おふくろの味が売りの牛丼屋で
これは幼馴染みと牛丼屋へ向かった日の話なのだが、恥ずかしい話……私には母親が居ない。
正確には、母親は男と出て行ってしまったのだ。店の売上金に手を付けるようなチャランポランに惚れ込んでしまい、二人で店の金を全て盗んで消えてしまったらしい……。
親父は『母親は死んだ』と昔から俺に言っていたが、風の噂とやらは流石に止めきれず、俺は高校の時に全てを知ってしまった。
その時は別にショックとか、そういうのは無くただ単に「へー、そうなんだ……」と、軽い感じで受け流した。
「何になさいますか?」
高校生のアルバイトが、慣れた手つきで小さな機械を操作してウェイターをやっていた。私はバイトなんかしなかったから、正直に『偉いなぁ……』と感心してしまった。
「私、スペシャルとろろ牛丼とミニサラダ」
「美味しいのか? それ……」
「前に一回食べたけど美味しかったよ」
「そう。なら俺もそれにしようかな」
「スペシャルとろろ牛丼をお二つにミニサラダをお一つですね? 少々お待ち下さい」
機械をしまい厨房へと向かうアルバイトのお尻を眺めながら、俺はお冷やを一口飲んだ。むっちりとしたお尻が中々にタイプだ。
「敏也、見てんのバレバレ……この変態」
「あ、ゴメンゴメン……」
「この場で言いふらされたくなければ、後でスタヴァでなんか奢りなさい」
「承知致しました千晶様」
それから、軽口の叩き合いをしているうちに、注文したスペシャルとろろ牛丼とやらが到着し、俺はその美味しそうな見た目に嬉々として箸を手渡した。
「牛丼なんて小さい時以来だなぁ」
「えっ? そうなの!?」
「ああ、外食自体中々連れて行って貰えなかったからな」
──モグモグ
「むっ! これは美味しい」
「でしょ!?」
「しかも、美味しいと言うか……こう、なんか……懐かしい味がする気がする」
「?」
「何だろう。うまく説明できないけど、体の底から懐かしさが漂うような……」
俺がモヤモヤっとしていると、幼馴染みの千晶が口を開いた。
「もしかして、おふくろの味って事?」
千晶の言葉に俺は衝撃を受けた──!!
「──これ、おふくろなのか!?」
俺は丼を二度見してしまった。知らぬとは言え、俺はおふくろの肉を食べてしまったのだ!!
「うん、相変わらず美味しい」
「おふくろを食うなぁぁぁぁ!!!!」
──バッ!!
「キャッ!」
俺は千晶から丼を引ったくった!!
何という事だろう! 俺が小さな頃に居なくなっていた母親が、こんな店で知らずうちに加工肉にされていたなんて……!!
「ど、どうしたの!? 落ち着いてよ!!」
「おい!!」
俺は高校生アルバイトを呼び付け、店長を出すように命じた。アルバイトはおどおどしながら奥へと引っ込み、暫くして店員らしき男が現れた。
「お客様、如何なされましたでしょうか?」
「どーしたもこうしたもあるか!! この店の肉はおふくろの味がしたぞ! どういう事だ!」
俺が立ち上がり納得のいく説明を求めると、店長はニコリと笑って俺に語りかけた。
「それはありがとうございます。当店では皆様に馴染みのある味を楽しんで頂くためとして、おふくろの味を目指しております。牛丼に限らず、サイドメニューやフレンチドレッシング、ありとあらゆるメニューにおふくろの味を採用させて頂いておりますので、心ゆくまでお楽しみ下さいませ」
そう言うと、店長は奥へと行ってしまった。高校生アルバイトが「流石店長。尊敬させて頂きます」と謙譲語で話し、店長も笑って「ハハハ」と飛びきりの笑顔で笑っていた。どうやらあの二人はデキているらしい。
しかし、そんなことより俺には引っかかる言葉があった。
「ありとあらゆるメニューがおふくろの味……だと?」
俺は席に座り直し、メニューを開いた。牛丼を始め、サラダに納豆に豆腐に半熟卵、果てはアイスクリームまで……その全てがおふくろだと言うのか!?
俺はテーブルに置かれていたフレンチドレッシングを少しなめた。
「ねえねえ、さっきからどうしたの? 怖いよ?」
「やっぱりこの懐かしさは……!」
「そう? どれどれ……」
──バッ!
