ロリータの品格
可愛い服に囲まれているあの子は、とても素敵だった。
高校の入学式、彼女は他の子達よりもうんと大人びて見えた。毛先まで綺麗な黒髪を一つにまとめ、常に上を向いている睫毛、綺麗に整えられた前髪、全てが全て、他の子達よりも素晴らしかった。
「私、桜井ゆうかっていうの。あなたは?」
前の席に座る彼女に話しかける。すると彼女は綺麗な黒髪を揺らして振り向いた。真正面から見る彼女はとても綺麗。まるでお人形さんのよう。
「わたし、佐倉あずさ。よろしくね」
「う、うん! よろしくね!」
外見からは他を寄せ付けないような雰囲気を出しているのに、彼女……あずさは口元を綻ばせながら言う。そのギャップに、目を細めた。
入学式から一週間後、クラスにはそれぞれグループが出来上がっていた。なのに、あずさは何処のグループにも属さず、それでも他の子に話しかけられたら冷たく突き放さずに話を返していた。
移動教室の時も、お弁当の時も、あずさは一人だった。一人でいる事に嫌な感じを出さない。むしろ、楽しんでいるようにも見える。体育の時間、お決まりの二人一組になってとの指示に、ハッとあずさを見てしまった。まさか、困っていないだろうかと思っていたが、あずさは私のグループにいる子と組んだみたいだ。一人なのに、一人じゃない。そのミステリアスな雰囲気にどんどんハマってしまった。
ふと、あずさが気になる理由が知りたくなってしまった。他の子にはない雰囲気に、世渡り上手な一面もあり、何せあの非の打ち所がない外見。気になってしまうのも可笑しくないとその時は納得してしまった。でも、その後幾度も理由が知りたくなってしまう。最初は自分や他人にない雰囲気のせいだと納得していたが、段々とそれだけでは物足りなくなっていた。
悶々としたまま、入学式から一ヶ月が過ぎていた。五月になり、少しは初めての学校生活に慣れてきていた。あずさも入学式から少し髪の毛が伸びたようにも見える。相変わらず、綺麗に整えられた外見。少しは見習おうと、自分もちょっと高いトリートメントに変えてみたりもした。でも、まだあずさには塵一つも及ばない。どうしたら近づけるか、思い切って聞いてみたりもした。
「あずさ」
「なあに?」
「あずさってどんなトリートメントを使ってるの?」
「んー、その時によってまちまちかな。今はスーパーの激安トリートメントを使ってるよ」
衝撃だった。私の使っているトリートメントよりも安いものを使っていた。それなのに、何でそんな綺麗な髪の毛なんだろうか。
「髪の毛ってね、丁寧にケアすれば道具なんて関係ないんだよ? 丁寧に乾かしたり、乾かす前にオイルなんかも使ってみたり」
衝撃を受けていたのが分かったのか、あずさは微笑みながら言う。思えば、高いトリートメントにしたものの半乾きのまま寝たこともあった。しかも乾かさない日もあるほど。美しくあるためには、手間も惜しまないってことか。
「そうなんだね。あずさっていつも綺麗な髪の毛してるからなんか特別なもの使ってるかと思った」
へへへ、と自分の失態を隠すように笑う。あずさは少し苦笑いを零していた。
あずさの綺麗の秘密を知っても、あずさに対する好奇心が収まるはずがなかった。スマホの機種、筆記用具、髪につけているゴム、使っているノート。今思えば、ストーカーなんじゃないかと思うほど、あずさの事を知ろうとしていた。内面も知ろうと席替えして廊下側と窓側に離れてしまっても、一日に何回も話しかけていた。でも、あずさは自分の好きな事嫌いな事、詳しくは教えてくれなかった。意図的に隠している訳でもなく、聞いたものに対しては、必要以上に答えない。何としても聞き出したいが、あまり詰めすぎるとその雰囲気が壊れそうで口を噤んでしまう。
