08 がーるず・いけめないずど!
「百花ちゃん、私をよく見て! 私の方が、本物のソラでしょっ⁉」
「だから違うってばっ! どう見たって私の方が、喋り方とかクセとか、百花ちゃんの知ってる私だよね⁉」
ふ……。
「ああもうっ! 百花ちゃん、もういいから、とりあえずここから逃げよう⁉ こんなやつと一緒にいるなんて、危ないよっ!」
「はぁぁ⁉ あんた、そんなこと言って百花ちゃんをまた誘拐するつもりでしょっ⁉ させないからっ! 百花ちゃん、私と一緒に行こう!」
ふふふ……。
鷹月ソラを演じている冥島は、心の奥で、笑いをこらえるのに必死だった。
はい、勝ちー。ボクの勝ち確定ー。
だってさー……今のボクとソラちゃんは、見た目は完璧に同じ。しかもその上、ボクはソラちゃんが今まで経験してきたすべての記憶を持っていて、やろうと思えば、いくらでも本物っぽくモノマネすることが出来るんだよ? じゃあ……今のボクたちのうち、どっちが本物のソラちゃんかを見分けることが出来る人間なんて、この世にいるのかな? いるわけないよねー⁉
しかもしかも……確かイケメン狂いの百花ちゃんって、イケメンが傷つくのがいやなんじゃなかったっけー? イケメンヌイグルミが水に沈んだり、イケメンがパニックになって悲鳴をあげてるだけで、怖くて動けなくなっちゃうんじゃなかったっけー? そーんな残念お嬢様が、このイケメンのボクを、本当に角材で殴ったりできるのかなー? 絶対、無理だよねー? だからもう、ボクの勝ちは動かしようのない事実になっちゃってるんだよねー!
あとは、適当なタイミングで百花ちゃんに近づいて、彼女を始末してしまえば……それで、おしまい。百花ちゃんのためなら命をかけられるくらいに百花ちゃん大好きなソラちゃんが、目の前で百花ちゃんを失ったら……生きる目的をなくして、腑抜けになるに違いないからね。ボクはそのあと、難なくソラちゃんも仕留めることが出来るってわけ。そうやって二人を殺したあとで、その死体を眺めながらパークの終了時間まで待ってから、ボクは悠々とここを立ち去ればいいんだよーん。
……さて、と。
「百花ちゃんっ! 早く逃げようよっ!」
「ダメだよ百花ちゃん! こっちだってばっ!」
「……え? ……えええ?」
二人の「可愛い弟系イケメン」に両側から迫られて、わけが分からない百花。
「い、いったい、何が何やら……?」
ふふふ……。
その「イケメン」のうちの片方が、背後に隠し持っていたナイフに手を伸ばす。しかし、そのことに百花はもちろん、もう片方の「イケメン」も気づかない。
「この偽者っ! いい加減、嘘つくのやめてよっ!」
「そっちこそ、いつまでも嘘ついてないで正体を………………なーんてね」
そして……。
とうとう本性を現した冥島はナイフを取り出し、百花の心臓めがけて、それを素早く動かした。かなりの近距離まで近づかせてしまったことで、百花にはそれを避けることはできない。百花を挟んで反対側にいるソラも、百花の体が目隠しになってしまって、そのナイフに気付くのが一瞬出遅れてしまう。
冥島の奇襲作戦によって絶対不可避となったナイフ攻撃が、百花の心臓に突き立てられてしまったのだ。
……その作戦が、成功していた場合は。
「何かを企んでいるような気はしましたけど……まさか、刃物を隠し持ってたなんて気づかなかったわ。……まったく、危ないわね」
ナイフを繰り出す冥島の右手に対して、百花は落ち着いた表情で角材を叩きこみ、剣道の「小手」の要領で、ナイフを叩き落としてしまった。
「え?」
近過ぎて避けることは出来なかったが、冥島にずっと警戒していた百花ならば、カウンターを決めることはそれほど難しいことではなかったのだ。
全く予想もしてなかったことが起きたことで、頭が回らずに呆然とする冥島。しばらくの間、勢いよく叩き落とされて床を滑っていくナイフを目で追ってしまう。
「……く、くそっ!」
しかし、ようやく我に返り、素手のまま百花に襲い掛かろうとした……のだが。
そんなあからさまな隙を、百花が見逃すはずはなかった。既に彼女は第二撃として、両手で持った角材を使って冥島の顔面に全力の「突き」を繰り出していた。
「うぐわぁぁっー⁉」
醜い絶叫をあげて、後方に吹っ飛ぶ冥島。そのまま受け身も取れずに床に叩きつけられてから、「な、なんで……? も、百花ちゃんは……イケメンのボクを、傷つけられないはずじゃあ……」という言葉を最後に、気を失ってしまったようだった。
