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オリエット伯爵の跡取り息子  作者: あだち
第十一章 罪と秘密
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悪意のなまえ

「はやくしろ小僧……この部屋の前で待っているからな……」


 殺気じみた剣呑さを帯びた金色の目の少年の言葉が終わるより早く、セシルは黒い木製の扉を閉めた。

 胃のあたりの不快感を抑えつけるようにつばをのみ、常よりも雑然とした部屋を見渡す。主不在の、当主用執務室を。


「……はぁ」


 セシルはひとつ、憂鬱な溜息を零してから、目的を達成すべく部屋の奥に鎮座する執務机に近づいた。

 これから、セシルは妖精に約束した“対価”を手に入れ、明け渡さなければならない。

 

(こんなに早くダンリールと王都を往復できるんだから、まぁ助かったんだけどさ)


 それにしても、わざと荒々しく飛行したのではあるまいか。セシルは庭で吐き気を耐えながら、急かす竜の分霊に恨みがましい目を向けたことを思い出した。


 居合わせた庭師に肩を借りてどうにか邸内に戻ったセシルの青い顔に、ウォルターはすぐに寝床を整えようとしたが、それはセシル本人が辞退した。そして『それよりも、』とこの部屋の鍵を開けるよう迫ったのだ。


 伯爵の仕事部屋は、本人とその留守を預かる執事以外が入ることを、緊急時以外でアルバートは許していない。が、『伯爵家に関わる、一刻を争う事態なんだ』と胸倉を掴む、もとい取り縋るセシルの勢いに、ただならぬ事情があると察した執事は鍵束を渡してくれた。


 後々父親にこのことがばれたとき、ウォルターが罰を受けるはめになるのは阻止しなければならない。しかし今は、なにより緊急で重大な事情が差し迫っているのだ。上手く誤魔化せなかったときはウォルターに謝るしかないなと無責任なことを思いながら、セシルは机の上の書類を持ち上げたり、施錠されていない引き出しを手当たり次第に開けていくなどした。

 とはいえ、目的の物はなかなか見つからなかった。

 セシルはらしくなく、小さく舌打ちをして鍵束の中から比較的小さな鍵を探し、施錠された引き出しに突っ込んではひねっていく段階に移行した。


「……あった」


 二つ目の鍵付き引き出しを開けたところで、セシルは小さく呟いた。

 右手でもち上げたそれを、緑の目で見つめる。発見できた安堵の次には、本当にこれを竜に渡すのかのかと、罪悪感が胸の内に広がるのを感じた。


 取引の時、自身は冷静だったはずだ。我ながらいい話運びだったと思っていたが、改めて考えてみると自分は随分身勝手な取引をしてしまったと気が付いた。


 謝るべきは、取引相手にではない。


 ――せめて、複製をつくってから。


 セシルは、部屋の外で待ち構えている竜の分霊に会わずに外に出られないかと、執務机の後ろに作りつけられていた窓の鍵に手をかけた。

 しかしそのとき、背後から呆れたような「強盗?」というつぶやきが耳に入ってきて、セシルの動きに待ったをかけた。


「……あ、アレックス……もう帰れたんだ、よかった」 


 弾かれたように振り返ったセシルは、細く開けられた扉口から訝し気にのぞき込む弟に背筋を凍らせながら、今しがた右手に持っていたものを上着の内側にすばやく忍ばせた。


「……ついさっきな。エリックはまだ、かかりそうだけど」


 全身を部屋の中に滑り込ませて扉を閉めたアレックスは、片手にグラスを持っていた。ミントの葉とレモンの輪切りが浮かんだそれを見て、セシルもここをうまく切り抜けられたら同じものを厨房に頼もうと密かに心に決めた。

 だが。

 

「ほら、おつかれ」


 こつ、と固い音がした。目の前の執務机の上で、窓からの光を反射する涼やかな水面が、品の良いグラスの中で揺れていた。


「……へっ?」

「ラスターに用意してもらった。顔、真っ青だぞあんた」


 執務机に置かれたグラスとアレックスの冷めた顔を交互に見て、セシルは唖然とし、次いでどっと罪悪感の波に流された。震えそうになる喉を叱咤して礼を言う。顔が青いのは、もはや体調だけが原因ではなかった。