俺はサラダにフレンチドレッシングをかけようとした千晶から、フレンチドレッシングを奪い取った。
「やはりこれもおふくろか──!!」
「やだ……怖いよ落ち着いてよ」
「ならばこれもか!?」
──パクッ
俺は千晶のサラダを一口食べた。
「コイツもおふくろだ!!」
幼少に蒸発したおふくろとこんな場所で再会できるとは思わず、俺は嬉し涙を流しながら、牛丼をフレンチドレッシングとサラダを抱き締めた。
「店長あの人美味し過ぎて泣いてますよ」
「うむ、私も長年この店をやってきたが、これ程嬉しい事はない」
俺は微かに聞こえるおふくろを殺った凶悪犯の言葉に復讐を誓うも、あることに気が付いてしまった。
「千晶……俺は大変な事に気が付いてしまったぞ……」
「あ、ようやくおふくろの味の意味を理解した?」
「俺におふくろが三人居たとは知らなかった!!」
俺の言葉を聞いているのかいないのか、千晶はお冷やを飲みながら髪の毛をいじりだした。もしや……千晶もグルなのか……? そんな疑いが頭を過ったが「なわけないでしょ。アホなの?」の一言で俺は我に返った。
「だよな。おふくろは一人だよな……」
「さ、さっさと食べてスタヴァ行きましょ」
──バッ!
「キャッ!」
俺は千晶から丼を引ったくった!
「どれが本物のおふくろか分かるまで食べてはならん!!」
俺はこの三つの中から、どれが本物のおふくろかを懸命に探し当てようと、腕を組んで頭をひねった。どれか二つはおふくろのフリをした詐欺師だ。詐欺に騙されるわけにはいかん。慎重に確かめなくては…………。
「そうだ! 本物のおふくろなら、俺の名前を知っているはずだ!」
「──は?」
我ながら何というナイスアイデーア! これならば一発で答えが出る! 幼少に捨てたとは言え、お腹を痛めて産んだ我が息子の名前を忘れる母親が居ない筈がない……!!
「そこのスペシャルとろろ牛丼! 俺の名前を知っているか!?」
俺は牛丼に耳を傾けた。
「店長あの人なんか始めましたよ?」
「そんな事より来週の休み空いてる? 美味しいお寿司屋さん見付けたんだけど、どう?」
奥から凶悪犯の囁きが聞こえるほどに耳を澄ませる。やはりあの二人はデキているらしい。
しかし牛丼からは何も応えが返ってこない。
「俺の名前を知らないのか……?」
「……としき」
「──!!」
少し甲高い声が牛丼の方から聞こえた。しかも名前を間違っていると言うことは──
「このスペシャルとろろ牛丼は……おふくろじゃない!!」
俺が愕然としていると、千晶が丼を手にした。
「なら食べるねー♪」
おふくろのフリをしたスペシャルとろろ牛丼が、千晶の口の中へ次々と放り込まれてゆく。いくら他人の空似とか言え、何だか忍びない気持ちになった。
「そこのフレンチドレッシングよ……俺の名前を知っているか?」
次に声をかけたフレンチドレッシングも、やはり沈黙を貫いている。コイツも怪しい。
「知らないのか?」
「……ゆうや」
「──!!」
先程と似たような甲高い返事。やはりコイツもおふくろのフリをしたフレンチドレッシングだった。危ない危ない、もう少しで騙される所だったぞ……!!
「はーい、次々ー」
千晶がフレンチドレッシングを手にした。残るはあと一人……この人が俺の母親なのだろうか。
「ミニサラダさん……俺の名前、分かりますか?」
「たろう」
「──!!」
即答された甲高い声はやはり偽物であり、おふくろのフリをしたミニサラダを「いただきー♪」と千晶がおふくろのフリをしたフレンチドレッシングをかけて次々と食べてゆく。
「あー、美味しかった……!」
全てを完食した千晶が、お腹をポンポンと撫でた。しかし俺はそれどころではない。本当のおふくろはどこに居ると言うのだ──!?
「茶番も終わったしさ、スタヴァ行こ? 敏也」
「──!?」
それは青天の霹靂とも謂うべき発言だった!
灯台下暗しとは正にこの事!
「千晶がおふくろだったのか…………」
「は? アホなの?」
「いや! そうに違いない!! 俺の名前を言えたのはお前だけだ!!」
俺は席を立ち、千晶──いや、おふくろへと近づいた。
「何言ってるの!? 頭に虫でもわいたの敏也!?」
「おふくろ……久しぶりだな」
「昨日も会ったし一昨日も会った! 私は幼馴染み……!!」
「もう隠さなくていいんだ、おふくろ……!!」
──ガバッ!!
俺は力一杯おふくろを抱き締めた──!!
「敏也、人が見てる!! 見てるよ!?」
俺は嬉し涙が止まらず、盛大に泣き散らした。店内に居た客ももらい涙を流して俺達に「再会おめでとう」と拍手を送ってくれた。
「店長あの人達なんなんスかね?」
「そんな事より、今夜また夜景の見えるレストラン行かない?」
店の奥から不埒な会話が聞こえてくるが、今は再会の余韻を楽しむとしよう。
「これからはずっと一緒だぞ、おふくろ」
「や、め、ろ……! 頬ずりすな! ヒゲが痛い!!」
俺は照れるおふくろを更に抱き締め、幸せの絶頂を噛み締めた──