知りたい、あずさの事。
雰囲気がどうこう、と言うのではなく単純にあずさという人間がどう言うものなのかを知りたかった。
そして高校入って初めての夏休み。……の前にあった期末テストでは散々な結果を出してしまい、先生のお情けで補習は夏休みの前半に一回だけとなったが、もの凄く反省していた。
「ごめんなさい……」
「まあまあ、そんな落ち込まないの。お母さん、あなたが頑張り屋さんなのは知ってるわよ」
「高校の勉強は難しいんだろ? 勉強見てやるから分かんなかったら教えなさい」
「うう、ありがとうお父さんお母さん……」
テスト結果を素直に見せた両親の反応に、涙が出そうになっていた。あずさの観察ばかりしてるから、と心の中で突っ込んでいた。
焼酎の入ったボトルを置いた拍子に、テーブルから結果を書いたプリントがひらり、と落ちた。拾おうとかがんだが、父が手で制した。
「ん、ゆうかは確か桜道高校だったな」
「そうだよ。あの丘の上の」
「会社の同僚のお子さんも、桜道高校だったな。ゆうかと同い年らしいぞ」
「本当? どんな子か分かる?」
「おお、可愛らしい子だぞ。可愛いものを身につけて、人形みたいな子だ」
人形みたいな子、と聞いて真っ先にあずさの事を思い出した。しかし、あずさは可愛らしいと言うより綺麗、と言う言葉が似合う。女の子らしいといえば女の子らしいが、可愛いとは違う女の子らしさ。……自分で言っていてややこしくなってきていた。
父からテスト結果の紙を渡され、その憐もない点数を見て少し胸が痛くなった。
ああすればよかった、と言う後悔はしたくないがどうしてもあずさの事ばかりで、勉強が疎かになっていたのは事実だ。そこは反省しよう。
そんなことより明日から夏休みだ! 高校生になって初めての夏休み。嬉しいが、それ以上にあずさやせっかく出来た友達たちに会えないのも寂しい。お情けとは言え補習も一回だけだし、登校日と合わせて夏休み中には二回しか学校に行けない。課題もそれなりに出ていて……課題?
そうか、課題だ。課題を教えてくれる名目であずさを誘おう!
そう思った私の行動は早かった。夕飯を済ませると足早に自分の部屋へと向かう。スマホを取り出し、あずさの名前を探した。夏休み前にあずさから連絡先を教えてと聞かれたのには驚いた。夏休み中にお茶をしたいと誘ってきたのである。
数ある連絡先の中から、『佐倉あずさ』と言う名前を探すのは容易だった。何故なら、よく使う項目に登録してあるからだ。でも、あずさに連絡を取るのはこれが初めて。それは良く使う項目に登録するべきなのか?
メールのやり取りでも何故か緊張してしまう。まるで怖い先輩にメールを送ってる時みたいだ。粗相がないか、送信する前に何度も何度も確認していた。その結果、二時間かけてようやくあずさと課題をする約束にこぎ着けたのだった。約束の日は一週間後の水曜日。私が補習のある日にあずさはちょうど学校に用事があるらしく、学校の図書館で課題をする事になった。
あと一週間……もう待ちきれなかった。
*
待ちに待った補習の日。他の学生なら夏休み中だと言うのに学校へ行かなくてはならないと、嫌な気分にもなるだろう。それに比べて私のワクワクっぷりときたら!
