2-1
放出の堂々たる“転部宣言”を、老久保は少し寂しそうに、しかしその前途を想像して楽しんでもいるような、そんな優しい表情で眺めていた。
そして、傍らに立つ竹本のことも。
老久保の視線に気づいてか、竹本は老久保に身体を向けると深々と頭を下げた。
「若造が、勝手な振る舞いをして申し訳ありません」
老久保は呆れたように苦笑した。
「たかが部活、されど部活……」
11人にはよく聞き取れないくらいのボリュームで、ゆっくりと枯れた唇を動かした。
「けどな。結局は、どこまでいっても、やっぱり『たかが』部活やねん」
老久保の主張に、竹本は露骨に顔をしかめた。
「誤解はしなや。正直に言って、あんたのような人間は嫌いやない。あんたになら、子どもたちを安心して任せられるとも思うとる。けどな、これだけは忘れんとき。あんたのおった大阪桃蔭高校と、公立中学校の軟式野球部は違う。根本から違うんや。部活は、しょせん部活やねん。野球をするためだけに親元離れるような、リキの入った子らやない。そこらへんにおる、普通の子や。そんな子らをかき集めて、全国制覇はムリでも、万年1回戦負けでも、それなりには上手く回っとったんや」
ゆっくりと、静かに物を語る老久保に、竹本は黙って耳を傾けていた。
「いや、いや。失礼。憎まれ口を叩きたいわけやない。ただ、肝に銘じとき。誰もが当たり前に知っているように、野球は9人でやるスポーツや。それに対して、この子らは“11人”おる。必ずしも野球がやりたくて野球部に入るわけではない子が、11人や」
老久保の言わんとしていることを理解して、竹本はごくりと唾を飲んだ。
「11引く9は、2や。この“差”には、よっぽど難儀するで」
そう言いながら、老久保は薄く笑みを浮かべた。
それは決して、若者の野心を嘲笑っているわけではない。この先に待ち受けているであろう苦難を、竹本と11人の教え子たちがどのようにして乗り越えるのかを楽しみにしているような、そんな温かい表情だった。
「元より、覚悟の上です」
竹本もまた、自信たっぷりにそう答えて笑みを浮かべた。
それを確認して、老久保はゆっくりと腰を上げた。
「ま、ワシなんかが心配する方が野暮ってもんや。ほんま、楽しみにしとるで。この子らの全国制覇なんて拝めたら、もういつ死んでも悔いはないわ。遠慮せんと、厳しくシゴいたってや」
「ご安心を。その点についても、元よりそのつもりですから」
放出たちの背中に悪寒が走った。
「ほんま、頼もしいこっちゃ。ま、あんたは余計なこと考えんと、全国制覇にだけ集中しいや。現2年生には、ワシの方から上手く話通しとくさかい」
断片的に話を盗み聞きしていた由比ヶ浜が、その言葉を聞いて胸を撫で下ろした。
現2年生へ転部を伝えること、転部を納得してもらうことは彼らにとって一つの大きなハードルだった。怒られるのか、罵られるのか、失望されるのか。いずれにしても、波風立てずに円満に、とはなるはずがなかった。
そこのところを老久保が上手く取り成してくれるのであれば、願ったり叶ったりであった。――しかし。
「いえ」
一人退室しようとした老久保を、竹本が引き留めた。
「余計な手出しは結構。現2年生には、この子たち自身の口からきちんと説明させます」
由比ヶ浜の淡い期待は、脆くも崩れ去った。