百花は、そんな彼をフンッと鼻で笑ってから、
「あなたなんか……ソラと比べたらイケメンでもなんでもないわ」
とつぶやいた。
「百花ちゃん!」
残身――技を決めたあとも、構えて精神統一している状態――をしている百花のもとに、正真正銘本物のソラが駆け寄る。
「だ、大丈夫っ⁉ 怪我はない⁉ ……よ、よかったぁ」
百花の無事を確認すると、それをきっかけにして緊張が解けてしまったらしい。ヘナヘナと、その場に座り込んでしまう。
そんなソラに、視線を向ける百花。ソラの肩や頭が、ブルブルと震えているのが分かる。きっと彼女は、今までずっと恐ろしい殺人鬼への恐怖を我慢していたのだ。その恐怖を乗り越えて、百花を助けるためにここまでやってきてくれたのだ。そんなことを考えているうちに、耐えられないほどに彼女のことがいとおしくなってしまって……。
百花は、自分もしゃがんで目線を合わせると、ソラを抱きしめていた。
「え? あ、あの……も、百花、ちゃん?」
「ソラ、ありがとう。助けに来てくれて」
「で、でも……結局最後は、百花ちゃんに助けてもらっちゃって……」
百花のほうも、実は相当恐怖を感じていた。抱きしめる彼女の心臓が激しい鼓動を繰り返しているのが、抱きしめられているソラにまで伝わってきた。
しかも……。
その鼓動は、既に冥島という脅威が去った今でも、徐々に速く、強くなっているようだ。まるで、百花が今のこの状況に、さっきまでよりももっと強い緊張と興奮を感じているかのように……。
「あいつに捕まって……不安で……怖くて……。このままワタクシは一人ぼっちで、あいつに殺されてしまうんじゃないかって思ってしまって……。でも、そんなときにソラが来てくれた。ありがとう……。本当に、ありがとうね……ソラ。あなたが助けに来てくれて、本当に嬉しかった……。ドアから飛び込んできたあなたを見た瞬間に、ワタクシはもう、何も怖くなくなっていたわ。もう一人ぼっちじゃないって、思えたから……」
「百花、ちゃん……」
優しく、温かい吐息を吐きながら、ソラの耳元で語る百花。
その行動、その言葉の一つ一つには、疑いようのないほどに力強く確かな感情が込められている。ソラには、それが分かった。
これは……愛情だ。
「……」
しかし、それに気づいてしまったからこそ、ソラの表情は冴えなかった。
自分を抱きしめて愛のこもった言葉をかけてくれる百花の目には、今もきっと、本当の自分は見えていない。今の自分は、アシュタの魔法によって「百花の好みの容姿」に変わっている。だから、彼女は自分にこんなふうに接してくれるのだ。
それが分かってしまうから、今のソラの気持ちは、彼女たちがいる小屋の中のように、どんよりとうす暗い闇の中だった。
「当たり前でしょ。ぼくは、いつだって百花ちゃんの味方なんだから。百花ちゃんを守る、王子様なんだから……」
自虐的につぶやくソラのそんな言葉は、うす暗い室内に静かに響き渡っていた。
――――――
ソラと百花が、静かに二人だけの時間を過ごしているうちに……実は、気絶したはずの冥島は復活して、こっそりと小屋を抜け出していた。
「ふう……。全く、ひどい目に合ったね」
小屋を逃げ出して一安心したらしく、余裕ぶって独り言をつぶやく。
「まさか百花ちゃんが、ボクとソラちゃんの二択でボクの方を引き当てるとはね……。あのときどっちがボクだったのかなんて分かるはずはないから、どうせ百花ちゃん、二分の一の確率にかけてマグレ当たりしたんだろうけどさあ……。今日はついてると思ってたんだけど、最後の最後で運がなかったよね」
大して興味がないようにそんなことをつぶやきながら、冥島は出口に向かって歩いていた。
この周辺は、もともと巨大迷路のアトラクション跡地だったこともあり、かなり道が入り組んでいる。そもそも潜伏場所だった小屋だって、適当に逃げ回っていた冥島が、途中で偶然見つけた場所なのだ。だからこそ、本来ならばこんなところまで自分を追ってこれる人間はいない。それこそ、ソラのように魔法でも使って自分の記憶を読むことが出来る人間でもない限りは、見つかるはずはない。
そんな安心感からか、冥島はさして警戒もせずに、その迷路の道を進んでいった。
しかし……、
「見つけたわよっ!」
「え?」
そこで彼は、会うはずがない自分の追跡者と、出会ってしまった。
「もう、逃がさないわっ! 観念なさいっ!」
