最強令嬢、勉強する
10歳も超える頃からは、本格的な教育が始まったのだが……。
「フランス語、ラテン語、イタリア語、舞踊に作法などなど。これだけ? 政務や軍務はどうするの?」
わたしは重臣たちを問い詰める。
お母様は体調を崩し、弟が生まれる見込みはない。
いずれハプスブルクの全領土は、わたしが裁量するしかないのに。
「殿下にそういったものは必要ないと、陛下のお考えで」
教育係が代表して答える。
父上も頭が古いわ、ロシアでは女帝が君臨してるというのに。
「いいわ。わたしが直接お願いするから」
「殿下!」「姫様!」と付いてくる家臣達を従えて、いざ玉座へ。
……なんて物わかりの悪いお父様!
言下に一蹴、「そういうことはフランツとカールに任せておけば良い」ですって。
まあ確かに、ここドイツでは女王の例はあっても少ない。
優秀な摂政役――フランツとカールの兄弟は、頭脳は抜群――に任せるのは道理ではある。
しかも、わたしの代わりに教育係たちがお父様に叱られてしまった。
これ以上の無理強いが出来ぬとなれば……。
「自分で学ぶしかないわね」
ここ、シェーンブルン王宮の蔵書は膨大。
政治に各国史、軍事や財政まで何でも揃う。
わたしは、宮女とのお喋りの時間を少し減らして、読書に励むことにした。
だが…………つまんない。
『こーいうのは男どもに任せて遊びたい。てか、フランツ様の得意分野だったし。やっぱりお父様が正しい……』
「って、それじゃ駄目なのよ!」
自分に気合を入れる為に、大声を出した。
フランツ様が幾ら有能でも、オーストリアや各領邦の廷臣は主君たる”わたし”の言うことしか聞かぬ。
”聞け”と命令するのは簡単でも、面従腹背では意味がない。
せめて、わたしがフランツ様と相談して決めるか、アドヴァイスを差し上げるのが最善なのよ!
「もうちょっと頑張りましょう……」
今度は中くらいの声で自分に言い聞かせたとこで、図書室の扉が開いた。
「おや、先客ですかな?」
のんびりとした英語訛りのドイツ語が聞こえた。
見たことある顔ね……確か。
「ブリテンの大使どの?」
英国王ジョージ2世は、ハノーファーの選帝侯でもある。
その大使となれば、このわたしといえど失礼な態度はとれない。
だが、かつらが飛び跳ねるほど驚いたのは大使の方。
ニ、三度まばたきして、膝を着こうとするのを押し止める。
「まあまあ、そんな気にせず楽にして」ってのを、丁寧な言葉で告げた。
大使も、「邪魔してすいません」というのを、完璧な外交儀礼を使って述べた。
「ふーん。各国の歴史を集めるのが趣味ねえ」
聞くと、ブリテン大使は、この図書館に入る許可をやっと貰ったそうだ。
わたしが机に広げてるのは、花の本でも衣装の本でもない。
質実剛健の実用書、それを見た大使は色々と察したようで何も尋ねなかった。
よろしい、少しお手伝いしてあげましょう。
これも帝室外交の一環だしね。
恐縮しきりの大使を引き連れ、我が家の歴史書のあるあたりを案内する。
そうだ、ついでに頼み事もしておこう。
「イングランドに、有名な学者がいらしたわよね? 確かニューなんとか……」
「サー・アイザック・ニュートンでございましょうか?」
そう、それ!
「彼の著作が欲しいのだけれど」
もちろんわたしでなく、フランツ様が欲しがってたのだが。
プレゼントすればきっと喜んでくださるわ。
「お任せくださいませ。ラテン語訳のものを、直ちに取り寄せましょう」
大使は満面の笑顔で請け負ってくれた。
わたしが彼の母国の一学者を知ってるなど、望外だったのだろう。
この図書館での出会い――大使は老人で何のロマンスもなかったが――は、わたしにとっては日常の一幕だったが、大使にとっては違ったようだ。
ウィーンの各国大使は、わたしの事をこう本国へ送っていた。
『美しく気高いが、ただの女性』だと。
英国だけが違った。
『賢く、教養があり、侮れぬ相手となる可能性がある』と。
今のわたしは知らないが、後に我が国が最大の苦境に陥った時、この報告が重視され、列強で唯一英国が味方につくのだった。