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「恥ずかしいでしょう。『目標は全国制覇です』って、他人に言うの」
竹本の口角は薄く吊り上がっていた。
11人のことを見透かす不敵な笑み。
竹本の目論見通り、放出は愕然としていた。
腹の底から羞恥心が込み上げてきて、両耳が真っ赤に染まるのを感じる。これまで幾度となく味わってきたあの羞恥心。自分たちの『全国制覇』を聞かされた者が見せる、世間知らずを温かい目で見守るような哀れみの眼差し。
ただ、そんな風に部の目標を小馬鹿にされても、腹立たしさよりも恥ずかしさが上回る自分がなによりも情けなかった。
その思いは11人全員で等しく共有していた。
繰り返し味わってきたあの恥ずかしさ、後ろめたさ。そしてそのことを竹本にはすべて見透かされているというこの現状が、羞恥心を掻き立てる。
――こいつマジで、ちょっと違うかもしんねえ。
「誓ってお約束します。私の新設する野球部では、11人全員、胸を張って全国制覇を公言できるようになります。部の目標を語ることがどこか後ろめたい、そんな思いは決してさせません」
11人が等しく口を噤む。
竹本の下でなら、ひょっとして――。
そんな思いが繰り返し駆け巡る。
しかし、『1年』。しかし、『先輩方の最後の大会』。
答えのない堂々巡りの中で彼らは苦しんでいた。そんな心情をやはり的確に把握するように、次に口を開いたのも竹本だった。
「『二兎を追う者、一兎も得ず』。全国制覇もしたい、先輩方への義理も立てたい。そんな両獲りが叶うほど甘い世界ではありません。自分たちで判断なさい。この中学校の3年間というかけがえのない時に、あなたたちは果たしてなにを望むのか。たとえ一勝もできなくとも、先輩や同級生たちと楽しく仲良く過ごすのか。あるいは」
一拍置いて、すっと息を吸い込んだ。
「全国制覇という、奇跡的な体験を果たすのか」
彼らの顔が苦悶に歪む。
十数秒ほどのわずかな時の中で、彼らは実にたくさんのことに思いを馳せた。
入学直後、互いに声をかけあって11人のメンバーが揃ったこと。たとえ遊びのようだと揶揄されようとも、本人たちにとってはそれなりに辛く苦しい1年間の練習を経験したこと。嫌なことも楽しいことも共有した、1年間の部活動。衝突しても最後には優しく手を引いてくれた先輩方の姿。そして、定年の近い老久保先生に勝利をプレゼントしようと誓ったある日のミーティング。
――目標を口にするのが憚られる、あの胸を刺すような思い。
放出は、世代キャプテンとしての責任感と、1選手としての素直な気持ちとの狭間で苦しんでいた。
「放出や」
そんな中、これまで沈黙を貫いていた老久保が静かに口を開いた。
「もう、腹の内は決まっとんのやろ?」
老久保は優しく、諭すように言った。
「一丁前に、子どもが遠慮なんてするもんやない。2年生のこともあるやろうが、老い先短いワシになんて気ぃ遣とったら損するで。大事な選択だからこそ、こういうときは自分の気持ちを一番優先したらなアカンわ」
放出は口を真一文字に結んだ。
「放出だけやない、お前らもや。薄々分かっとんのやろ? この竹本の下でなら、貴重な経験ができるかもしれないと。オモロいとこまで行けるかもしれないと」
彼らは、老久保と目を合わせることができなくなっていた。
心はすっかり『竹本の野球部』に惹かれていたのに、アピールをするように苦悶の表情を浮かべていたのが恥ずかしく思えてきていた。
「サッカー部のことなら気にしなや。竹本さんの言うように、お前らなんてシロウトと入れ替えたってなんも困らんわ」
そして、最後は小気味のよい憎まれ口で。老久保は、決断できずにいる11人の背中をトンと押した。
また、沈黙とともに数秒経った。
そしてそののち、放出がわなわなと口を震わせながら竹本の方を向き直した。
「……なんでなんや。なんでこんな辛い選択させんねん。あんたがサッカー部の顧問をやってくれたら、それで全部丸く収まる話ちゃうんかい。たとえサッカーの経験がなくったって、あんたのような先生ならキッチリ手綱とれるやろ。それが、一番いい選択だったんちゃうんかよ」
老久保に背を押してもらい、放出の心はすっかり決まっていた。しかしその最後の最後で、絞り出すような憎まれ口を竹本に言っておかなきゃ気が済まなくなっていた。
放出の問いを受けて、竹本もまたわずかに逡巡した。それから、少し悩ましい表情で放出の問いに応えた。
「まあ……、そうね。たしかに選択肢としては、そういう選択もあったのかもしれない。私がサッカー部の顧問を引き受けずに、頑として野球部にこだわる理由は先ほど述べた通りだけれど、もしかしたら、それも建前に過ぎないのかもしれない」
「だとしたら……、建前ではない、あんたが野球部にこだわる本当の理由って、なんなんや?」
再びの放出の問いに、竹本は今度は満面の笑みを浮かべて、一点の曇りもない表情で、あっけらかんとして答えた。
「だって、サッカーより野球の方が面白いじゃない?」
その答えが――。
あまりにも悪びれることなく、まるで当然とでも言わんばかりに堂々としていたものだから、放出はもう、こいつにはなにを言っても無駄であろうことを悟って、思わずふっと笑みを漏らした。
「お前ら、立てや」
放出の言葉を受けて、放出以下9名がぞろぞろと立ち上がる。その表情に暗いものはない。皆、放出と同じように、竹本の自分勝手な意思に反抗心をポッキリ折られているようであった。
その中で不二越だけが、不満げな表情で椅子に腰を据えたままだった。
「おい、フジコ」
放出の声を無視して、不二越は竹本に向けて言葉を投げた。
「俺はよ、できもせん大口叩いて子どもを釣るようなやり方は大っ嫌いやねん。11人全員お前の口車に乗るからには、来年、必ず全国制覇できると誓え」
その言葉に、竹本は微塵も怯まなかった。
「もちろん。私を信じてついてきなさい」
不二越も、それ以上はなにも言わなかった。
「なら、ええわ」
ようやく腰を上げて立ち上がる。
それを確認してから、放出はぴしりと姿勢を正した。
「竹本先生!!」
「友渕中学校サッカー部1年11名! 来月から、竹本先生の野球部にお世話になります!!!」
11人全員の揃った声が、怒号のように教室に響き渡る。
「よし」
竹本は、満足げに笑みを浮かべた。
第2話へつづく
第1話、了。
引き続きがんばります。応援よろしくお願いいたします。