前日は肌のコンディションを高めようと早めに寝て、しかもあずさに教わった通り髪の毛を乾かす際に丁寧にオイルを塗った。そのオイルはあずさにオススメされたものだ。髪の毛を揺らすと、シャンプーの香りの中にかすかにあずさと同じ華やかな香りが顔を覗かせる。香りを嗅ぐたびに、あずさとお揃いだと気分が高潮していた。
しっかりとアイロンをかけた制服を身につけ、カバンを持ち晴れやかな気分で外をでた。エアコンが効いてる室内から午前中だと言うのに灼熱の太陽が照りつく屋外に出た途端、じわじわと汗がにじみ出てきた。
でも、そこでへこたれてる場合じゃない。あずさに会うんだ。もうそれだけでいい。
人の気配が感じられない学校に着くと、すでに頰に汗を流していた。手の甲でそれを拭うと鞄からハンカチと小さな鏡を取り出した。さっさっと前髪を整え、綺麗に整えたと思っている眉毛が消えていないかチェックする。化粧をしようと思い昨日少し練習したが、線はガタガタでまつ毛はダマだらけだった。そんなのあずさに見れたらなんと思われるか……多分引かれてしまうだろう。なので思い切って化粧は眉毛を整えることだけに留めておいた。
チェックし終えたらそのまま図書館へと向かう。補習は図書館の向かいの空き教室で行うため、補習までの時間に少し課題をやってしまおうと思ったのだ。
「あれ、あずさじゃん」
「おはよー、ゆうか。……えへへ、ゆうかが補習やってる間に課題進めておこうと思って」
ドアを開ける音に反応して振り向いたのはあずさだった。どうやら私と同じような考えをしていた。正直、とても嬉しい。補習のあとにしか会えないと思ってたのに! しかも誰もいない図書館で二人きり!
横に座り、あずさの進めている課題を見た。すごい、まだ夏休みは一週間しか経ってないのにあずさの課題は既にいくつか終わっていた。
「課題ほとんど終わってるじゃん」
「夏休み、やりたいこといっぱいあるんだもん。早めに終わらせたくて」
あずさはニコッと笑う。女の私から見てもその笑顔はとても可愛く見えた。
今日のあずさは制服とは言え、少し砕けたような雰囲気がある。いつも一つに結んでいる髪の毛を下ろしているからか、普段見たことない靴下を履いているからか、私服を着ている時のようだった。
「ねえ、ここの問題って……」
「ああ、そこの問題ね。これはここの数字をこうして……」
お互いにやろうと言ってもないのに課題をやり始めた。まずは苦手な数学から。あずさは数学が得意らしく、こっそり見たテストの結果が今まで自分が取ったことのない点数だった。すごい、外見も素敵で知識も豊富だなんて。
ますますあずさという人物にのめり込んでしまう。どこまでも、沼の底まで。
「そろそろ補習の時間じゃない? 先生も来てるみたいだよ」
「あ、やば。行かなきゃ。課題このままでいいかな?」
「ん、トイレ行く以外はここにいるよ。頑張ってね」
気づけば補習の始まる十時になっていた。慌てて立ち上がる。あずさは微笑んで手を振っていた。私はそれに頷いて答え、そそくさと補習をやる教室へと向かった。そんなに慌てなくても、図書館の向かいにある教室だというのに、小走りで。教室に入る前に足を止め、ゆっくりと深呼吸をした。慌てても先生の話は聞けない。ドアをゆっくり開け、教室の中を覗いた。
「お、桜井。時間通りに来れたな」
教室には、赤点を取った数学の教科担任だけがいた。生徒は、私一人だけみたい。誰も座っておらず、先生の声だけが教室に反響した。
「先生、よろしくお願いします」
「おう。桜井は他の教科は大丈夫だったんか?」
教壇に近く、黒板が見やすいちょうど真ん中の席に腰掛ける。数学の教科担任は、教壇に置いたプリントを翻した。
「うう、他の教科もやばいです……」
「なんだ、補習は俺だけだって聞いたから他の教科は良かったかと思ったよ」
「真面目に授業聞いてるのに……」
「それは分かる。桜井は授業態度はクラス1だ。でも、何かが足りない。今日はそれを中心に教えていくからな」
「へ、テストの見直しじゃないんですか?」