そこにいたのは、黒髪ロングの真面目そうな少女……水科千尋だ。
「ど、どうして? ボクがここに隠れていることなんて、分かるはずないのに……」
冥島の姿になっていたソラとは違い、冥島本人は、千尋と会うのは初めてだ。しかし、そんなことは今は関係ない。誰も自分の居場所を知るはずがないという状況で現れたその少女に、冥島は純粋に驚いていた。
そんな冥島の表情に、千尋は得意げに宣言する。
「残念だったわねっ! あなたの逃げた足取りなんて、この私には、丸わかりだったのよっ!」
そう言って千尋はしゃがみこむと、懐から取り出した鷹のマークのついたポケットライトで、地面を照らす。すると、何もなかったはずの地面に、うっすらと足跡のようなものが浮かび上がってきた。
「あなたがさっき私を組み伏せて暴行を加えたとき……あなたは、私の手を何度も掴んでいたわよね? それに、あなたが最後に逃げだしたとき、私はあなたの靴に手の甲で触れていたわ。実はあのときの私の手には、『ブラックライトを当てると光る蛍光インク』が塗られていたのよっ! このパークの、『再入場用のスタンプ』がねっ!」
「……は?」
この鷹月イーグルパークでは、一度入場したあとで何かの理由で一旦パークの外に出なければいけなくなった客に対して、パークを出るときに手の甲に蛍光インクスタンプを押すのだ。
そのスタンプには日付や時刻などの情報が入っており、その日のうちにその客がパークに再入場しようとしたとき、今千尋が持っているようなブラックライトを当ててその情報を確認することで、一から行列に並ばずに再入場できるようにしているのだった。
千尋は得意げな表情で、説明を続ける。
「そうとは知らないあなたは、ここにやってくるまでに私がスタンプを付けた靴や手で、いろんなところに手形や足跡を付けてきてしまった。つまり……あなたは自分自身で、私に居場所を教えてくれていたのよっ!」
「え、っとー……? ボクが、キミを組み伏せた? 手を掴んだときに、蛍光塗料がついた? ……とか、何を言ってるのかな? ボクたちって、初めましてだよね? 全然、思い当たる節がないんだけど……?」
「黙りなさいっ! 今さら、負け惜しみを言ってるんじゃないわよっ! 女子トイレに忍び込むような、変態のくせにっ」
「いやいやいや! それこそ、全然記憶にないよっ! このボクが、そんなことするわけないでしょっ⁉」
「とぼけるんじゃないわよっ! ついさっき見たばかりのその顔を、私が忘れるわけないでしょっ!」
「そ、そんなこと言ったって、ホントに記憶にないんだから、仕方が…………ーっとっ!」
そこで冥島は、突然千尋に向かって襲い掛かった。
冥島にとっては、今の千尋が言っていることはまるで心当たりがない。だから、まったく関心がなかった。……というよりも、「どうして千尋がここにこれたか」なんてことは、本当はどうでもよかったのだ。
今の冥島にとっての最重要事項は、この場から安全に逃げ出すこと。自分の居場所を知られてしまった千尋を、排除することだ。
そして、調子にのって自分の手柄を説明をしている今の千尋は隙だらけで、殺人鬼の冥島が本領を発揮する、絶好のチャンスに思えたのだった。
しかし……その次の瞬間。
「発っ!」
襲い掛かってきた冥島の顔めがけて、千尋は、目にも止まらないスピードの肘打ちを繰り出していた。
まず、千尋の肘が突き刺さった冥島の顔が大きくへこみ、彼の頭ごと後ろに押し出される。
その次に、その頭に引っ張られる形で、彼の体全体が勢いよく後方へと吹っ飛ばされる。
そして最後に……まるで、「千尋の肘打ちがあまりにも速すぎて、物理法則を置いてきてしまっていた」かのように。彼女のロングヘアーとスカートが数秒遅れて、千尋の体に合わせてファサァ……と動いた。
「ふう……」
吹っ飛ばされた先で壁にぶつかって、のびている冥島。手足はあらぬ方向へと曲がり、顔面は力が抜けてだらしない表情。口からは泡を吹いている。今度こそ、完全に気絶してリタイヤ状態だ。
そんな彼の姿を見て、軽く首をかしげながら、
「なんだかあなた……さっきよりも弱くなってない? わざわざ、私の『必殺技』を出すまでもなかったわ」
と千尋はつぶやく。そして、
「でもこれで……ようやく少しは、いいところを見せられたかしらね」
と言って、微笑んだ。
それからすぐ。
用意周到な千尋が、来る前に連絡しておいたパークの警備員と警察がその場に到着し、気絶している冥島を拘束した。