わし、ペトラは彼女らと「ちょっと藤乃ちゃん借りてくねー」「どうぞどうぞ」のやり取りをして、訓練途中だったはずの藤乃の手を引いて予備隊員たちから離れていった。