「俺だって補習したくねーよ。だから適当に喋ろうってこと」
何て適当な先生なんだろう。いや、生徒にとっては素晴らしいとも言えるのか。てっきり、テストの見直しをするんだと思い先ほどまであずさとテストの答えを教えてもらっていた。
「桜井は真面目だなー。さっきまで答え見直してたんだろ?」
「はい。でも無駄になるんでしょ……」
「一緒にいた女子生徒は確か、佐倉だったな。秀才のあいつに教えてもらえばいいだろ」
「先生がそれ言いますか……」
呆れた。と思っていたら、先生は首を振った。
「佐倉は本当に秀才なんだ。勉強のやり方も、授業の内容も全部すぐに理解する。分からないと思ったらそのままにせず、その場ですぐに聞く。高校生でこんなことできるの、ほんの一握りくらいだ」
「だけどなんであずさに聞けって」
「はは、それは二人がお似合いってことだ」
お似合い、という言葉に心臓が跳ね返る。まるで、好きな人を当てられた感覚だ。
「友達は大切な一生の財産だ。友達のこと……佐倉のこと、大事にしろよ」
友達、という言葉に胸がズキッとした。あずさは友達以上の、何か大切なものだと思っている。だけど、その『何か』が分からない。
ずっとあずさを追いかけている。けど、あずさは私以上のスピードで走っていく。そんな感覚だ。
補習と言えない補習が終わり、私は先生に感謝の言葉を伝えると図書館のドアを開く。あずさは机に突っ伏して寝ているようだ。
今まであずさが寝ている姿など見たことなかった。新鮮なその光景に惹かれ、音を立てずに近づいていく。
そっとあずさの顔を覗く。まつ毛が長く、肌は透き通っているよう。やっぱり、完璧な人だ。何でこんな人が、私なんかと仲良くしてくれるんだろう。いいや、あずさはみんなと仲がいい。私はその仲のいい存在の一人だ。そう、仲の良い友達……。
ぽた、という小さな音がした。え? 涙?
何で私は泣いてるの?
涙の意味が分からず、手の甲で涙を拭う。涙を拭いながらあずさを見る。彼女はまだ寝ているままだ。
「あずさ」
小声で呟く。私たちしかいない図書館に、虚しく響いた。
溢れ出てくる感情に戸惑いながら、私はあずさの寝顔を見つめているだけだった。
*
あずさと別れ、家へと向かう。涙の意味が分からないまま、あずさを見るとまた涙が溢れてきそうであまり目が合わせられなかった。
初めて感じる感情に戸惑いを感じている。何故なのか考えても分からなかった。でも、友達に感じる感情ではないとは直感的に感じていた。
あずさの事をもっと知りたくて知りたくて、何回も話しかけていた。でも、今日先生にあずさを『友達』と言われて胸が痛くなった。あずさの事はもっと知りたいのに、友達と言われると悲しみに近い感情を持ってしまう。
分からないよ、こんな状態。なんていうの?
『それ、恋じゃないの』
真っ先に相談したのは、年の離れたいとこのお姉ちゃんだった。予想しなかった答えに、言葉が出なかった。
「で、でもその子は大切な友達で、」
『友達、でも何でもない。ゆうかはその子の特別な存在になりたいんじゃないの』
「そ、そうかも……」
『その子のこと好きになっちゃったんだよ。恋してるんだねー』
電話口でお姉ちゃんのワクワクした声が聞こえる。私は震える声で答える。人ごとだと思って、という怒りがこみ上げてきたが、あずさの事を思い出すたびに消えていく。
『ゆうか、告白してみたら? 聞いてみたところ、その子ととても仲良いみたいだし』
「でも、今の状態が好きで……」
『他の人に取られちゃうかもよー』
お姉ちゃんがいたずらっぽく笑う。確かに、あずさは人気だ。夏休み前の休み時間は殆ど誰かといたほど。クラスのみんなが段々とあずさの魅力に気づき始めたみたいで、少し嫉妬していたのを思い出す。
「私だけのものになって欲しい訳じゃなくて……」
『特別な存在になりたい。それだけでいいんじゃない?』
言い訳っぽく否定したが、お姉ちゃんは一貫した答えを言ってくる。もう、これは告白しろの流れだ。クラスの子が恋愛相談すると必ずなる流れ。
私は恋愛相談をしているの?
