最強令嬢、苦境に堕ちる
18歳になったわたしは、フランツ様と結婚する。
アウグスティーナー教会での、ヨーロッパで最も豪華な結婚式。
カトリック同士の婚姻で、ローマ教皇からも勅使が来る。
参列しない王家はなく、全てのドイツ諸侯が祝いに訪れる。
だが、わたしの愛する夫は、人生最大の屈辱にまみれていた。
わたしのせいではない……とは言い切れない。
我がライヒとフランスの境界に位置するロレーヌ公国。
ここがハプスブルク領となるのに、フランス王ルイ15世が強行に反対した。
とはいえ、ネーデルラントからブルゴーニュを経てミラノまで、既に我が家に半分囲まれてるのだから、言いがかりも良いとこだ。
「よろしい、ならば戦争よ!」と言ってやりたいが、慶事の前に争いは起こせない。
「ロレーヌ公国を、フランス王妃の父に譲れ」
これがフランスの要求。
その父が亡くなれば、当然フランス王領に吸収される。
「フランツ様……」
わたしでも、紙切れ一枚で祖国を放棄するフランツの苦悩は分かる。
フランツの母、ルイ14世の姪でフランス王族でさえも非難する。
「お前は、この娘と引き換えに生まれ育った国を売るのか」と。
見つめるわたしに、フランツは何時もと変わらず優しく告げた。
「大丈夫だよ。今の私に、一番大事なのは君だ。私の心は決まっているが、少し一人にしてくれないか」
静かに扉を閉めた向こうで、ペンを投げる音がして、ロレーヌはフランスへ渡った。
結婚式は壮大なものになった。
オイゲン元帥も参列し、わたしの花嫁姿を見届けた2ヶ月後に没した。
お父様は、わたしの相続問題を見据えて、周辺国に融和的になっている。
一つ一つ外交交渉を重ね、万全の既成事実を積み上げていたが……。
1740年10月、お父様が急逝した。
まだ55歳、あと5年生きて下されば起きないはずの戦いが起きる。
この年の5月に王位を継いだばかりのプロイセン王フリードリヒが、シレジアへ侵入してきた。
宣戦布告もなく、冬を突いて、しかも逝去からたった二ヶ月での軍事行動。
「即位した時から戦争準備してたのね、この野郎は」
慌てふためく老臣らを見ながら、わたしは呟いた。
まあ、彼らが慌てるのも無理はない。
わたしの従姉妹が嫁いだバイエルン選帝侯も兵をあげ、フランスと同盟した。
バイエルンのヴィッテルスバッハ家は、ハプスブルク長年のライバル。
一族で3つの選帝侯を占める大諸侯。
フランツよりも皇帝に相応しいと思う者も多い。
それにつられて、ザクセン選帝侯兼ポーランド王も挙兵する。
これは意外、ポーランド王に推挙し戦ったのはオーストリアだったのに。
『覚えておきなさいよ、ポーランドごとバラバラにしてやるわ』と固く誓う。
これでオーストリアは、西から北まですっぽり包囲された。
さらに、『スペインが!』と誰かが悲鳴を上げる。
「おやめなさい、見苦しい」
しかし、イタリアを欲しがるスペインまでが南から迫ることになった。
「姫さま……あ、いえ陛下。どうしましょう?」
宰相のツィンツェンドルフ、侍従長バルテンシュタイン、国防大臣のアロイス・ハラッハ、財政を支えるチロルの銀行総裁シュタレムベルク。
父上を支えていた、名前だけは立派な臣下達も真っ青だ。
と言うか、二十歳そこそこのわたしに聞いたって、どうにかなる訳ないじゃないの!
むしろ、わたしが聞きたいのですけど。
そう怒鳴ってやりたいが、これを言ってしまうと破滅する気がする。
「落ち着きなさい。まずは、ナイペルク伯をここへ」
ヴィルヘルム・ラインハルト・フォン・ナイペルク。
オイゲン亡き後のオーストリア軍団を束ねる将軍。
さらにフランツ様の、ウィーンでの後見人。
忠誠も実績も疑いなく、彼の手柄はフランツの立場を強くする。
ついでに戦争が上手そうな名前をしている。
今は、彼に任せるしかない。
寄せ集めの軍団を送り出した頃、一通の手紙がフリードリヒから届く。
「読んで」
「いや、しかし……これは」
余程酷いことが書いてあるのか、宰相が言い淀んだ。
「いいから、絶対に怒ったりしないから」
「では……。大事なお体です、決して激昂したりなさらぬように」
宰相も覚悟を決めたようだ。
「親愛なる女王陛下。我らは決して女王陛下を害するつもりはありません。ただ他国に奪われぬよう、シレジアを守護し奉るつもりです」
『まあ何をぬけぬけと』そう思うしかないが、続きを急かす。
「我らは、オーストリアの為に戦うつもりであります。さらにフランツ閣下の皇帝即位を支持する用意もございます」
プロイセンは、ブランデンブルク辺境伯から続く選帝侯。
協力は喉から手が出るほど欲しいが……無料ではあるまい。
「つきましては、シレジアを我らに割譲願いたい。この条件が受け入れられぬ時、今後起きる一切の責任は、そちらにございます」
ぷちっ。
宰相が手紙から顔を上げる前に、わたしは切れた。
「馬をひけ! 全ての兵と砲弾を集めよ! このオーストリア大公女自ら、このくそ生意気な田舎者の首を獲ってやるわ!!」
「陛下! 陛下が、ご乱心あそばせた!」
廷臣どもが騒ぐ声が遠く聞こえる。
こうして、波乱の1740年は過ぎるのだが、意外なことに我がオーストリア軍は善戦していた。
雪を漕いで強襲北上したナイペルク伯は、シレジアとプロイセンの連絡線を切断しつつあったのだ。