 なぜ、このタイミングでここにくるのだ。その上、このタイミングで、セシルを気遣うのだ。


 もしかして、セシルがしようとしていることが筒抜けなのか。セシルはミント水を一口飲んで、その清涼感に必要以上の冷やかさを感じていた。

 セシルの動揺を気にも留めず、アレックスは執務机の前に置かれたテーブルセットの椅子に腰かけた。

 しばらく、アレックスの目がセシルの方と扉の方を気にするように動いた。それがまさしくセシルの後ろ暗い部分を的確につついていた。セシルは自分の鼓動の音が部屋中に響き渡っているかのような錯覚に陥りながら、あおったグラスで顔を隠した。


「……結局、ローズと話せたのか」


 ぽつりと落とされた言葉に、セシルははたと冷静さを取り戻した。

 

(そうだ、僕ここで油売ってる場合じゃない)


「ああ、ダンリールでね。ユニコーンが一緒にいたから、随分はやく動けたみたいだった」

「ダンリール? なんでそんな遠くに」


 テーブルに置かれていた磁器製のボンボニエールの蓋を弄びながら、アレックスは呆れたような声を出した。


「……そこしか、逃げ場が無かったからでしょ。外に出ない人だって、アレックスも言ってたじゃん」

「逃げた? 侯爵を刺したあとで?」


 セシルは王妃と共に部屋を出た後、ダンリールでローズが捕まるまでのことを話した。


「……母親に用事、ね」


 灰色の目が考えに耽るように床に向く。アレックスが今しがた耳にした言葉を反芻する一方で、セシルも記憶と共に呼び起こされた疑問を口にした。


「そういえば、僕がダンリールに向かった後、王宮に書簡が届いたってきいた。ローズが僕らに害をなそうとしたって」

「ああ、それなぁ……」


 アレックスは聴取にきた女伯爵をのらりくらりかわしたが、エリックがあからさまに動揺したせいで現在足止めをくらっていると話した。セシルもライオネルたちの言い様から予想していたことであり、心配に胸をざわめかせながらも、さして衝撃を受けなかった。


「……帰りがてら、地下牢にいたエリックに会ってきた。肩の怪我は治るのにだいたいひと月くらいかかるってさ。あんた幸運だったな、最初にケルピーに噛まれたとき、即効薬がそばにあって」

 

 白いリキュールボンボンを一粒口にして、アレックスがそう締めくくった。セシルも肩の痛みを思い出して患部だった箇所を思わず擦った。

 申し訳なかった。セシルが溺死しないですんだのは、アレックスが銃を持っていたこともあるが、それより早くエリックが飛び込んできて水から引き揚げてくれたおかげだ。どれほどの強さで噛まれたのか、記憶の中に残る自分が受けた傷とどれほど異なるか、セシルにはわからないが、ひとり地下牢で痛みと罪状の恐怖に苛まれているかもと思うと、気がかりだった。


「スカーレットに、王宮に薬を届けてもらえないかきいてみようかな」


 何気なく言ったその言葉に、アレックスの視線がする、とセシルの方に流れた。


「やめといた方がいい」


 セシルは、その短い否定の言葉に大して考えもせず「やっぱり? 今疑われてるエリックに必要以上の届け物したら、一族ひっくるめて怪しまれるよねぇ」と落胆して返した。命に別条がないのなら、王家の慈悲が無力な怪我人にできる限り掛けられることを願うしかない。


「それもあるけど、今スカーレットに現状を知られるようなことをしない方がいい」


 それまでと同じ素っ気なさで、予想外のことを口にしたアレックスに、レナードのくえなさに顔をしかめていたセシルは目を瞬かせた。


「……バーティミオン家を巻き込んじゃうから? でも多分、スカーレットも事情聴取されてるんじゃない? 僕たち、叔父さんとこの従業員のふりしてたんだから」


 広い部屋に、沈黙が落ちた。

 アレックスの口の中で転がされているらしい糖衣の菓子が歯に当たる微かな音さえ聞こえる、しんとした静寂だった。

 その静けさを恐れるように、ごくり、と上下したのはミント水で潤ったはずのセシルの喉だった。


「……ちょっとまって、まさか」

「まっても変わんないぜ。エリックが否定しなかった」


 がり、と、菓子が割れる音がした。冷たい青灰色の瞳が、セシルの方に向けられる。


「二人を脅迫したのがアラン・バーティミオンだってこと」


 窓から差し込む光の中で、空中の小さな埃が音もなく踊るのを、セシルは呆然と眺めた。



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