「お姉ちゃん、その子は……」
『その子は?』
女の子なの、と言う前に口をつぐんだ。あずさは私と同じ制服のスカートを履く女の子。女の子を好きになっちゃったの、なんて言えやしない。
言ったら言ったで笑われるだろう。女友達を好きだなんて、気持ち悪いと。
「……告白しちゃ、いけない人なの」
『どういうこと? 彼女がいるとか?』
「……そういうこと」
誤魔化してしまう。自分が女友達が好きだということなんて、知られたくない。お姉ちゃんにはその後も誤魔化しに誤魔化してとりあえず頑張れ、と言われ恋愛相談の電話は終わった。スマホの画面をぼーっと眺める。自然とあずさの連絡先を開いてしまう。
そう、あずさが好き。それは女友達としてではなく。そしてあずさの特別な存在になりたい。そんなこと言ったら、あずさは困るだろう。もしかしなくても、自分の想いを伝えたら引かれてもう友達という存在にすらなれないかもしれない。
伝えたい、伝えられない。悶々としたまま、私は目を閉じた。
*
夏休みも半ばに、私はクラスの友達と出かけることにした。ウィンドウショッピングに、ゲームセンターで遊んだり、後はコーヒーショップで何時間も粘って噂話に花を咲かせていた。
「じゃあね、課題終わらせてまた遊ぼ!」
「バイバーイ!」
「気をつけてね!」
「今日はありがとねー!」
陽も傾き、ひぐらしの音色が道に響く中、私たちはそれぞれの帰路についた。電車に乗り込み、オレンジ色に染まる街中を走り抜けていく。
久々に会ったクラスの友達はメイクの研究もしているせいか、かなり変わっていた。それを見て自分も頑張ろう、と夕日を眺めながら誓っていた。
あずさに近づくために……。
ガタン、と大きく揺れて電車が止まる。ドアの上のモニターを見ると自分の降りる駅より二駅ほど前の駅名だった。まだ、座ってて良いよね。私はスマホを取り出すと、今日一日の感想を伝えようとグループチャットを開いた。
ふわり、と視界の端に揺れるものが見えた。ピンク色の何か。顔を上げると、斜め前にフリルやリボンが沢山付いた服を着た女の子が立っていた。テレビでこれはロリータファッションだと聞いたことがある。
実際に着ている人は見たことないので、思わずその人に見入ってしまった。
お人形さんが着ているようなお洋服。基本はピンク色で、白、薄い赤のリボンもフリルも見受けられる。スカートの裾はふわっと広がっておりまるで小さなドレスのよう。可愛い、と素直に思った。
胸の辺りまでの金髪は器用に巻かれており、頭には見たことない変わった形で、リボンも沢山ついた帽子を付けていた。
あれ、この人見たことある……。
沢山の可愛いアイテムに埋もれるようなその人の顔を見つめる。金髪の女性に、知り合いなんていただろうか。
まつ毛は器用に上向きにされ、目元はウサギのような赤色のアイシャドウが淡く塗られ、頰は美味しそうな桃色。そして唇にはつやつやしたピンクに近い赤色の口紅が塗られ、口元には黒子が……。え? この黒子は……見覚えある!
