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第3話 戻れなかったらどうしよう。

2.


 何か元に戻れる方法があるはずだ。


 縁は奥の部屋で必死の本棚や押し入れをあさる。


 このまま戻れなかったら? 

 そう考えると、焦りで心がどうにかなりそうになる。


 何より夏休みに入る直前から付き合い始めた、苑の反応が気にかかった。




 苑はこの地方では生き神として敬われている、九伊本家の一人娘だ。


 縁が今住んでいる寡室の家は、九伊本家の広大な敷地の中にある。


「九伊の一族の神女であり、実質的にはお抱え娼妓」という風習が無くなった後も、九伊本家はずっと寡室家の面倒を見ている。

 過去から連綿と続いた歴史の罪滅ぼしなのだろうと、結は言っていた。



 同じ敷地内に住んでいる同い年の子供、ということもあって、縁と苑は幼馴染だった。


 子供のときはほとんど一緒におり、苑が縁の家に遊びに来たときは朝から晩まで夜寝るときまで一緒にいた。離れがたい片割れのような存在だった。


 成長するにつれて周りの目が気になるようになり、何より幼いころから自分の中に育まれ抑えがたいほど成長している苑に対する想いを見透かされるような気がして、縁は苑から離れた。


 わざと苑の存在を無視し、忘れたかのように振る舞った。

 だが、本当はどこにいても苑のことばかり考えていた。どれだけ他の人間と一緒にいても、苑がいないことによる寂しさや不安、自分という存在の不安定さは埋まらなかった。


 中学時代、苑から離れたことを何度も後悔したが、どうしても戻るきっかけを掴むことが出来なかった。

 何も言わず、突然、側から離れて空気のように扱うようになり、苑のほうから話しかけたり近づきたそうな雰囲気を、全て無視していたのだ。


 許してくれるはずがない。そう思っていた。



 だから高校生になってから、共通の幼友達を介して苑ともう一度話せるようになったときは、夢のような心地がした。

 中学時代、ずっと無視していたにも関わらず、苑はいつも一緒にいた子供のときと同じように、縁の素直ではない態度を穏やかに受け入れてくれた。


「良かった、縁ともう一度、こういう風に話したかったの」


 苑の嬉しそうな笑顔に励まされて、夏休みに入る直前の二週間前に、ついに告白することが出来たのだ。

 ここ半月、背中に羽が生えたかのような幸福感でいっぱいだった。



 それなのに、何故こんなことになったのか。


 もし男に戻れなかったら、苑は女の自分でも受け入れてくれるだろうか?

 別れる、と言い出さないだろうか?


 そう思うと不安で居ても立ってもいられない。


 何とか苑に気付かれないうちに、元に戻る方法を見つけなければ、そう思い縁は家中を探し回り続けた。




3.


 夜明けまで家の中を探し回ったが、男に戻る方法が書かれた文献はなかった。


 一晩寝て起きたら、元の体に戻っているかもしれない。

 一縷の希望を抱いて寝床についたが、昼近くの時間に起きても女の体のままだった。


 男の体についているはずのモノがない股間はバランスが悪く落ち着かず、逆に胸が膨らんでいるため、油断するとすぐに前のめりになる。

 男と女では体の重心の位置が違うんだな、と現実逃避のような、いやむしろ現実に適応したようなことを縁はぼんやりと考えていた。



 昨日ひと晩かけて探しても何も見つからなかった。


 後は事情が詳しい人間に話を聞くぐらいしか、方法が思いつかない。

 寡室の家は結と縁の親子しかいないので、聞くとすれば九伊家の人間しかいない。しかしそれでは苑に話が漏れるのでは、と縁の思考はぐるぐると回り続ける。


 その時軽快な足音が聞こえ、二階のリビングに結が顔を出した。


「縁」

「何だよ」


 母親の弾んだ声に縁はテラスに面した場所に置かれた籐の椅子に座ったまま、振り向きもせず面倒臭そうに答える。

 普段ならば声を尖らせる結だが、今日は浮き立った声のまま言葉を続けた。


「苑ちゃんが来たわよ」


 縁はギョッとして振り返る。


「アホ! 追い返せ! お、俺は病気だ、寝込んでいる!」

「え~、もういるけど」


 結の不満そうな声に応えるかのように、苑が二階の入り口からおずおずと顔を覗かせた。

 縁は振り返った姿勢のまま、瞬時に石のように体を硬直させる。


 結は息子の様子など気付いた風もなく、顔を喜びで上気させて言う。


「苑ちゃんね、お昼を作って来てくれたの。ありがとう、苑ちゃん。おばさん、苑ちゃんのご飯が大好きなの!」


 結は満面の笑みで苑を抱き締める。



 結は、昔から苑のことを気に入っている。

 気に入っている、というよりは、縁の目から見ると「懐いている」。自分とそっくりな母親が苑にまとわりつき甘えている姿を見ると、ひどく微妙な気持ちになる。


 縁はそれ以上声を出さないように、必死に身振りで苑と一緒に下へ行くように合図する。


 結は息子の様子を見て、「任せて」という顔をして軽く片目をつぶった。

 苑の小柄な体を、優しく縁のほうへ押し出す。


「ふふっ、邪魔者は退散するわ。ごゆっくり~」

(ふざけんな! ババア!)


 喉まで出かかった言葉を、縁はかろうじて飲み込む。

 言葉よりも表情が「そうではない」と雄弁に語っていると思ったが、結はむしろ満足そうな顔をしていた。縁に向けられた顔は、「あんたはこんなに心得た母親を持って幸せよ~。感謝しなさいよ」と語っていた。


 慌てて母親を引き止めようと立ち上がった縁は、苑の視線を感じた。



 苑は小柄で優しい顔立ちをしている。

 穏やかで必要なこと以外は余り話さないので内気で大人しいと見られがちだが、内面は強い意思を持っていることを縁は知っている。自分にとって重要だと思う事柄については、縁が知っている誰よりも頑固にこだわる。

 苑の物静かな眼差しにじっと見つめられると、心の奥底まで覗きこまれるような気持ちになる。


 縁は力が抜けたように、籐で編まれた長椅子に座り込んだ。

 苑は縁の隣りに腰掛け、その顔を覗きこむ。


「縁、何かあったの?」


 優しく温かい声だ。

 苑はどんな時も、縁に対しては辛抱強く優しい。

 結など苑に「苑ちゃん、縁のことそんなに甘やかさなくいいわよ」というくらいだ。


 声を出せずに黙っている縁を見て、苑はうつむいた。


「私……、気付かないうちに、何か縁の気に触るようなことをしたかしら?」


 沈んだような顔をする苑の顔を見て、縁は激しく首を振る。

 苑は半ば不安そうな半ば心配そうな眼差しで、縁の顔を見つめた。


「縁……私と付き合ったこと……後悔している?」

「ち、ちが……」


 思わず声が出た。


「……違うっ。後悔なんて……していない!」


 縁の声を聞いた瞬間、苑は目を丸くする。


「縁……声が……?」

「……苑」


 縁は表情を見られないように顔を背けたまま、呟いた。


「……俺……女になった、かもしれない……」



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