最強令嬢、皇后になる
今度は、ボヘミアも裏切らなかった。
そりゃまあ、同じカトリックで、少しは正当性のあったバイエルン公とは違う。
新教徒で、約束破りのフリードリヒなんかに降伏するわけがない。
プラハも今度は粘りを見せた。
6万どころか9万も動員したプロイセン軍は、あっという間に食料が尽きる。
これに対して、我がハプスブルク帝国は、10万の軍を四方から集結させる。
「小国と大国の差がここで出たわね」
お財布は厳しくても、我が軍はこの程度の補給ではびくともしない。
ハンガリーのユサール騎兵が、ここでも活躍してくれる。
少数でも戦力になり、敵軍の後方で暴れまわるこの騎兵に、プロイセン軍は完全に止まった。
飢えと疫病。
どんな軍隊も逃げる事の出来ない二人の悪魔によって、プロイセン軍はさらに崩壊する。
8月に宣戦し、10月までにボヘミア全域に広がったプロイセン軍が一気に萎む。
「陛下! 我が方はシレジアまでプロイセンを押し戻しましたぞ!」
二度目の奇襲は完全に失敗させた。
「なら次はバイエルンよ。完全にプロイセンを孤立させなさい。もうすぐ、ロシアも参戦するわ」
義弟カールの軍勢は再びミュンヘンを占領して、神聖ローマ皇帝のバイエルン公アルブレヒトは、遠い地で客死した。
バイエルンは降伏、次の皇帝選挙でのフランツ支持を約束した。
「それにしても、粘るわねえ」
あと一歩のところだが、プロイセンは持ち堪える。
わたしは、段々とフリードリヒの事を理解してきた。
奴は、戦争の天才ではなく戦場の天才に過ぎないと。
外交の延長にある戦争は、下手くそも良いところだ。
確かにシレジアこそ奪われたが、度重なる奇襲と同盟国への不義理によって、プロイセンの外交は”ぼろぼろ”。
バイエルンとザクセンが見限って、ドイツ内に味方はいない。
フランスは不信を募らせ、中立のスウェーデンやロシアも、フリードリヒのことを全く信用してない。
それなのに、不利な状況でも強引に会戦に持ち込んで勝つ。
ほら、またカールが負けた。
「これで和平してください」と、英国の大使がまたやってくる。
「いやよ」とだけ答える。
英国も必死だわね。
オーストリアが不利と思って味方に付いたのに、大勝しかねない。
英国が敵に回る前に終わらせるには、次の作戦で決めるしかないわ。
「西からザクセン、プラハの北からカール、シレジアの一軍で敵主力を拘束する。そして、東からはロシアが攻め込む」とねえ。
まあ壮大な作戦には違いないわ。
三方から進軍し、一気にプロイセンの首都ベルリンを落とす。
中世以降、ヨーロッパで最大規模の軍事行動。
問題もあるわ。
「足並みが揃うの、これ?」
「お任せ下さい!」と、将軍たちは請け負ったが、甚だ不安だわ。
作戦の要は、敵味方ともに固執しているシレジア。
ここにフリードリヒを留めておけるかにかかっている。
戦場の天才さえ自由にさせなければ、オーストリアが勝つのだけれどね。
そして、その前に大事な儀式がある。
皇帝選挙と、帝国議会におけるフランツの皇帝承認。
「僕が皇帝かー。想像も付かないなあ」
などと、フランツはのんびりとしてるけど、あなたはその為に15の時からうちに来たんでしょうが!
わたしにとっては、宿願なんですよ?
フランクフルトでの戴冠式への沿道は、歓声で包まれた。
既にプロイセンの勝利はない。
ドイツ諸侯は、再びハプスブルクの下に集まる。
道中、一人の女性の訪問を受けた。
バイロイト辺境伯夫人――フリードリヒの実姉――で、実は詩と音楽に傾倒する奴の唯一の理解者だそうだ。
「うちの愚弟が」と涙を流すバイロイト辺境伯夫人に、少し同情する。
あんな性格破綻者が祖国を継いだとあっては、泣きたくもなるわよね。
これを伝え聞いたフリードリヒは、『やはり女は馬鹿だ!』と怒鳴り散らしたとか。
ますます、評判が下がることでしょう。
そして、1745年の9月13日。
我が夫フランツは、フランツ1世として即位した。
これ以後、わたしは書類に『K.K』と署名する。
これは皇后にして女王の意味だ――。