身長や、目の形、黒子の位置など、記憶の中にあるあずさと一致していく。まるでパズルのピースが一つ一つ当てはまっていくよう。
「あず、さ?」
斜め前にいる目を引く服装をしている人が恋心を抱いた相手だとは信じたくないのか、戸惑いながら呟く。その子は伏し目がちだったその目を開き、周りを見渡す。ウサギのような目と合う。その子……あずさは目を見開き驚いたような顔をした。
「ゆうか、どうしてここに!?」
「と、とりあえず次で降りない?」
「そ、そうね」
ここは電車内だ。世間話などしたら目を引き、迷惑がられるだろう。私達はちょうど止まった駅に降り、ホームの椅子に腰を落ち着かせた。
「あの、」
「その服装、とっても可愛いね」
素直な感想を言った。あずさは気まずそうな表情をし、眉を下げていた。怒られそうなその表情に、私は慌ててまた口を開く。
「あずさって、一見クールそうな外見なのにこんな服装も似合うなんて凄いよ」
「似合う……?」
「うん、とても似合ってる。どのあずさも好きだよ」
言った後に、ハッと我に返った。これじゃあ告白みたいなものじゃないか。顔が赤くなっていくのを感じる。
「良かった……でも、私、その、」
「いつからこんな格好し始めたの?」
「え、と、もう、ずっと前から……」
「クラスの人は知ってるの?」
「知らないと思う……高校に入ってから、ゆうかにしか、見られてない……」
あずさはスカートの裾にある頰の色のようなリボンをいじりながら答える。その仕草さえ可愛く思えた。
改めてあずさの姿を眺める。凄い。その一言に尽きた。まるで可愛いを具現化したものに埋もれているみたい。
一つ向こうのホームに止まっていた電車がゆっくりと動き始めた。それをただ眺めていた。
「やっぱり、私みたいな女が変だよね」
あずさが勢いよく立ち上がる。カサカサと言う音がした。何の音だろう?
「そんなこと、」
「ごめん、今日はもう帰らなきゃ」
「あず、」
「ごめんね」
心臓が力強く動くのを感じた。言葉を遮られ、小走りで去っていくあずさの背中を呆然と眺めているだけだった。
私、何か悪いこと聞いちゃったかな……。あずさの秘密知れて、自分の気持ちに気づけて、浮かれてたのかな。
さっきまで熱ぽかった顔が冷えていくのを感じた。遠くでひぐらしの音が聞こえる。オレンジ色の夕日はビルの影を落とし、少しづつ消えていく。
まるで、自分の感情が一つ抜けていくようだった。
*
ロリータを着たあずさと会ったあの日から、何度か連絡を入れていた。けど、メールすら返ってこなかった。図書館で一緒に課題をしたあの日から、他愛ないメールをするのが日課になっていた。それももう途絶えている。
一日に何度もメールのチェックをする。どうしてもあずさに会いたい。会って謝りたい。
あずさは学校でも、身長を高いのを気にしていた。そして、あずさが持っていた文房具の中でとびきり可愛いペンがあったのを思い出す。それを隠すようにペンケースの奥へとしまい込んでいたのも思い出していた。
あずさの秘密を知れただけではダメだった。もっとあずさを理解して、受け入れたい。
そのためにはどうすればいいのだろう。登校日は明後日だ。けど、この状態であずさが来るとは限らない。
どうすれば、あずさを知れる? どうすればあずさという女性を理解することができる?
そんなの、決まっていた。ロリータファッションだ。あずさがあの日着ていたお洋服を、着てみるしかない。
そうと決まれば、私はスマホを手に取り検索窓にロリータファッション、と入れた。
ロリータファッション、と一口に言っても様々な種類があるということ。甘ロリはあずさが着ていたものみたいに、白やピンクが基準の『可愛い』をぎゅっと詰め込んだ服装。他にもゴスロリ、クラロリ、和ロリ、白ロリ……数えてみればキリがないほど種類がある。調べていくうちに、ロリータファッションが好きな人は、本当にロリータファッションが好きで、着ているという事にも気づけた。
いくら誰かに言われようとも、自分が着たいものを着る。そのためには努力も惜しまず、煌びやかなお洋服に合わせてメイクも髪型も研究している。そう、あずさもあの綺麗な状態は自分のためだった。誰かを寄せつかせないためでもない。自分の好きな服装をしたいからだ。
そこまで調べて、私はため息をついた。ロリータファッションをするには、自分自身も努力しなければならない。その精神に尊敬までもする。勉強も、友情も、おしゃれも、他人に頼りきりで自分で努力なんてしようなんて思わなかった。
部屋の隅にある全身が映る鏡を覗いた。ヘナヘナな部屋着に、ボサボサな髪の毛。あずさに近づきたい一心で伸ばしてた髪の毛も、何だか野暮ったく見える。
私はその場で部屋着を脱ぎ、自分の持っている服の中で一番可愛い服を取り出した。ピンクのワンピース。中学の頃一目惚れして、親に買って貰ったが一度着てみたらクラスメイトに流行りじゃないと言われ、そのまま箪笥の肥やしになっていた。何が流行りじゃない、だ。これが私が着たい服なんだ。中学の頃のクラスメイトに悪態をつく。
久々に着てみるそのワンピースは少しキツく感じたが、何とか着れた。また鏡に全身を映してみる。
「可愛い……」
そう、可愛い。素直に言えた。
今まで自分に素直に可愛いなんて言えただろうか。好きな服に身を包み、明るくなったその表情はとても可愛い。あの時、自分の好きな服装に身を包んで立っていたあずさは、とても可愛かった。たまに自分の着ている服を見て、満足そうに微笑むあずさも、とても可愛い。
服には自分を可愛くさせる能力がある。それを引き出せるのは自分自身なんだ。
鏡の中の自分自身に微笑み、髪の毛を軽く梳いて、カバンを持ち部屋を出た。
行き先は美容室。この野暮ったい髪の毛も、可愛くさせてみせる。
*
「どうですか? 変なところございますかー?」
金髪の男性美容師さんに言われ、ハッと我に返る。鏡の中の自分は、美容室に入る前の自分とは違って見えた。
胸のあたりまで伸ばしっぱなしだった髪は鎖骨のあたりまでに切られ、校則があるから色は黒髪のままだが、それでも重く見えないようにレイヤーも入れてさっぱりとした印象だ。何より、ロリータファッションを好む人に多いのが、前髪ぱっつん……まるで定規を当てて切ったかのように真っ直ぐに揃えられた前髪。もちろん、あずさも前髪を揃えている。
あずさとお揃い、という事実に胸が高鳴る。それと同時に、焦りも感じていた。
「大丈夫です」
「はーい、ありがとうございましたー。お会計あちらへどうぞー」
男性美容師さんが言うと、店内中からありがとうございましたの合唱。それを背に、導かれるままレジが置いてあるカウンターへと向かった。
「お会計、三千円ですねー……ここまで綺麗になると、モテモテかもね」
金髪の男性美容師さんがニコニコしながら言う。高校生に見られていないな、と少し苛立ったが、顔に出さず財布からお札を三枚出す。ちょうどお預かりしまーすと言いながら素早い動きでレジを操作していく。出されたレシートと、今回初めて作った会員証を受け取った。
「またお願いしまーす」
ニコニコしながらドアを開けた男性美容師さんに、軽く会釈をして美容室を後にした。
街中でふとガラスに映った自分を眺める。ピンクのワンピースに、綺麗にセットされた髪の毛。凄い、これだけで気分が明るくなれる。服装と髪型を変えただけなのに……。
このままなら行ける。言えるし、謝ることだってできる。
美容室の待ち時間でも、ロリータファッションを調べていた。あずさが何故ロリータファッションをしているのを隠すのか、知りたかったからだ。
調べても、いまいち良く分からなかった。調べたとしても、答えが出るとは限らない。だから聞きたい。
駅に着くと、改札口近くの柱にもたれ掛かりスマホを取り出す。迷いなくあずさの電話番号を表示し、発信ボタンを押した。お願い、出て……可愛さに目覚めた私に、勇気を貰った私に謝らさせて……。
『……はい』
「もしもし? 突然ごめんね」
出た! 出てくれた!
嬉しさのあまり、声が上ずってしまった。
『ううん、大丈夫』
「良かった……あずさ、今お家にいる?」
『え? う、うん。家にいるよ』
「そっか……あずさ、今から家に行ってもいい?」
『えっ……でも、』
「玄関先でもいいの。あずさに会いたい」
あずさの戸惑った声が聞こえて、少し決意が揺らいだがそのまま続けた。
『……わかった、待ってる。今どこ?』
「大槻駅の近く」
『えっ、家の近くじゃん』
「あずさに会いたくて……じゃ、すぐに行くから待っててね」
あずさの返答を待たずに通話終了ボタンを押す。少し強引だったかな、とは思ったがここまでしないとあずさと私の間に出来た溝は埋まらないと思っていた。
スマホをカバンに入れると直ぐにあずさの家に向かった。あずさの家はこの駅の近くだ。あずさに会いたいがために、この駅の近くの美容室を選んだ。いつも行く美容室とは違って、少し緊張したが結果的にそこを選んで良かったと思っている。
あと二つ、角を曲がればあずさの家だ。地面は照り返しで暑く、頰に一筋の汗を垂らしていた。
一度、あずさの家まで行ったことがあった。図書館で一緒に課題をしたあの日、この近くで働いてるいとこに会うために一緒にこの道を歩いたことがあった。
二つ目の角を曲がれば、突然閑静な住宅街に入る。少し歩いて見えてきた茶色の屋根の家。表札には「佐倉」と書かれていた。チャイムを押す前に一つ深呼吸。
「ゆうか!」
あずさの声が聞こえ、顔を上げる。驚いた顔をしたあずさが玄関のドアの向こうにいた。部屋着なのか、ピンクのタンクトップとショートパンツを履いていた。
「あずさ、突然ごめんね」
「ううん。電話が来た時は驚いちゃった」
えへへ、と笑うあずさ。胸が締まる想いがする。抑えて、自分。
「あのね、私あの時の事謝ろうと思って……」
「あ、電車の時の……」
「そう。あずさ、ロリータ着てたよね」
ロリータ、と言う言葉にあずさの体がピクッと動く。それでも視線を逸らさずあずさを見続ける。
「私、あずさの事全然知らなかった。あの時、ロリータを着てたあずさと会って、あずさの秘密を知れたと浮かれてたの」
耳障りな蝉の鳴き声が聞こえる。太陽はまだ頭上で私を照らしていた。
「浮かれすぎて、あずさの気持ちも知らず色々聞いてしまったの。でも、あずさが帰ってしまった後に色々調べて気づけたの。ロリータ着ているあずさも、あずさ自身なんだって。私の好きなあずさなんだって……だから、ごめんなさい」
言い終えると同時に頭を下げた。心臓が高鳴る。汗が目の横を通り過ぎていく。
「ゆうか、顔を上げて」
「あずさ」
「ごめんなさい、ゆうか。謝るのは私の方だよ」
顔を上げると、涙目のあずさがいた。
「あの時、私、知られるのが怖くて逃げたの。とても大切な人に、自分の秘密を知られたかと思うと怖くて」
「あずさ、そんな事……」
「昔、私の服装を悪く言う友達がいたの。何でも話せた友達だった。だから余計に怖かった。また、同じようになってしまうと思うと言い出せなくて……」
あずさの大きな瞳からポロポロと涙が溢れていく。私は思わず駆け寄り、手のひらでその涙を拭った。
「そんな、私こそごめんね。あずさはあずさなのに」
「ううん、こっちこそごめん」
「……仲直りしたいよ」
「仲直り、したいね」
あずさは涙を拭いながら笑う。それは本当に、笑っているように見えた。
「私はずっとあずさを好きでいるよ。どんなことがあっても」
「私も。ゆうかのこと好きだよ」
自分の好き、とあずさの好きは違う感情かもしれない。そう思うと胸が痛む。だけど、溝が埋まった気がした。
あずさの細い手を握る。あずさは優しく微笑んだ。
「今度私もロリータ着てみたい」
「本当? ゆうか絶対似合うよ」
あずさは嬉しそうに言った。これは本心からだろう。そう思われるだけで、とても嬉しかった。
今は、それだけでいい。いつか、私の本当の気持ちに気づいてくれるなら。